第3話 義務感のような、おまじないのような
GWが明けた三日後の登校日。俺は、丁度お昼休みに学食にいた原さんに声を掛けた。マスクを外した彼女の顔をちゃんと見るのは、卒業写真以外で初めてかもしれない。
「あの、原さん……」
俺が声を掛けると、原さんは一瞬きょとんとした顔をしたあと、マスクを掛けて直して「天沢君?」と言って笑った。学食のテーブルには全てパーテンションが備え付けられているし、換気もしてある。余程のことが無い限り、ほとんどの人たちがマスク無しでパーテンション越しに話をしているが、原さんはそうじゃないらしい。
俺は律儀な人だな、と彼女に対して初めてそんな印象を持った。
「どうしたの? あ、どうぞ、どうぞ座って。今日は、私一人だから誰も来ないし」
彼女はそういうと、目の前の席を勧めてくれる。高校のときに同じクラスだったけれどあまり話すことが無かったので、どんな反応をされるかと思ったが、あまり抵抗を感じることがなかったので、俺は心底ほっとした。
俺が座るや否や、原さんは「天沢君はお昼は食べないの?」と聞いた。彼女はすでにカレー(だと思われる)を食べ終えていたため、手に何も持っていなかった俺を気遣って言ってくれたのだろう。
「食べるよ。でも、あの……えーっと、ちょっと聞きたいことがあって」
すると彼女はぱちぱちと目を瞬かせたあと、はっとして「もしかしてスーパーでのこと?」と聞いてきた。俺はちょっと意外で、驚く。
「あれ、気づいてた……?」
「従業員さんの格好しているから、最初は分からなかったんだけど、顔を見たらすぐわかったよ」
「ホント? 俺、マスクされるとあんまり顔がよく分からないから……原さん、すごいね」
「そっか。私は目元とその人の背格好で結構分かるんだ」
「そうなんだ」
「うん。あのときは友達があの辺に住んでいて、お菓子を買うために一緒に行ったんだよ」
「そうだったんだ」
「うん」
原さんがそう答え終えると、「それだけ?」とキョトンとした顔で尋ねられ、俺は慌てた。
「ああ、そうじゃなくって……。そのおじいさんの小銭拾ったあと、手のこと話してただろ?」
「ああ、これのこと?」
そう言って、彼女は両手を開いて見せてくれる。
「ぼろっぼろだよね。みっともないなぁとは思っていて、クリームは塗ってんだけど、やってもやっても治らなくてさ」
原さんは、はははっ、と力が抜けた笑いをする。目が元々大きいためか、それとも化粧のお陰か分からないが、感情の機微が分かり易い。だが、高校でクラスは一緒だったのに、こんな風に笑うことがあることは初めて知った。
「それって、アルコール消毒でなってんの?」
俺が尋ねると、原さんは頷いた。
「うん。新型コロナが広まってからかな。手洗いの回数が増えたし、どこへ行ってもアルコール消毒するようになってこの有様」
一時期、ニュースになっていた。
どこへ行っても、消毒、消毒、消毒……。そのせいで、手が荒れる人がいると。
しかし、最近はそんなニュースもされなくなった。そういえば、マスクを掛けるのが苦手だっていうニュースも、新型コロナが広がっていたときに流れていたけど、今は全く聞かない。苦手な人は克服したのだろうか。それとも上手い対策方法ができたのだろうか。
ニュースの内容はいつでも、視聴者が強く気になっていることとか、話題になっていることが中心で、人々の目がそこから離れていったものは、そのあとどうなったのか流さないんだなとぼんやり思う。
「でも、やらなくてもいいんじゃない? あれは任意だし、手が荒れる人なら
店に設置されていた消毒に関しては、店員さんが見ていない限り誰も何も言わない。新型コロナが広まり始めた最初の頃は、全員がアルコール消毒をしていたが、それをすることによって手が荒れる人もいるため、各自の判断にゆだねられていた部分がある。
「まー、そうなんだけど」
「……?」
原さんは少し言いにくそうにしつつ、自分の手がこうなってしまったことを話してくれた。
「弟がね、喘息持ちなんだ」
「え……」
「だから、何か義務感みたいな、おまじないみたいな……そんな感じ」
原さんは努めて明るく話す。
しかし俺は、持病を持っている人が新型コロナに罹った場合、重症化するリスクがあることを思い出し、ハッとする。原さんの弟も、それに該当するということだ。
「今はワクチンもあるし、お互いがちゃんとマスクをして話をしていれば、それなりに予防効果もあるのも分かるんだけど、ついね、しちゃうんだ。でも、こんなに手が荒れてたら意味ないよねー」
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