第10話 自室で
ダイニングでの一悶着のあと——
乙葉は早々に食事を切り上げ、二階にある自室に籠っていた。その後、父親と母親が何度かノックをしてきたが、今日はもう家族の顔を見る気が一切起きない。そのままベッドにダイブをすると、あとは悶々としながら過ごしていた。
頭の中で繰り返されているのは、もちろん今日の出来事だ。激動の一日だった。自分が急に女の子に。あり得ないし、考えられない事態だ。これからの日常が平凡になるとは、到底思えなかった。
ただ——
現状、理解者が全くいない訳でもない。
「響也も……いや、今は京華……か。これからは呼び捨てだと……まぁ、それはいいか。今更だし。とにかく、現状では同じような境遇なんだよね。表面的には……」
それだけ呟くと、ここで少しだけ冷静になっていた。その京華よりも、むしろ真実を知っている自分の方が、幾分かマシではないのだろうか。徐々に、そう思えるようになってきていたのだ。
これからの人生を考えると、京華の方が余程過酷だろう。自身の方はいずれ男に戻れるのかもしれないが、彼女の方はそうではないのだ。不意に、その親友が男子だった頃の思い出を脳裏に蘇らせていると、急に居た堪れない気持ちになっていた。
「おばさんの思惑はともかく……僕が……しっかりするべき……なのかな……?」
最後は疑問形になってしまったが、とりあえず、そう結論付ける。次いで、上体を起こして座り込んでいた。
同時に、親友の母親との会話を思い出す。特に、最後の言及に関して。
「……念動力……か」
そう呟きながら、ふと念じてみる。すると、その見えざる力に反応して、近くにあった枕が虚空へと浮遊し始めていた。
か弱くなってしまった身体。その代わりに手に入れた剣。その表現が合っているのか定かではなかったが、これを駆使すれば裏から京華を支えることができるかもしれない。まだ何ができるか分からなかったが、それはこれからの課題だ。どのような進化をするのか、実験もしてみたい。ただ、これも京華には話せない事柄だった。
「僕の方にだけこの能力があったら、その理由まで深掘りされる……か」
間違いなく、そうなるだろう。この念動力を何かに使う場合でも、誰にも知られないように注意する必要があった。
ただ、現状では特に出番もないようだ。
「とりあえず……まずは、生活用品だよね……」
身体が男子から女子へ変化したとなれば、まずは着衣が問題になる。それをどうするのか。喫緊の課題として、これを優先的に考えておく必要があった。
「向こうは、どうするつもりなんだろ……?」
念動力を解除してからそう呟くと、改めて自らの全身を確認する。特に問題となってくるのは胸部だろうか。下に視線を落としながら、そんなことを考える。すると、ここで急にある義務に気づき、激しい羞恥心に襲われていた。
「……やっぱり……つけないと……いけない……よね……」
どうやら、人生で初めてそこに下着を装着する必要性があるらしい。自分の役割は、京華のお手本になることだ。そのため、これはどうしても避けては通れない道だった。
だが、実際の感覚が全く想像できない。そこで何気にそちらへと手を伸ばしていたのだが、自分自身で触っているうちに、徐々に変な気分になってきていた。
「……ん……」
と——
その刹那だった。
急に——
「——ッ⁉」
勉強机の上に置いていたスマホに着信音。乙葉が慌てながら画面を確認すると、そこにはまだ表示を変更していない親友の名前があった。
「——も、もしもし……?」
なんとか動揺を抑えながら出ていたのだが——
『……よう……自分のおっぱい揉んでるとこ悪いな』
まるで、こちらが見えているかのような第一声が。
「——な……⁉」
慌てふためいていたが、これは単なる戯言だった。
『……冗談だよ……俺も母さんから状況を詳しく聞いてな……ちょっと、まいってるんだ……』
これを聞いて、乙葉は自分自身を急速に落ち着かせる。必死の体で。
「……そ……そうなんだ」
次いで、すぐ状況確認に移っていた。
「……それで、どこまで聞いたんだ?」
響也——いや、京華は実の母親から、どのような説明を受けているのか。事前にある程度聞いてはいるが、細かい差異があるといけない。そのための確認だったのだが、何も知らない京華は電波の向こうで首を傾げている様子だった。
『うん? そっちと同じじゃないのか?』
「……確認だよ。一応……ね」
『……そういえば、母さんも口裏を合わせておけって言ってたよな……』
どうやら、フォローは完璧らしい。乙葉がそんな理解をしていると、ここで京華が一つの提案をしてきた。
『じゃあ……明日の朝一で会えないか?』
「え……」
『集合するのは……例の場所だ』
この二人にしか分からない言及に——
「——!」
乙葉は相手の心理状態を正確に読み取っていた。
京華も——不安なのだ。電波の向こうの相手が、本当に葉一なのか。乙葉は親友がいつ目覚めるか分からなかったため、こうして自宅に戻ってしまっている。洞窟の一件だけでは、まだ現実感がない様子だった。
京華がそんな心情を隠そうとしながら、気丈な様子で続ける。
『……どうする? 電話だけで済ませておくか? それでも問題はないことだけど……』
その心理を再び読み取った乙葉は、最初の提案の方を選んでいた。
「……いや……直接会った方がいいかもしれない。行くよ」
『……分かった。じゃあ、また明日。こっちの予定が確定したら、詳しい時刻をメールで送っておくよ』
「うん……」
そんな短いやり取りをして、親友との通話を終える。そして、ベッドの上で仰向けになってから独りごちていた。
「……声だけだと……本当に響也だって、まだ認識できないもんな……向こうも、そうだろうし……」
実際には——
乙葉も同じ感覚なのだ。これから、親友とどう向き合っていくべきなのか。近いうちに、それを決めないといけない。その点については、晶乃からの嘆願も関係はなかった。
やはり、すぐに面を合わせる必要があるだろう。ただ、相手の真実を知った自分が、実際どう動くことになるのだろうか。それが自身でも全く分からず、ベッドの上でしばらく身悶えすることになっていた。
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