第8話 白羽の矢

 葉一が呆然自失の体で押し黙る中——

 一方の晶乃はその心情を理解しつつも、さらに説明を続けていた。


「……京華が男子として生きる期間は、十代の中盤……つまり、今の時期までという約束でした。それ以上続けると、男子としての意識が強くなり過ぎますからね。その後は術式を解き、本来の性別として生きてもらう。その予定だったのですが……」


「本来の……」

「……ですが、友人のあなたなら充分に知っていると思いますが、響也は相当わんぱくに育ってしまって……」


 それは——

「——⁉」

 今までの記憶を振り返れば、確かにその認識で間違いはなかった。二人の思い出の中でも、特に否定的な出来事は、ほとんどそれが原因で引き起こされている。そんな苦い過去を思い出していると、一方の晶乃はそこで何故か小さな舌打ちをしていた。


「……それは、夫の最後の抵抗だったのでしょう。男子の心をその奥底に植え付けてしまえば、本人自身が元の性別には戻りたくなくなるだろう、と。そういった思惑で、私の目を盗んで男子としての生き様を叩き込んでいたようなんです。ただ……その計画には、致命的な欠陥がありました」


「欠陥……?」

「……はい。そもそも、その術式を赤子の時からずっと継続した場合のデータは、元から存在していません。これは極めて特殊なパターンですからね。ただ、最近になってようやく判明したのですが……このままその効果を延長しようとすると、京華の精神が崩壊してしまうことが分かったんです……」


 これを聞いて——

「な……ッ⁉」

 葉一もやっと切迫した状況だったことを知る。そのまま沈黙していると、晶乃は想像通りの決断を口にしていた。


「ですから……やはり、このタイミングで術式を解除するしかありませんでした。でも、先程も言いましたが、あの子は完全に男として育ってしまっています」

「!」


「このまま術式を解除して、京華は本当に女の子としてやっていけるのか。真実を知っても、現実を受け入れることができるのか。それらの点が、とにかく不安でした。今の京華は、あまりにも男性性が強過ぎます。ただ、女性らしさを強制的に押し付けることもよくありません。ですが、これでは現実問題として、どうしても歪みが出てくることでしょう。そこで——」


 と——

 晶乃が急に満面の笑みを見せる。明らかに作られたものだったが。

「……ゆっくりと導いてくれる者が必要になったんです」


 一方の葉一は——

「え……?」

 何か——

 何か嫌な予感を覚えていたが、脳が思考することを拒否している。だが、一方の晶乃は構わずに喋っていた。


「何も知らない京華の傍に自然と寄り添い、ちゃんとした淑女に導いてくれる存在。そういった方がいれば良いという結論に達しました。ただ、それにはあの子と同じような境遇であるという絶対条件が必要です。そこに共感があるのとないとでは、言葉の重みが違いますからね。だからこその……性転換なのです」

「……え……?」


「……先程の洞窟では迂闊な発言をしてしまいましたが、あの子が意識を失う直前の記憶は消しておきました。目覚めた京華は引き続き、自分が男から女に性転換したと思い込んでいることでしょう。そこから、感覚を徐々に女性の方へと慣らしていく。そして、最終的には立派な淑女に。その段階になったら、本人にも全てのことを打ち明けるつもりです。それまで、同じような境遇の者を補佐役として傍に立てる。そういった目的で、白羽の矢が立ったのが……」


 ここまで聞いて——

「………………僕……ですか?」

 葉一は、自らに人差し指を向けている。それを見て、一方の晶乃は再び満面の笑みになっていた。


「ご理解が早くて助かります。あなたの性格と娘との関係性を考慮すると、これ以上の適任者はいませんでした。それと、もう分かっているかと思いますが、先程の洞窟での体験は、新たな術式の構築と古い術式の解除を同時に行った結果ですよ」


 淡々と語っている一方——

 ここで、葉一の目から——完全に光が消える。

「……あー、なるほど……確かに、親友の僕なら彼の性分や癖とかもよく知っていますし、客観的に考えても適任ですよねー……」

「ご理解が早くて助かります。では、早速詳細を詰めて——」


 と——

 そのまま事が運ばれようとしていたが——

「——って——」

 無論、葉一には許容できるはずもない。


「——ちょっと——待った——————ッ!」

「⁉」


 一方の晶乃もさすがに目を丸くする中、葉一はテーブル上でジリジリと距離を詰めていた。

「……あの……何か一つ、重要なことを忘れていませんか……?」

「……なんでしょう?」


 この惚けた様子に——

「——僕の——意思確認ですよ……ッ!」

 葉一は憤慨するしかない。


「……水城浦家の事情は分かりました! でも……僕の基本的人権はどこに行ったんですか⁉ 全部、話が勝手に進んでるじゃないですか! そもそも、これって僕になんのメリットがあるんですか⁉」


 今まで——信頼していたのに。この一家の全てを。

 それが裏切られた者の、普遍的な反応だった。


 思わず、烈火の如く怒り狂っていたのだが——

 一方の晶乃は、それを見ても冷静だった。

「あなたの言い分も分かりますが……既に、和泉家の了承は得ています」


 その発言を聞いて——

「………………は?」

 葉一は——

 再び、何か嫌な予感を覚える。


 それを証明するかのように、ここで晶乃が事実を暴露していた。

「あなたは知らないかもしれませんが……お父さん、かなりの借金を抱えていましてね。それも、破綻寸前の」

「な⁉」

「それをうちで肩代わりすると言ったら、全てを了承してくれましたよ。あなたの性別を差し出すことに関しても」


 これを聞いて——

「——あの……クソ親父……ッ!」

 葉一は思わず天を仰ぐ。前から自堕落な親だとは知っていたが、それがこんな事態を引き起こすとは夢にも思っていなかった。家に帰ったら、真っ先に問い詰める。そう心に誓いながら、拳を強く握り締めていた。


 すると、ここで晶乃がさらに暴露する。

「それから、今日の計画も全て、そちらのご家族の協力があった上で実行されています。全員知っていることなので、このまま帰っても何も問題はありませんよ」

「——ああッ! それで……ッ!」

 自宅を出る前の、家族のいつもとは違う対応。それを、ようやく思い出していた。どうやら、全員がグルらしい。その事実に、葉一はもう愕然となっていた。


 だが、一方の晶乃は、やはり気にせず確認だけをする。

「……とにかく、ご理解いただけましたか? 全てが終わったら元に戻して差し上げますので、その点はご心配なく。我が家のコネを使えば、そこから先の情報操作も簡単に行えますので」

 同時にフォローもしているようだが、葉一は頭を抱えて唸るのみ。


「……ハメられた……完全にハメられた……」

 しかし、それを聞いた晶乃が、ここで火に油を注いでいた。

「あら? あなたは、まだ処女のはずですよ? いつ姦淫したのですか?」

「そういう意味じゃありません!」

 葉一が顔を真っ赤にして叫ぶが、相手はなおも誤解を続けていた。


「まぁ、あなたがこれから女の子をどう楽しむかは自由ですけど……あまり乱れないようにね。娘にも影響するので」

 話が——全く通じない。葉一の内心では、今までの彼女の人物像が一気に崩れ去っており、再び頭を抱えることになっていた。


「……あ……悪夢だ……」

 すると、晶乃が場を仕切り直す。

「では……ここからは、これからの予定をお話ししましょうか」

「……!」

 葉一がなんとか視線を戻す中、相手は再び懐中から何かを取り出し、テーブル上を滑らせていた。


「今後、あなたにはこちらの生徒手帳を持っていただくことになります」

「え……」

 一方の葉一が戸惑いつつもそれを手にすると、晶乃はここでさらに裏工作の一つを暴露する。


「既に進路は決定済みだと思っていることでしょうが……実は、それにも根回しを行っていまして」

「⁉」

「あなたには……これから和泉乙葉として、京華と共に碧央学園へきおうがくえんに進学してもらいます。本来の進学先よりも良い環境ですし、こちらで学費は全て受け持つので、何も心配はいりませんよ」


 そう断言する中、一方の葉一は虚ろな目で確認をする。その生徒手帳の表紙に記載されている安直な自身の偽名を。ただ、そこでふと何かに気づく。

「……うん? 碧央学園? あそこって……確か、共学だったような? 話の流れからすると、お嬢様学校にでも入れられるのかと思いましたけど……」

 この疑問に、晶乃は小さく首を横に振っていた。


「今の京華では、そこへの進学はまだハードルが高いでしょう。それに、健全な男子との触れ合いも重要だと思います。女性としての感覚を取り戻すためには。ただ、そうではない虫が寄ってきた場合は、排除の方向で動いてください。手段は問いませんので」


 この丸投げの方針に、一方の葉一は適当に反応するしかない。

「……あー……そうですか……」

 それを見てさすがに不安になったのか、晶乃が確認するように念押しをしていた。


「繰り返しますが、娘の傍に寄り添い、立派な淑女になる手助けをする。それがあなたの任務です。学園の方には他にも色々と手を回しているので、そちらに専念してください。その辺も追々説明します」


 すると——

「——とにかく……!」

 と、ここで葉一が急に吹っ切れる。

「!」

 相手が驚く中、これからの方針を不承不承に飲み込もうとしていた。確かに、この状況は青天の霹靂だが、未来が全くない訳ではないのだ。


「……響也——いえ……その……京華が立派な女の子になれば……本当に元に戻してくれるんですね……?」

 この最終確認に、晶乃はしっかりと頷く。


「無論です」

「……納得は……できないですけど……」

 一方の葉一は、そう呟くだけで精一杯だ。なんにせよ、ここまで外堀が埋められてしまっていては、簡単に突っぱねることもできなかった。


 すると、ここで晶乃が急に何かを思い出す。

「あ、そうそう。これを言い忘れていましたね。今のあなたには、素敵な贈り物が届けられているはずですよ」

「へ……?」


「この性転換の術式は対象が若い男性である場合、ポジティブな副作用があるんです。無理に本来の性別を封じていますからね。その有り余る力が漏れ出て、念動力という超能力として発現しているはずです」


 これを聞いて——

「——⁉」

 葉一の脳が停止。あまりにも唐突で荒唐無稽な話だったが、一方の晶乃は構わずに促していた。


「ちょっと……それに念じてみてください。やり方は自然に分かるはずです」

 と、テーブル上の半月盆に視線を移している。一方の葉一はもうヤケクソだったが、言われた通りに意識をそちらへと移していた。


 すると——

「——ッ⁉」

 その半月盆が——いきなり宙に浮いていた。明らかに物理法則を無視している。慌てて念じることを停止すると、その物体は勢いよくテーブル上に落下していた。


 目の前が少々散らかってしまっていたが、晶乃は気にせず続ける。

「と、こういう訳です。その力を用いれば、なんらかのトラブルが起きても回避ができるかもしれません。それから、この念動力は超能力という概念の基礎のようでして、色々と進化することもあるらしいです。是非、試してみてください。過去には、他者の心臓を握り潰せた例もあるみたいですよ」


「な……⁉」

 その物騒な応用に葉一が言葉を失う中、一方の晶乃はここで慇懃に頭を下げていた。

「では、そういうことで。娘のこと……これからも、よろしくお願い致します」


 どうやら——

 全てを受け入れるしかないらしい。特に、性転換に関しては、この人物しか元に戻せる方法を知らないのだから。


 ただ——

「……まるで嫁入りですよ……」

 葉一は目の前の光景を見て、その指摘をしておくことだけは忘れなかった。


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