【第3話】 後輩

   【  現実世界  14:00  】

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   株式会社ハケン・キャスト本社ビル

         東棟3階 

         喫煙室            

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 喫煙室。

 フロアの端に隔離するように設けられたその小さなスペースは、社内の利用者も少なく、一面がガラス張りで人が来ればすぐにわかるという、密談にはもってこいの場所だった。

 現在、利用者は二名。


「んー、『針が12時を指す前に』に出向いた架空営業課トゥルーマンね? ……えーっと、はいはい、ザビンか。担当は『ザビン・エットワット』だ。今期の営業成績トップの男だよ」


 パイプ椅子に座した株式会社ハケン・キャスト営業部長──田中花子(本名:大鐘おおがねかせぎ)は、部長用のデバイスをちょちょいと操作し、徳川の疑問にあっさりと答えた。


「ふっ……ザビンなら今は西のオフィスにいるはずさ、聞きたいことがあるのなら行ってみたまえ、徳川君」


 田中は紫煙をくゆらしながらキリリとした目で徳川を見ると、真っ赤な口紅を引いた口の端を薄っすらとだけ上げて、キメた顔をした。

 まるで後輩に缶コーヒーを奢ってやったみたいな「ま、気にすんなって」的したり顔──外面だけなら如何にも仕事が出来そうなキャリアウーマンだが。


「あのな……田中部長」

「はい」


 こめかみを抑え、徳川は首を横に振った。


「一応『準機密情報』でしょう。聞いておいてなんですが、教える前に事情を聞き返すなりしてきてください」

「あ、確かに!」


 田中の上辺はあっさりと崩れ、本来の『大鐘かせぎ』が顔を出す。

 その笑顔はあっけらかんというか、すっからかん。

 徳川にとっては、相変わらずの笑顔である。


「アッハー! なんでっスか?」







 お世辞にも優秀とは言えない彼女が、二十代という若さで部長というポジションに就いているのには理由があった。彼女の父親である大鐘銭助せんすけが、株式会社ハケン・キャストの現社長なのである。

 ちなみにその前の社長は大鐘望蔵、彼女の祖父だ。

 要するにコネ入社とコネ出世の合わせ技。『社長令嬢』という上品な響きの単語も、こういう風に行使されたとなると途端に生々しく聞こえてしまう。


「フゥー……。だからね、聞いてくださいよぉ。部署のみんなが冷たいっていうか! ねぇ、あいつら『部長は何もしないでください』とか言うんスよ!? ひっでーのなんの! ……だからこうしてヤニ吸いながら機密を漏洩させることくらいしか、できること無いんスよねっ!」


 渋い顔で煙を吐き出し、田中は仕事の愚痴と言うにはおこがましい愚痴を零した。


「いや……だから何もするなとか言われるんだろ?」


「っと、君ぃ、部下が上司にそんな口を利いてもらっては困りますなぁ、敵わんですなぁ! 社内風紀がなんたらですなぁ! アッハー!」


 何が面白いのか、田中は上機嫌にバシバシと徳川の背中を叩く。

 妙にテンションが高い。

 部下と上司の話を持ち出すならこれはパワハラだろう。


「いやねぇ、私だってねぇ、私が営業向きかって言われたらそりゃノーなのはわかりますよ? けどそんなの入社前からわかりきってた話じゃないスか。だから作家っぽい業務の支援課ゴーストライター配属を希望してたのに、社長パパがあそこは激務だから駄目だって言ってきて。無理やり営業にねじ込まれちゃって、参っちゃいますよねぇ」


「……まぁ。んむ、聞かなかったことにしますよ」


 激務は事実だが、そう認識しているのなら社長には何とかしてほしいものである。

 失言した自覚が無いのか、田中は頭の上に『?』を浮かべたまま無邪気な笑顔を浮かべていた。


 田中は、昔から人付き合いが大雑把だ。

 心の繊細さや機微といった類に疎く、営業には向いていないと徳川も思う。

 箱入りだからか、中身が実年齢よりも若い……というか、幼い。


 徳川と田中は、かつては同じ大学の文芸サークルに所属していた、先輩後輩の間柄である。

 それで例えば、徳川に『フランケン』というあだ名を付けたのも彼女だった。それも出会ったその日に、「先輩ってフランケンシュタインみたいっスね、『怪物くん』の」と言ってきた。初対面の先輩を怪物扱いである。

 小説家志望ならせめてメアリー・シェリーの方だろ……とか。

 そっちは博士の名前だからややこしいのか……とか。

 にしても古いな……とか。

 面食らった徳川は何と返せばいいかわからず、結局「おう」とだけ答えてしまい、なんだか同意したみたいになって、その日からあだ名が『フランケン』になった。

 なお名付けた本人は、その後長いからと『フラ先輩』と呼ぶようになった。




「しかしそっか、派遣ミスかぁ……で、『上層部の陰謀』ね。なんだかフラ先輩の好みっぽい展開? ミステリチックっていうか?」

「む」


 不意に、徳川は心を突かれた。

 そうなのだ。元推理小説作家である徳川には、自身を突き動かしている動機がひょっとしたらそういう『好み』なのかもしれないという、不安があった。

 果たして自分は冷静に物事を認識できているのだろうか?


「……やはり田中部長も、現実感がないと思われますか?」


「やー、どうだろう。取り敢えず社長パパならやってもおかしくないいかな。ほら、金の亡者だし」

「お前、父親に随分な口だな」

「アッハー! 反抗期なもんで!」


 自分の歳考えろと言いたくなるけれど、まぁ、家庭の事情は人それぞれだろう。

 短くなった煙草を灰皿の中の濁った水へポイっと捨てて、田中は唸る。


「ま、でも、うーん。私も変だとは思う……かな?」


「んむ、お前からしてもやはり、二つもミスが重なるとは考え難いか?」

「いやいや、そこじゃなくて……というかぶっちゃけそこはあんまわかんないっス! スターシステム部の零課・一課で依頼が混ざるって、そんなあり得ない話なんスか?」 


「……俺からするとそうなんだが」


 そう言われると、少し不安になってくる。


「営業部としては、この感覚よくわからないか?」

「やだなぁ、営業部だからじゃないっスよ。私は弊社ウチの仕事全般がよくわかってないんス」

「……」


「コホン。ただね、流石に私の部署については多少の知識はぁ~ある訳さ」


 田中は、出来ない後輩から出来上司へと切り替えて、どや顔で語り始めた。


「いいかい、営業部の架空営業課の業務というのは、『完結代行』を依頼してくれそうな作品に出向いて、完結代行について説明し、了承を受けてくることだ」


「知ってます」


「いやいや、冷たっ! こっからっスよ!」


 田中の出来る感はあっさりと崩れる。


「話聞いてて思ったんスけど、『針が12時を指す前に』の登場人物達って、その完結代行について誤解してませんか?」


「ん?」


「だってそうじゃないスか。『話が無茶苦茶になるから』って『異世界転生』を嫌がってたそうっスけど、どう考えても。私だったら自分の作品にされるの絶対嫌だし?」


「む……」


 自社のサービスに対して『あんなこと』とはまた随分な物言いだ。一応営業職なのに迂闊にもほどがある。……が、これに関しては徳川も内心同意していた。

 そうだ、完結代行とはそういうサービスだ。

 春木落葉や鈴蘭涼に情報が正しく伝わっていたとすると……コジカから聞いた反応は、言われてみれば違和感がある。


「なるほど、確かに」


 俺の感心した顔を見て、田中は満足気にパチンと指を鳴らす。


「ということは、多分依頼主は『完結代行』を勘違いしている。けれど、架空営業課トゥルーマンが説明不十分だったなんて前例は、私の知る限りは無いのだよ。徳川君。依頼を貰えた場合にせよ、断られた場合にせよ、片方依頼カタイラにせよ、両方依頼ダブイラにせよ……彼らは依頼人への情報伝達を完遂してきた。何せ彼らはだからね」


 田中に『私の知る限り』と言われると、少し不安が残るが。


「つまり……依頼主の誤解という、『三つ目の前代未聞』ですか」

「そうそう。そんなわけで、私は変だと思った……ぜ?」


 良しか悪しか、ここいらで少し冷静になってみようと田中の意見を聞いた徳川は、結果更に上層部への疑いを強める根拠を得てしまった。

 少なくとも『何かがおかしい』という感覚は、ほとんど確信になった。




「ありがとうございまず、大変助かりました。それでは、この件はくれぐれも内密にお願いします」


 徳川は田中に礼を言ってパイプ椅子から立ち上がる。

 営業部から当たったのはトップが元後輩というイージーさ故で、意気込みはまずは周辺調査程度だったのだが、ともするといきなりクリティカルだったかもしれない。

 次の目的地は架空営業課のオフィスだ。

 ザビン・エットワットという男に会って、色々と話を聞く必要がある。


「あ、ちょっと」


 喫煙室を出ていこうとする徳川を、田中が呼び止める。


「あの、提案なんスけど……次会う時までにお互い、キャラどっちで行くか固めときませんか!?」


「む」


「や、敬語使う側がコロコロ入れ替わって、お互い呼び方も定まんないし……なんか途中気色悪くなかったスか? やりにくいったらありゃしねぇ! 私、すーっと酔いそうでした」


「それは、全くもってその通りだな」


 同じ会社で働いてはいたが、徳川と田中が二人きりで会話らしい会話をしたのは久々のことだった。

 他の職員の前では徳川はきっちりと目上である田中への敬語を崩さず、田中も妙なできる奴ロールプレイを徹底している。

 だがいざ二人で喋ってみると、気を抜けば昔の関係性が顔を出して、どうしても混ざってしまう。


「どっちでいくか決めましょうよ、これここで決めとかないと今後面倒っスよ」


 今後、か。


「んむ。しかし意外だな、お前がそんなことを言い出すとは」


「え、ちょっと、私を何だと思ってるんですか!? 意外と繊細なとこあるんスよ」


「意外なのは認めたか」


「アッハー! ほんとだ、こいつぁ一本取られましたなぁ!」


 田中はがははと馬鹿笑いをしながら頭を掻いた。

 徳川は溜息を吐く。


「ま、一番手っ取り早いのは、周りに人がいようと二人だろうと、俺が一貫して敬語を使うことですね。それこそ〈二刀流〉ジョー・ハウンドのように、表と裏で同じキャラを通すという訳です」

「嫌っ!」


 田中は急に真顔になって、ぶんぶん首を横に振った。


「それは嫌っス、私的にNG」

「む」

「ま~だ、表でもフラ先輩が上から来られた方がマシっスかね」

「……いや、それは俺が困る。誰に対しても示しがつかんだろ、『社内風紀がなんたら』だ」

「風紀がなんじゃい!」

「お前が言ったんだよ」


 しかし、こうなると結論は一つしかない。


「なら、わかった。人前では俺は『徳川支援課課長』でお前は『田中営業部長』」


「で、二人なら昔みたいに『フラ先輩』と?」


「……『大鐘』だな」


 ただの昔の呼び方とはいえ、会社内で社長と同じ苗字を呼び捨てるのは少し抵抗があった。


「アッハー! 別に『かせぎ』でも良いんスよ?」

「勘弁してくれ」


 徳川は喫煙室の扉に手をかける。

 その去り際に、田中は徳川へと言葉を投げかけた。

 

「昔みたいに飲み行きましょ、フラ先輩」




「──もう避けないでくださいよ?」




(……まぁ、バレてるか)


 返事はせずに、徳川は喫煙室を出た。

 学生時代吸っていた煙草を辞めたのは、会社の喫煙室で田中と出くわしたくなかったからだ。ガタイの割に情けない中身に、ほとほと嫌気がさす。

 

(結構普通に話せたな)

 

 疎遠になったのは、田中が悪い訳じゃない。

 原因は、作家を辞めた自分という存在を未だ定められず受け入れられないでいる、徳川自身にあった。

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