第4話 好嫌

「やらかしちまった……」


 里見に怒られた翌日。桜田は、昨日の自分の行動を恥じた。

 子供と同じレベルになって騒いで、結果的に大人に怒られて。これじゃあ嫌っていた子供そのものじゃないか。

 桜田はため息をつきながら、落ち込んでいても仕方ないと頬を叩く。

 この失態は、仕事で補わなければ。


「桜田く〜ん」


 ビクッ、と里見の声に肩を震わせる。

 昨日の一件以来、この男を怒らせることに少し怯えている自分がいる。


「峰山君のことでちょっと。黒井さんが呼んでるよ」

「黒井さん?」


 黒井さんとは、確かあの黒スーツの男性だったか。

 それが自分に、一体なんの用だろう。


「わかりました」


 何はともあれ、せっかく呼んでくれたのだ。この機会に、色々話を聞いてみるのも悪くない。

 桜田はそう思い、黒井の待つ部屋に向かった。




「やあ、初めまして。峰山君を担当しています、黒井です」

「桜田です。あの……、どうして自分を?」


 柔和な雰囲気を漂わせる、スーツ姿の若い男性。常に微笑んでいるその姿は、見る人に安心感を与える。

 この人が、黒井さん。

 桜田は名乗りながら、本題を切り出していく。


「君が峰山君と仲良くしていると聞いてね。僕個人としても興味を持ったんだよ」

「いやいや、仲良くなんて全然ですよ」

「ははは、それはまぁ本人に確認するとして。実は君に質問があってね」


 そう言って黒井は、優しげに微笑みながらこう尋ねた。


「桜田君。君はどうして、子供が嫌いなのかな?」

「なッ、……どうしてその質問を?」


 喉に引っかかった言葉を飲み込みながら、桜田は動揺する。

 桜田の言葉に、黒井は至極当然だと頷きながら口を開く。


「気になったんだ。どうして子供嫌いの君が、ここで働いているのか。なぜ、峯山君を気にするのか」


 柔らかな笑顔の影に潜む、真剣な眼差し。

 桜田はゴクリと喉を鳴らしながら、ゆっくりと話し始める。


「……物心ついた時から、俺は子供が嫌いでした」


 それは幼少期の記憶。子供嫌いの、始まりの物語。


「よくある話です。ある日クラスの中で、いじめが起きたんです。自分は傍観者で、その様子をただ見つめる事しかできませんでした」


 いじめというのは、生きている内なら誰しもが一度は見る光景。

 悲しくも、それを実際に経験した人間が少なからずいるということも、また事実である。

 子供はまだ精神的に幼く、未熟であるが故に。平気で他人を傷つける。


「平然と他人を泣かせ、傷つけ、心を殺す。こんな未熟な生物を、人間と認めていいのか? 自分はそう思いました」


 だから自分は子供の頃、あまり友達がいなかった。

 友達ができたのは、周りの精神年齢がある程度成熟してから。


「子供だから許せ。そう思う人だっているでしょう。でも、俺は許せなかった。他人に迷惑をかけた奴は、大人になっても同じことする」


 桜田は心の底で思っていた。

 幼少期に歪んだ性質は、大人になってもその本質は変わらない。


「俺は、今出会っている大人たちが、幼少期どんな子供だったのか知らない。立派に見える大人だって、知らず知らずのうちに罪を重ねていたかもしれない」


 桜田は、小さく呟いた。



「それが、



 ドロっとした掃き溜めのような言葉は、桜田の心の底に眠っていた歪みであった。

 黒井は否定することも、口出しをすることも無く、ただじっと頷いて聞いていた。

 そしてその言葉を受けて、ゆっくりと口を開く。


「なるほど。それが君の本音か」

「自分でも歪んでるって、気持ち悪いってわかってます。考えた方が極端だし、それでよく友人からいじられることもあるので」

「その考え方は、君の一部だ。否定なんてしないし、それもまた一つの真実だよ」


 落ち着いた口調で語りかける黒井の言葉は、ただひたすらに他人に寄り添うものだった。

 しかし、話はそこで終わらない。


「だけどね、桜田君」


 黒井は努めて冷静に語り出す。


「君は、子供のことを知ろうとしたことはあるかい?」

「知ろうと……?」


 そんなこと、あるはずが無い。

 今まで、私生活でも子供のいる場所を避けてきた。


「厳しいことを言うようだけど、君は自分で考えられる人間だと信じて話すよ。君が子供のことを知ろうとしないのは、クラスでいじめが行われている時に傍観者であった事と、何も変わらない」

「……ッ」


 言葉の刃が胸に突き刺さる。

 それは今まで考えないように逃げてきた、桜田の核心を貫かれた気分だった。


「傍観者でい続ければ、悩まなくて済むから楽だろう。だが、一歩踏み出せば新しい景色が見えてくる」


 それは、厳しくも優しい言葉。


「子供というのは成長する生き物だ。君はまだ、それを知らない」

「……今さら考え方を変えるなんて、俺には」

「できるさ! 成長するのは、子供だけじゃない」


 黒井の表情は、柔和な雰囲気のそれに戻っていた。

 その瞳はどこまでも優し気で、心の底から桜田のことを気遣っているように見えた。


「現に。峯山君に対して君は、自ら知ろうと行動してるじゃないか。大丈夫、変われるよ」

「……まだ少し難しいですけど。俺、峯山君に謝ってきます!」



 その言葉に何を感じたのか、桜田は椅子から勢いよく立ち上がる。黒井に対して深々と頭を下げると、そのまま部屋を飛び出していく。

 その背中を眺めながら、黒井は思った。桜田は今、変わろうとしている。

 傍観者から、勇気を持って一歩踏み出した。それがどれだけ難しいことなのか、自分は知っている。

 だからこそ、ただ祈る事しか出来ない。あとは、二人だけの問題だから。


「ふう……」


 黒井は小さくため息をつく。

 すると突然、コンコンという音が響き渡る。黒井が視線を向けると、ゆっくりと扉が開かれ、一人の男性が入ってきた。

 里見である。


「お疲れ様です」

「いえ、これで良かったんですよね?」

「それはもう、十分です。ありがとうございました」


 里見は満足そうに頷きながら、感謝の言葉を述べる。

 その姿があまりにも自分の知っている様子とかけ離れていたため、黒井は思わず体を震わせる。


「やめてください、柄じゃないでしょう。……それで、これからどうなると思いますか?」

「そうですねぇ。この結果が吉と出るか、凶と出るか。あとは二人次第ですよ」

「……そうですか」


 黒井はポツリと呟きながら、ただひたすらに願った。

 どうか彼らが、互いの懸け橋にならんことを。


 そんな様子を尻目に眺めながら、里見は誰に聞かせる訳でもなく小さな声でささやいた。


「頑張れ、桜田君」




 ○




 いつも通り、彼はそこにいた。

 一人で本を読む様はしっくり来ていたが、やはりどこか孤独を感じさせる。

 ペラペラと本をめくる音しか聞こえない世界に、桜田は土足で上がり込む。


「峯山君」

「……なんですか?」


 ジトっとした視線が桜田を貫く。

 相も変わらず壁を感じる言葉に一瞬気圧されるが、グッと堪えて立ち止まる。

 そして膝をついて、深々と頭を下げた。


「ごめんッ!」

「……ッ、なっ! 何がですか!?」


 突然の桜田の奇行。思わず反射的に大声を上げてしまう。

 桜田は構わず、続けざまに口を開く。


「昨日は大人げなく絡んだ挙句、君まで巻き込んでしまってすまなかった」

「別に、そんなこと気にしてないですよ」


 峯山はただ冷静に言葉を返した。

 その対応は、本当に心の底から気にしていないのだと感じさせる。

 いや、違う。

 そもそも大人に対して、初めから期待していないのだ。


「俺は昨日。無理してるって指摘された時、図星を指された。あんなに自分の心の内を暴かれたのは、初めてだったから」

「…………」

「歩み寄ろうともしない癖に、ずけずけと一方的に話しかけ、挙句の果てに怒られる。まったく、滑稽だよな?」


 そうだ。

 黒井の言葉が、今も自分の胸に残っている。傍観者でいることは、あの日、自分が最も嫌悪していた子供と同じ。

 身勝手で、わがままで、平気で他人を傷つける。


「それで? 何が言いたいんですか?」

「――だからッ!」



 変わりたい。

 悩み続けてもいい。傷ついてもいい。恐れずに、正直に、一歩踏み出すんだ。



「君のことをちゃんと知りたい。好きとか嫌いとかじゃなくて、俺は君と分かり合いたい」

「…………ッ!?」


 その言葉に、峯山は目を見開いた。

 初めて出会った時のような、上辺だけの感情ではない。この言葉は、噓じゃない。

 それが、桜田の真剣な眼差しから感じ取れる。


 峯山は、呆然と口を開く。


「……どうして。あなたは、子供が嫌いなんでしょう?」

「あぁ、嫌いだ」

「ならどうして!」

「どうせ嫌うなら、ちゃんと知ったうえで嫌ってやる! 知ろうとすらしないのは逃げだって、叱られちゃったからさ」


 峯山は思う。

 この人は、今まで会ってきた大人と少し違う。

 現状から逃げる訳でもなく、見てみぬふりをする訳でもない。真正面から、自傷覚悟でぶつかってくる。

 こんな大人、自分は知らない。


「……わかりました。でも最初に言っておきます。僕も大人が嫌いです」

「奇遇だな。なら、どっちが先に相手を好きにさせるか――」


 桜田は、拳を前に突き出した。



「勝負だ」



 差し出された拳を眺めながら、峯山は思う。

 この人は、自ら変わることを選択した。自分と同じ、対極に位置する存在でありながら、一歩踏み込んできた。

 では、自分はどうする。

 子供と大人、好きと嫌い。一方が変わりつつある中で、自分が取るべき選択とは。


「やっぱり。子供相手にグータッチって……」

「おい、それに関してはただの悪口だぞ。許してねえ!」

「うるさいな! そもそもあなたが――」


 図書室に二人の喧騒が飛び交う。

 この後、すっ飛んできた里見に二日連続で怒られた二人は、大人しく話し合いをするようになった。




 そしてこの日。彼らは、変わることの勇気を知った。

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