第三章 部活とアルバイト

第25話 部長への相談

 乙葉も京華も心苦しくはあったのだが——

 この件については、なるべく早く部長に伝達しておく必要があった。

「——え? バイトを始める?」


 場所は弓道場の奥にある畳の控室。部はその小部屋を多目的な雑用の場にしており、そこには部長の席もあった。放課後、いつものようにやって来た文奈がそこで事務作業をしていると、新入部員の女子二名が顔を見せる。そして、いきなりその懇願を聞くことになっていた。


 乙葉が申し訳なさそうに続ける。

「……入部早々で、すいません。でも、どうしても必要になって……」

「それって……ここを辞めるっていう意味じゃないよね?」

 この確認に、乙葉は即座に頷いていた。


「はい。在籍は続けます。練習にも出ます。ただ、他の部員ほど参加はできないかもしれないという話です」

 ただ、ここまで聞いた文奈は難しい顔になる。

「それは、また……厄介な話だなー……」

「……すいません……ダメ……でしょうか?」

「……うーん……」


 部長は、なおも困惑した表情だったが——

「——いいよ!」

 と、急にその雰囲気が反転。

『⁉』

 乙葉も京華もそれに驚いていると、文奈は少しだけバツが悪い様子になって、本当のことを喋っていた。


「……というか、兄さんからもちゃんと聞いてるからね。あなた達がバイトを始めたいとかいう話」

『え……?』


「社会勉強なんだって? 事情はよく分からないけど、大変だよねー。ま、うちに在籍し続けてくれるのなら、別にいいよ。部費の件もあるしね。ただ、試合とかへの出場の権利は著しく低下するけど、それでもいい?」


 この最後の確認に、乙葉がなんとか反応。

「それは……別に構いませんが……」

「……てゆーか、あの会長……どこから情報仕入れてくるんだ……?」

 一方の京華がその疑問に顔をしかめていると、ここで文奈が瞳に悪戯な色を宿していた。


「聞いた話だと……メイド喫茶に入店するんだって?」

 この戯言に——

『——ッ⁉』

 乙葉も京華も絶句してしまう。それには構わず、部長はなおも同じような調子で続けていた。


「いつか、私もそこに行ってみようかなー。二人がご主人様をお迎えしてるとこ、見てみたいし」

 その直後、乙葉と京華が立て続けに詰め寄る。


「——違いますよ! 誤報です!」

「まだバイト先も決まってないんすから!」

「えー? そうなのー? 楽しみにしてたのにー」

『⁉』

 それでも戯言をやめない文奈に、二人は困惑していたが、ここでようやく脱線していた話が元に戻っていた。


「……冗談だって。そんなに構えないの。とにかく、その件は了承したから」

「……ありがとうございます」

 乙葉が頬を引きつらせながらも、なんとか謝意を示している。すると、ここで文奈が何かを思い出していた。


「あ、そうだ」

『?』

 乙葉と京華がキョトンとする中、今度は文奈の方から少しだけ距離を詰めてくる。

「それよりも……例の水城浦響也君のことなんだけど」


 ただ、急に切り替わったこの話題に——

『——!』

 二人が少しだけ構えていたが、一方の部長は何も気づかずに続けていた。

「とりあえず、一つだけ教えてほしいの。彼……どんなタイプの娘が好きなのか知ってないかな? ちょっと勉強しておきたくてね」


 これを聞いて——

「……それは……」

 と、乙葉が戸惑っている。確かに、親友の以前の嗜好についてはよく知っていた。だが、そもそも、その男子はもうこの世に存在しないのだ。それを素直に話すことには、罪悪感があった。


 すると、ここで当の本人である京華が真顔になり、代わりに答える。

「知ってますよ。ここにいる……乙葉のような女子です」

 ただ、この突飛な発言に——

「——な⁉」

 乙葉が言葉を失っていた。それには構わず、なおも京華はその双眸に悪戯な色を宿している。


「ちょっとだけ聞いたことがありまして……経緯は詳しく話せませんが、乙葉のような清純な乙女が好みらしいですよー」

「……ッ……⁉」

「……ふーん……そうなんだ……」


 文奈は短く呟くと、何ともいえない視線を乙葉に向けていた。

「⁉」

 その無言の圧力に、乙葉がなおも絶句している。すると、部長は同じ調子で確認をしていた。

「そういえば、あなたの方は親族といっても家名が違うし、水城浦家とはそんなに近しい訳じゃないっぽいよね……」


 ここまで聞いて——

「——違いますよ!」

 乙葉もやっと抗弁を始める。

「私と彼の間に個人的な関係は何もありません! 変な想像をしないでください!」

「そうなの? だったらいいんだけど……」

「というか——京華……!」

 ようやく誤解が解けたところで隣に非難の眼差しを向けていたが、当の親友は小さく舌を出しながら視線を逸らすだけだった。


 一方の文奈はそんなじゃれ合いに小さく苦笑してから、改めて通知をする。

「……とにかく、要件は承ったから。あ、でも他の部員には、あんまり他言しないでね。これって、例外的な措置になるから。何か聞かれても、バイトは家の事情で押し通すように。それでも何かあった場合は、私の方に話を持ってきてもいいから」


 これを聞いて、乙葉も京華も姿勢を正しながら返事をしていた。

「……分かりました」

「肝に銘じておきます……」

 二人は小さく頭を下げ、同時に退出する。一方の文奈はそれを何気に見送ると、すぐに何かの事務作業へと戻っていた。


 とにかく、これでこの問題は解決したかのように思われたが——

 実は、そうではなかった。先程、三人が話し込んでいた控室の外。そこで、聞き耳を立てている者が一人だけいたのだ。その人物は中での話が終わりそうなタイミングを見計らって、そっと立ち去っている。乙葉と京華はそのことに全く気づかないまま、弓道場をあとにしていた。


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