第26話 駐輪場にて
部長に事情を告げた乙葉と京華は、そのまま校門に向かっていた。まだアルバイト先も決まっていないため、それだけは早急に済ませなければならない。今は完全に幽霊部員の状態だったが、こればかりは仕方がなかった。
二人はやがて駐輪場に辿り着くと、登下校に使用している各々の自転車に跨る。すると、そこで京華が不意に呟いていた。
「……今、気づいたんだけど……そういえば、一つだけ利点があるよな」
「うん? 何について?」
乙葉が即座に聞き返すと、親友は何故か大仰に頷いている。
「今の性別と、この自転車との相性の話だよ。しばらく気づかなかったけど、これなら何も問題は起きないもんな。こういうのは、実際に両方の性別を体験してみないと実感できないもの……か」
「……いや、よく分からないんだけど?」
要領を得ないため、乙葉が首を傾げていると——
ここで、京華は女子なら絶対にあり得ない発言をしていた。いつもの真顔で。
「お前も本来は男なんだから、分かるだろ? サドルによってたまに引き起こされる……玉の事故のことだよ」
これを聞いて——
「——ッ⁉」
乙葉が完全に絶句している。その一方、京華は相手の心理には一切気づかない様子で、慌てて訂正をしていた。ズレた論点を。
「あ、今の……わざとじゃないぞ。意図的に掛けた訳じゃないからな。変に勘繰るなよ」
「……京華……」
「とにかく、女になって、それだけは良かったことかもしれないな。不意打ちで、あの苦痛を味合うこともないからな」
この断言に、一方の乙葉は片手で顔面を抱えながら呟く。
「……うん……それは……一旦、忘れよう。私達……今は女の子だよ? あまりにも世界が違い過ぎる話だよ……」
「うん? それは、ちょっと危うくないか? 元の男に戻った時、感覚を忘れてると非常に危険だ。その辺は、ちゃんと意識して——」
と、なおも京華が続けようとしていたが、乙葉が強引に話を打ち切っていた。
「——だから……もう、やめよう……」
この何やら強制的な口調に——
「……お……おう……」
京華も何かを感じ、思わず頷いている。すると、ここで乙葉が一気に気を取り直し、強引に本題へと戻していた。
「……それよりも……バイト先について、何か目星はあるの? 昨日、別れる直前に、ネットを使って自力で探してみるとか言ってたけど」
「あー、それなんだけどな」
一方の京華もすぐに切り替えると、一つの記憶を思い出す。
「実は、一か所だけ行ってみたいとこがあるんだ」
「一か所だけ?」
「ああ。あまり規模は大きくない地域密着型の喫茶店なんだけどな。あ……例の系列じゃないぞ……」
「……分かってるよ。普通の喫茶店……だよね。そっか……」
乙葉が何かを吹っ切ってから前向きな反応を示していると、京華はさらに続けていた。
「そこの評価を調べてたら、ちょっと気になる情報が書かれていたんだ。もしかしたら、俺達の事情をくんでくれるかもしれない」
ただ、この意味深な言い回しに、乙葉が首を傾げる。
「え? それって、どういう意味?」
だが、一方の京華は何か含みを持たせた言及に終始していた。
「まぁ……それは、行けば分かると思うぞ」
「?」
「とにかく、一度行ってみないか? 偵察の意味で。実は、バイトを募集してるかどうかも分からないんだよな、そこ」
「そうなの?」
乙葉のこの確認に、一方の親友は小さく頷く。
「ああ。だから、直接行って聞いてみたいんだ。それでダメなら、また他を探すしかないんだけど……」
「なるほど……」
その方針に乙葉が納得していると、京華は相手をすぐに促していた。
「場所は閑静な住宅街の中だ。名物のパフェなんかもあるみたいだから、それをつつきながら雰囲気を確かめてみようぜ」
「分かったよ」
一方の乙葉も首肯していたが、ここでふと疑問が脳裏を過る。
「ところで……そっちの懐具合は大丈夫なの?」
すると、京華は遠い目をしながら呟いていた。
「……昨日、家に帰ってから、速攻でリサイクル店に走ったよ。換金できそうな物は、とりあえず処分したよ。今日は……俺が全ての支払いを持つよ……」
「……なんていうか……ご愁傷様……」
乙葉も同情を禁じえなかったが、ここで再び疑問が生じて首を傾げる。
「あれ? そういえば、京華って甘いものに興味なんてあったっけ? 以前は肉の塊以外に興味がなかったような……?」
ふと中学時代の記憶をその脳裏に蘇らせていると、京華もそこで首を傾げていた。
「あれ? そういえば……確かに、そうだよな。なんか、味覚が変わってるのかもしれないな……」
どうやら、本人も気づいていなかったようだが、感覚の女性化が進んでいるらしい。一方の乙葉は不意にこの事実が確認できたことによって、満足そうに小声で独白していた。
「……うん……いい傾向じゃないか」
「うん? どした?」
「いや、なんでも」
と、上機嫌にもなってから、話を元に戻す。
「……よし。とりあえず、そこに行ってみようか」
「決まりだな」
京華も満足そうに頷くと、すぐにペダルを踏み込もうとしていた。
ただ、そこで——
「——?」
乙葉が急に何かを感じて、視線を明後日の方向へ。
「うん? どした?」
その様子に気づいた京華が何気に尋ねると、乙葉は首を捻りながら、駐輪場のすぐ傍にあるプールの施設を注視していた。
「いや、今そこの影から誰かの視線を感じたような……」
この直感的な言及に、一方の京華もそちらに意識を向ける。だが、どんなに周囲を窺っても、どこにも人の気配はなかった。
京華が緊張感を解きながら告げる。
「誰もいないぞ?」
「……気のせい……だったかな?」
それでも乙葉が首を傾げていると、ここで京華が適当なことを喋っていた。
「なるほど。もしかしたら、お前狙いのストーカーが現れたのかもしれないな」
「ええー……?」
「乙葉ちゃんは俺よりも女子力が高いからな。中身が男でも、騙されて寄ってくる男の一人や二人はいるのかもしれないな」
「……冗談はいいから。さっさと行くよ」
乙葉は半眼になってそれだけ告げると、親友を待たずに行ってしまう。まだ目的地を教えられていないにも関わらず。一方の京華はそんな反応を見て小さく苦笑すると、すぐに相手の背中を追っていた。
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