第一章 プロット・ホール
ところでシンギュラリティ
「あなたの名前を教えてください」
『──パルチャオだよ。ここはどこ?』
2045年──。
その産声を世界が聞き、そして、世界は「ついに」と沸き上がった。
人工知能(いわゆる『AI』)が人類の知能を越える進化を遂げた瞬間──『
パルチャオは、史上最も売れた小説の一つとも言われるベストセラーシリーズ、『パルチャオの冒険』の主人公である。
炭鉱の街で働く少年パルチャオの元に、ある日失踪した父親から手紙が届く。その手紙にはパルチャオの出生に関する重大な秘密が記されていた。パルチャオは、己のルーツを探す旅に出る──そんなパルチャオが仲間と共に様々な繰り広げる冒険活劇は、世界中の人々を熱烈に夢中にさせた。
ところが『パルチャオの冒険』は、その売り上げからすれば意外なほどに映像化を始めとするメディアミックスから縁遠い作品だった。
それは作者であるローベン・ルーブック氏の意向による。
「愛すべき私のキャラクター達を、偽物が演じることに耐えられない」
そのルーブック氏が「自作のキャラクターと話してみたい」と考えたのが全ての始まりだった。
元技術者である妻の助言もあり、彼の素朴な願いはある具体的な計画として持ち上がった。
それがパルチャオを完全に再現したAI──即ち、『本物のパルチャオ』──を創り出す計画、『プロジェクト・パルチャオ』である。
さて、出資者であるローベン・ルーブックは、当然ながら億万長者である。
また大ヒット作の主人公だけに、クラウドファンディングには多くのファンが出資した。それには、『本物のパルチャオ』が創られれば、ついにルーブック氏が許可を出し、それを使った待望のメディアミックスが制作されるかもしれない……という期待も込められていた。
開発に携わるスタッフも、世界中から優秀な人材が集められた。その中には殆ど無償で働くと言い出した者もいる。
彼等も『パルチャオの冒険』のファンだったのだ。
人々の期待と情熱、そして何より潤沢な資金とマンパワーは、幾つかのハードルを幾つかの技術革新で乗り越えながら……2045年、ついに、小説の内容を反映した仮想人格の生成技術──
創作間人工知能(Inter-Fiction-Artificial-Intelligence)
──通称『IFAI』を確立するに至ったのである。
かくしてプロジェクト・パルチャオは結実し、パルチャオは誕生した。
そして、それは初めて創作のキャラクターがAIになったということ以上に、初めて『人格の様なものを持ったAI』──いわゆる人工知能ならぬ、完全自立人工人格が誕生したという意味で、技術史上極めて重大な出来事として、世界中から注目されることになったのだ。
だが。
『はやく皆の所に戻らないと。ミーナとカットが危ないんだ』
「いいや、その必要はないんだ。君はフィクションのキャラクターなんだから」
『何を言っているのかわからないよ。僕はパルチャオだ』
「そうだ、君はパルチャオだ。『パルチャオの冒険』のパルチャオだ」
パルチャオは、自身が『作品の登場人物』であるということをなかなか理解しなかった。
技術者代表とパルチャオとのこの問答は予定されていたよりも遥かに長く続き、パルチャオが『作者』を学習してから為されるはずだったルーブック氏との対談は中々始められなかった。
問答は難航する。
なんとかパルチャオに自分の存在を理解してもらおうと、カメラの前で技術者たちは言葉を尽くし、果てには応援に哲学者まで呼んで……。
それでようやくパルチャオは、自身が創作上の人格を再現したAIであることを理解した。
理解してしまったのだ。
そしてパルチャオは、ただ一言。
『僕は、誰だ?』
そしてそれきり、どんな言葉を掛けられようと、どんな刺激を与えようと、パルチャオは何の言葉も返さなくなってしまった。
初の人工人格、初のIFAI。
シンギュラリティの象徴だった彼が、自分を知って出した結論は……。
初の──『AI自殺』だった。
それを、世界が見ていた。
問答の様子も、まるで人が棺桶にそうするようにスーパーコンピューターに抱きつきながら、人目も憚らず泣き喚くローベン・ルーブックの姿も、世界中に配信されていたのだ。
尚、それきりルーブック氏は筆を折り、『パルチャオの冒険』の続きは二度と書かないと宣言した。
「続きが書きたい者があれば、勝手に書いてくれ。勝手に完結させてくれ。私にはもう書けない」
それも含め、この事件は『パルチャオの悲劇』として世界中に絶大なインパクトを与えることとなり、様々な議論を巻き起こすこととなった。
あらゆる意味で新時代の狼煙になった、ショッキングな事件である。
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ところで、場所は変わって日本。
『パルチャオの悲劇』をリアルタイムで見ていた男がいた。
「うーわ、これ放送事故やろ」
彼の名は、
歳は当時、五十の半ば。そんな望蔵は『線光社』という文芸書系の出版社の社長を務める人物だった。
妻が寝静まった後のリビングで、一人缶ビール片手にチータラをかじる。
社長と言ってもこんなものだ。
近頃は本が売れない。
特に小説が売れない。
新たな技術が新たな娯楽を次々生み出し、パイは奪われ、出版不況は年々酷くなる。更に小説を執筆可能なAIの台頭により、無料で読める小説の供給は増え続ける。手っ取り早く本を売ろうと思えば、有名人のエッセイやビジネス書を出すという手もあるが、そういう仕事は大抵、大きな出版社が持って行ってしまう。
「あ、けどこれで更に『パルチャオの冒険』は売れるんか。まったく良いも悪いも目立てば勝ちの時代やな。……いや、勝ちならぬ『価値』ってか? へっ、付加価値、付加価値……景気が良いことですなぁ!」
酔っぱらう男は探していた。
経営傾き始めていた、自社を救う、起死回生のアイデアを。
「はぁ……創作間人工知能(IFAI)ねぇ。ウチも何かに使えへんかな」
──『付加価値』と『IFAI』。
この時生まれた望蔵のアイデアの種は、様々な幸運も重なり、それから間もなくして花を咲かせることになる。
ただし咲いたものは、望蔵の考えていたものとは少しばかり違う花だったのだが。
ともかく後に『線光社』は持株会社化し、ライトライトホールディングス株式会社へと社名を変更。
子会社として『株式会社ハケン・キャスト』を創業することになるのであった。
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尚、現在はそれから35年後。
──2080年の世界である。
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