第11話 思い出の場所
翌日の早朝。乙葉は目覚まし時計のアラームが鳴ったのと同時に、一気に意識を覚醒させていた。眠りはずっと浅かったようで、脳は既にフル回転している。そのまま急いで上体を起こすと、すぐさま自らの全身を確認していた。
昨日のことは——夢であれば良かったのだが。
「……うん……女の子発見……」
目が覚めても、それは現実のようだった。自身の性別は、どう足掻いても自然と元に戻ることはないらしい。乙葉は思わず重い溜息をつくと、改めて現在の時刻を確認していた。
今はまだ春休みの最中だったが、いつもより早起きをしている。無論、京華との約束があるからだが、それ以外にも理由があった。
昨晩のような一家団らんを、また繰り返したくないからだ。こうなった経緯はともかく、いずれはお互いに慣れるかもしれない。そんな風にも思っていたのに、実際はいきなりあの展開だ。気の知れた家族といえども、さすがに気色が悪かった。
とにかく——
乙葉はまだ誰もいないダイニングでさっさと朝食を済ませてから、こっそりと自宅をあとにする。自分の自転車は水城浦家の関係者にここまで運ばれていたようで、問題なくすぐに使用することができた。
そのサドルに跨ると、ペダルを踏み込んで颯爽とアスファルトの上を進む。男だった時よりも体力が若干落ちているような気もするが、さほど問題はないようだ。あまり気にせず、目的地へと向かっていた。
その後、数十分ほど移動すると——
やがて、目の前に大きな堤防が見えてきた。その先は碧原市と隣接する自治体の管轄になっており、中央には国が管理する長大な一級河川が流れている。それを跨ぐ形で県道が通っており、乙葉はそちらへと進行方向を向けていた。
ただ、そのまま橋は渡らずに、堤防の上へと進路を変える。そこからさらに河原へ下りると、橋の下でブレーキを掛けて降車していた。
そこには——
「——!」
既に、京華がいた。ただ、昨日とは明らかにその雰囲気が違う。
「……髪……切ったんだ」
乙葉のこの指摘に、京華は自身の長髪を撫でながら、渋い顔をしていた。
「ああ。さすがに、あれじゃ長過ぎるからな。本当はもっと短くしたかったんだけど……母さんに泣いて止められて……」
「……似合ってるよ?」
この感想に、一方の京華は半眼になる。
「それは皮肉か? お前まで巻き込んだことに対しての……」
「……本心からだよ。女の子にしか見えない」
乙葉が色々と複雑な心境で、そう述べていると——
「——葉一……覚えているか?」
と、京華が急に雰囲気を変えていた。
「——!」
乙葉が思わず気を引き締める中、相手は川面を見つめながら続ける。
「ここに初めて来た時のことを……」
「……忘れる訳ないよ。響也がいきなり上級生にケンカを仕掛けて……その時も巻き込まれたんだから……」
乙葉も同様にしながら投げやりに呟いていると、京華が口をすぼめていた。
「勝ったんだから、別にいいだろ……」
「あれは……引き分けだろ。いや……とにかく、痛かったことしか覚えてないよ」
この本音に、京華が返す言葉を失っている。ただ、すぐに気を取り直していた。
「……それからも、何かある度にここへ来てたよな。中学時代の思い出だ。まぁ、総じて苦い記憶の時だけど……」
「……だよね」
乙葉が短く反応していると——
そこで、京華が相手に向き直る。
「それが……今は俺達、こんな風になってるんだからな……」
「!」
乙葉も同様にする中、京華はお互いの様を再確認。
「とてもじゃないが……今のお前を見て、昔を懐かしむことなんてできないぞ」
「……同感だけど」
二人とも小さく苦笑していると、ここで京華が本題に入っていた。
「……とにかく、お前も聞いていると思うが……母さんがいうには、この性転換の術式の解読には相当な時間が必要になるらしい。かなり古いものらしいからな」
これを聞いて——
「——!」
乙葉は事実に上書きされたその欺瞞を、再認識していた。事前に晶乃からも聞いているが、その内容と相違はない。しばらく親友を騙すことになるが、ここは無言で肯定するしかなかった。
京華が続ける。
「それまでは……お互い、息を潜めて過ごすしかないよな。できれば、ここでの思い出が色褪せる前に解決できるといいんだけど……」
その直後——
「……うん? どした?」
京華が相手の表情を確認して、首を傾げている。
どうやら——良心の呵責が顔に出てしまっていたようだ。
「え……⁉ いや……別に……」
乙葉が慌てた様子で切り抜けようとしていると、一方の京華が勝手な解釈をしてくれていた。
「……ま、お互い、すぐには受け入れられないよな……」
「……そう……だね」
乙葉が心苦しく思いながらも、なんとか同意している。すると、ここで京華がその顔に前向きな色を宿していた。
「——それでも……!」
「?」
「本当は別々の進学先になるはずだったんだ。これだけは、幸運なのかもしれないな。事情を知っている者同士で助け合っていけるもんな」
その屈託のない笑顔に——
「——!」
乙葉が思わず見惚れていると、親友は静かに手を差し出す。
「これからも……よろしくな、葉一」
「……うん——」
と——
少しだけ俯き加減になりながら、乙葉はその手を握り返していた。
ただ——
「——でも……」
そこで急に雰囲気を変えると、真剣な眼差しで親友を見据える。
「うん?」
京華が訝る中、乙葉はその身を一心に案じながら、用意していた言葉をなんとか口にしていた。
「……だからこそ……これからの生活には、気を引き締めなくちゃならない。会話から素性が露見しないためにも」
「!」
「ぼ——いや……私は……乙葉。和泉乙葉だよ。そして……あなたは、水城浦京華」
この宣言に、一方の親友は思わず視線を泳がす。
「……二人きりの時はいいだろ」
それを見て、乙葉は深刻そうな顔で断言していた。
「いや、それだと、いつボロが出るか分からないよ。少なくとも、呼び名だけは舞台裏でも徹底しよう」
「……マジか」
「マジです。これからは、言葉遣いにも気をつけて。京華は……か弱い女の子なんだから」
このさらなる言及に、京華も渋々頷く。
「……それは……まぁ……分かった。俺も自身の置かれている立場は理解してるつもりだし……目の前のお前を葉一って呼ぶことにも抵抗があるからな」
納得はしていたようだが——
そこで何故か、その双眸に意味深な色を宿していた。
「ただ……」
「……ただ?」
乙葉が怪訝に思う中、京華は同じ調子で続ける。
「……昨日から思ってることだけど……このままだと、男を忘れそう気がする。それもマズい。そこで……」
と、何やら無表情になり、相手へとさらに接近していた。
「……京華?」
一方の乙葉が不審に思う中——
そこで、京華があまりにも突飛な行動に出る。
いきなり——相手の胸を両手で鷲掴みにしたのだ。
「——な……ッ⁉」
乙葉がその唐突な暴挙に硬直する中——
「……うん? これって……」
京華が何かに気づき、眉根を寄せている。だが、一方の乙葉はそれどころではなかった。
「い、いきなり——何するんだ……ッ⁉」
と、顔を真っ赤にしながら、親友の手を力一杯に振り払っている。しかし、その激烈な反応を見ても、一方の京華は平然としていた。
「……いや、さっきも言っただろ? 男を忘れそうだって」
「⁉」
「だから……お互い、ちょうどいいものを持ってるんだから、利用してみようかと。男としてのさがを忘れないために」
そう言うと——
まるで、おっさんがセクハラをするような表情になり、両手をニギニギしている。
「な……⁉」
乙葉がそれを見て絶句していると、急に京華が自分の胸を突き出してきていた。
「お前もやってみるか? お互い、男を忘れる訳にはいかないからな。今度はそっちの順番だ」
対等な立場という認識から、そのような推奨をしているようだ。ただ、一方の乙葉はそこで眩暈を覚えるだけだった。
今はお互いにフィジカルが本物の女子であるため、その行為に性的な情動は存在しない。だが、これだけは絶対にできなかった。
いずれは、京華が全ての真実を知る日が必ずくるのだ。目前の指示に素直に従った場合、乙葉——いや、葉一は未来での極刑が確定してしまう。それ以外の結末は、まったくもって想像ができなかった。
故に、無言でブンブンと首を横に振るしかない。何も知らない京華はそれを見て不満な顔になっていたが、そこでふと何かを思い出していた。
「あ……そういえば、さっき気づいたんだが」
「……?」
「お前……俺よりも胸、大きいよな……」
この指摘により——
「——⁉」
乙葉はここで、別の矢面に立たされる。再び絶句していると、一方の京華は小さな苦笑をしていた。
「……いや、別にいいんだけどな。俺達、本物の女子じゃないんだし。別に……何も気にしてないぞ」
「……そ……そう……だよね……」
「……まぁ……本物だったら、このまま川底に沈めてるかもしれないけど……」
ただ、無意識と思われるこの何気ない発言に——
「——⁉」
乙葉はもうパニック状態になっていた。
本物というのは、いったい何を前提とした条件なのだろうか。乙葉が本物の女子である場合と、そうでない場合。京華が本物の女子である場合と、そうでない場合。その組み合わせに本気度も加わり、何を意図した発言だったのか、さっぱり分からなくなっていた。考え過ぎではあったのだが。
「うん? どした?」
「………………いや……なんでも……」
「?」
京華がその様子に首を傾げていると、ここで乙葉がやっと迷いを断ち切っていた。
「——と、とにかく……! そんな雑事は横に置いといて!」
「⁉」
「まずは……生活用品を揃えよう! 京華……お昼からの予定は空いてる?」
急な提案だったが、親友もなんとか頷く。
「ああ……一応……」
「じゃあ……今日はそういう予定で! ただ、荷物が増える可能性があるから、足はそっちに任せたいんだけど……それでいい?」
「あ……ああ……」
「……じゃ、またあとで……!」
乙葉はそれだけ言い残すと、さっさと自転車に跨ってしまう。そして、一切振り返らずに、この場から消えていた。
一方の京華は相手の心理が全く分からず、その場に立ち尽くすしかない。
「……あいつ、なんであんなに焦りながら張り切ってるんだ……?」
思わず首をひねっていたが、分からないことを考えるのはやめにしたようだ。また、これ以上ここに留まっていても仕方がないため、乙葉と同じようにそのまま帰宅をしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます