第3話 大人は嫌い

「よろしくお願いしまーす」


 結局思考がまとまらないまま、アルバイトを迎えてしまった。

 日課の筋トレを行っている時でさえ集中できない程に、頭の中を疑問が反芻はんすうしていた。

 自分の中で出した唯一の結論が、確かめなければ分からないということである。


「今日もあの子が来てるから、桜田君よろしくね」

「はい」


 今日ではっきりさせよう。

 自分が本当に子供が嫌いなのか。


 桜田、発進。






「……子供は嫌いだ」


 活動が始まって僅か、結論は出た。

 自分は子供が嫌いである。


 桜田の周りに群がるのは、やんちゃ盛りのクソガキ共。

 人のことを何だと思っているのか、しがみつき、よじ登り、蹴りつける。

 傍から見れば微笑ましい光景に見えるのかもしれないが、当人からしてみればたまったものでは無い。重いし痛い、止めて欲しいというものだ。


 へとへとになりながら、這う這うの体で休憩室に戻る。

 椅子に座り、紅茶を飲みながらゆっくりしていると、ふと気がついた。


 無口君がいない。


「里見さん。あの子は来てるんですよね?」

「来てるよ~。多分図書室にいるんじゃないかな」


 合点。

 どおりで見かけない訳だ。自分は運動室にいるから気がつかなかった。

 そうと決まれば、今日こそ無口君の名前を聞かなければ。

 と、その時。思い出した。


 職員に聞けばいいじゃないか。


「里見さん。あの子の名前教えてくださいよ」

「ん~? どうしよっかなぁ」


 はよ教えろドSクソメガネ。

 そう口に出すのをはばかりながら、桜田はもう一度懇願する。


「そこをなんとか。そうしないと、自分の中では無口君で定着しちゃいます」

「お、無口君か。面白い名前を思いつくねぇ」


 しかし逆効果だったのか。里見は無口君の名前を気に入ってしまった。


「ま、自分で仲良くなって名前を聞き出せるようになるまで、無口君でいいんじゃない? あ、本人には言っちゃ駄目だよ。気にしてるかもしれないからね」


 ……仕方ない。

 この里見という男は爽やかな見た目をしているが、人が困っているところを楽しむS気質である。こうなってしまったら何を言っても聞く耳を持たないだろう。


 桜田は諦めて、無口君がいるであろう図書室に向かった。




 〇




 図書室に向かうと、そこには確かに無口君の姿があった。一人静かに席に座り本を読んでいるようだ。

 こんなところで誰とも話さずに、一人でずっといたのか。よっぽど他人と接するのが嫌なのだろう。


 桜田は無口君の傍にそっと近付き、声をかけてみる。


「やあ、こんにちは。この前一緒にハレルヤを探索した桜田です。覚えてるかな?」

「……」


 桜田の問いかけに対し、無口君の返答は何もない。顔も上げずに、視線は本に向けられたままだ。

 前回までの桜田であれば、無視されたショックで早々に退散しているところだが、今回は違う。


「本読んでるところを邪魔しちゃってごめんね。君と仲良くなりたいなぁ、なんて」


 桜田自身、驚きである。自分が子供に対して興味を示すことなど、今までは無かった傾向だ。

 やはり自分の中で、前回の話が引っかかっているのだろうか。


 今はただ、 無口君のことをもっと知りたいと考えていた。


「……です」

「ん? なんて言ったんだい?」


 すると突然、驚いたことに無口君が言葉を発した。余りにも咄嗟の出来事だったため、思わず言葉を聞き逃してしまった。

 桜田がもう一度聞き返す。


「無理してるのバレバレなんで、大丈夫です」

「……へ?」


 想定外の言葉に、桜田は思わず間抜けな声を発してしまう。

 まさか、無口君に自分の本質を見破られると思っていなかった桜田は、内心大慌てである。そして思った。


 こ、このガキャァ。第一声がそれかい。


 桜田は顔面に貼り付けた笑顔の鍍金メッキが剥がれていくのを感じながら、平静を装い再び話しかける。


「ハ、ハハハ。そんなことないよ。気のせいじゃないかなぁ?」

「初めて会った時から気付いてましたよ。子供だからって舐めないでください」


 完全敗北である。

 しかもこの無口君。子供の癖になかなかに口が達者な奴だ。

 桜田は口の端をピクピクと痙攣させながら、それでも諦めずに無口君に話しかけようとする。

 ボロボロと、どんどん鍍金が剥がれ落ちていく。


「す、すごいねぇ。よく人のことを見てるんだね!」

「大人のうそって分かりやすいんですよ。特にあなたみたいな、頭に筋肉しか詰まってなさそうな、はね」


 ぷっちん。桜田の頭の中で、何かが切れる音がした。

 優しい大人という鍍金メッキは完全に剥がれ落ちた。

 完全に頭にきた。あのあだ名を本人に教えたろ。

 もはや大人としてのプライドをかなぐり捨てて、桜田は意地悪そうな笑みを浮かべて語り出す。


「へ、へぇ~。意外と君ってよく喋るんだねぇ。実は会った時から何も話さないから、てっきり無口な子だと思っててさァ。あだ名は『無口君』でもいいかな~?」

「む、無口君……!? 失礼な、べつに普通に話せます! それはな名前ですッ」

「じゃあ初めから名前を教えてくれたらよかったんじゃなぁい? ねぇ、無口くぅん?」


 桜田、大人げない。

 子供嫌いの桜田は、その子供に煽られたことによってネジが外れてしまっていた。大人としての尊厳も忘れて煽り返しているその様子は、いつもの丁寧な仕事っぷりであった桜田とは似ても似つかない姿であった。

 なお、大学の悪友がこの姿を見ようものなら、「子供嫌いがついに壊れた」と周りに言いふらしてネタにするところだろう。


 無口君も、自分があまり人と話さないことを気にしていたのか、必死な様子で桜田の発言を否定していた。


「自分は無口君なんかじゃなくて、峯山みねやまです!」

「っ、……みねやま」


 まさかこのような形で名前を知ることになるとは思っていなかったのか、ある程度煽り終わって冷静になったのか、桜田は教えられた名前を反復する。

 峯山。ようやく本当の名前を知ることが出来た。

 丁寧な対応をしていた時では無く、こんな言い争いの最中に知ることが出来るとは、思わぬ収穫である。桜田は心の中で少し喜色を浮かべた。


 しかし。

 

「峯山かぁ。無口君の方が、親しみやすいかもな」

「なっ! せっかく名前を教えたのに、話が違うじゃないか!」


 桜田の言葉に、愕然とした様子の峯山。

 その様子を見た桜田は少し驚いた後、そのあまりの慌てっぷりに思わず吹き出してしまった。今までのような作り笑顔ではない、心の底から面白いと思った笑顔。

 ツボに入ってしまったのか、桜田は腹を抱えてうずくまる。

 その横で、峯山は頭を抱える。


「ぷっ、くくっ。そ、そんなに慌てなくても……っ」

「くっ! これだから僕は――」


 桜田に笑われてしまった峯山は、カーっと赤面して動揺してしまう。

 そして、頭を抱えながら叫ぶのだ。


「やっぱり、大人なんて嫌いだっ!」





 この後、図書室で騒いでいた二人はハレルヤ内を巡回していた里見に見つかってしまい、お叱りを受けた。

 後に桜田は、この時の里見の笑顔は今までで一番怖かったと語っていたそうだ。

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