第32話 アレの再来

 二年生の教室から離れた乙葉と京華は、その足で職員室に向かっていた。目的は、アルバイトの許可申請を行うためだ。ただ、本来であればその審査にも時間が掛かるはずだが、二人の場合はほとんど即決で許可が下りる。この異常性に京華は気づきもしなかったが、乙葉の方は改めて大人の闇を知ってげんなりしていた。


 ただ、現在はそれに気を回している余裕もない。乙葉は京華と共に職員室から出ると、すぐに目先の問題解決を促していた。

「とにかく、今からの練習で、なるべく真っ直ぐ矢を放てるようになろう。多少は逸れることがあってもいいから」


 この発言。そこには一つの思惑があるのだが、その本意をここで口にするつもりはない。あくまでも、素人考えによるアドバイスを装っている。すると、一方の京華は何も気づかない様子で不満を口にしていた。


「なんだ? まだやってもいないのに、俺の才能を悲観するなよ。傷つくだろ」

 ただ、この態度には乙葉も同じように不満気だ。

「……こんな事態にして、部長に迷惑掛けてるっていう認識……ほんとにある?」

「う……それは……」

 一方の京華もそのことだけは自覚していたようで、急に身体を小さくしていた。


 それを見て、乙葉もこれ以上の追及はやめる。

「……とにかく、少しでも矢を的に近づけることだけを意識しよう。そうすれば……奇跡が起きることもあるかもしれないよ」

「奇跡……か。俺のためにある言葉だな」

「……そういう過信が今回の事態を招いたんだけど?」

「……とにかく、弓道場に行こうか」

 と、ようやく目的地に向けて動き出そうとしていた。


 その直前——

「——ちょっと! そこの二人!」

 進行方向の反対側から、聞き覚えのある声が耳に届く。

『?』

 乙葉と京華が揃って振り向くと——

 そこには、どこかで見た覚えのあるアレな風紀委員が立っていた。


「ちょっと聞きたいことがあるんだけど……いいかしら?」

「げ……歩く猥褻物陳列罪……」

「京華⁉」

 乙葉がその物言いに慌てるが、幸いなことに、風香の耳には届いていなかったようだ。


「え? なんですって?」

「い、いえ! なんでもありません……!」

 乙葉が片手をブンブンと振って必死に流していると、ここで京華が嫌そうな顔で聞き返していた。

「……それで……また、何か用ですか? ご覧の通り、今日は常識の範囲内でしか、着崩してないですよ?」


 すると、一方の風香は少しだけ距離を詰めてくる。

「そういうことではなくて……さっきの職員室でのやり取りのことよ」

『?』

「たまたま見てたんだけど……いったい、どういうこと? あんな簡単にバイトの許可が下りるなんて、普通はないんだけど? いったい、どんな手を使ったの?」


 どうやら、彼女も先程まで室内にいたようだ。全然気づかなかったが、二人とも特に気にしない。それよりも、京華はその疑問自体に首を傾げていた。

「……なんか変だったか?」

「……多分、客観的にはそうなんだろうね……」


 乙葉が投げやりに答える中、一方の風香はなおも猜疑心を高めている。ただ、それは異様な方向に加速を始めていた。

「それで、どういうことなの? もしかして、何か教師の弱みでも握ってるの? そうであるのなら……」


 いきなり根拠も何もない邪推をされたため、これには京華も呆れるしかない。

「こいつ……なんか、妄想まで異常に膨らんでないか? 胸だけじゃ飽き足らずに」

「……聞こえるよ……もう少し小さい声で……」

 一方の乙葉が視線を泳がせながら呟いていると、ここで風香が急に何かに思い当たっていた。


「——は! まさか……!」

『?』

「ハニートラップ……⁉ そういうこと……⁉」

「はぁッ⁉」

 京華が素っ頓狂な声を上げていたが、風香はなおもその妄想をやめない。


「……援助交際? パパ活? そこから美人局のような罠を仕掛けて……そういうことなの……⁉」

 この暴走ともいえる着想に、京華は改めて自身の見解に自信を深めていた。

「……なぁ、乙葉。やっぱり、こいつそのものが学園の風紀を乱す最大の要因になってる気がするんだが……」

「……なんか……私もそう思えてきたんだけど……」

 乙葉も思わず小声で同意する中、目の前の風紀委員はさらに追及しようとする。


「——とにかく! 真相を教えなさい! 事と場合によっては——」

 が——

「——その辺にしておきたまえ」

 そこで、既視感のある展開が。

『⁉』

 その場の全員が一斉に振り向くと——

 そこには予想通り、悠馬がいつの間にか立っていた。


「会長……!」

 風香が大げさに驚く中、一方の悠馬は困り果てた様子で早速説得に当たる。

「……若宮君。君の疑問はもっともだと思うが……人に違法性を問うのであれば、全てにおいてエビデンスが必要だ。君はそれを持ち合わせているのかね?」

「それは……!」

「……では、まずはそれを集めるべきだろう」

 この誘導に、一方の風香はなんの疑問も持たずに首肯する。


「……なるほど。分かりました! でも……この場合の証拠集めとなると……」

「今回の場合は……虎穴に入るしかなかろう。男女の秘め事となれば……歓楽街の方面になるだろうな。そこで聞き込みをするしかあるまい」

「分かりました! では、行って来ます!」

「うむ。頑張りたまえ」

 悠馬のその言葉を最後まで聞かないまま、風香はこの場から一気に去っていた。


 ただ、この急展開に、乙葉が少々引いている。

「……あの、会長? いいんですか? あの人を誘導したとこって……」

 この地方都市の中で、そこは例外的に治安が悪い地域なのだ。その点を特に懸念していたのだが、一方の悠馬に悪びれる様子は微塵もなかった。


「若宮君は忘れっぽい性格でもある。あの地域の空気にあてられれば、意識が別の方へズレて、君達に対する妄想も失念するだろう。それに、あの性格だ。ミイラ取りがミイラになることもあるまい」

「そう断言できるあんたが怖いよ……」


 即座に京華のこの指摘があったが、悠馬は一切気にせず、相手に向き直って告げる。

「……とにかく、水城浦君は自身の勝負の方に集中したまえ」

『!』

「こればかりは、私でも介入は不可能だ。では、健闘を祈る」

 それだけ言い残すと、恩を売ったことに満足した様子で立ち去っていた。


 ただ、京華は神出鬼没のその味方に、不審の目しか向けていない。

「……この学校……校内にどれほどの盗聴器が仕掛けられているのか、一度調べた方がいいよな」

「だろう……ね」

 乙葉もそれだけ答えるのが精一杯だったが、実際にその行動を起こす気は全くない様子だった。



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