第2話 おじいさんの手

 大学生になってから初めてのGW。俺はスーパーで、レジ打ちのアルバイトをしていた。


 学費は両親が払ってくれているが、物価が高騰こうとうし生活にゆとりがあるとは言えない。そのため、自分が欲しいものは出来る限り自分で買えるようにという理由と、社会経験をするという意味で始めた。


 中学生のとき、授業の一環で「職場体験」なるものをしたことはあるが、実際にお金を貰うとなるとやはり想像とは違うことが沢山ある。ミスをしないように気を付けなければいけないし、常に敬語を使わないといけないのも緊張する。


「いらっしゃいませ」


 俺は自分の体に染みつき始めた挨拶をすると、次に並んでいたおじいさんのカゴを、ゴム手袋をかけた手でこちらに引き寄せ会計を始めた。

 マスクで顔は見えないが、長袖から出ている細腕と垂れた肌を見る限り、80歳を過ぎていそうだった。買ったものは、レタス一つ、トマト一個、キュウリ一本、食パン三枚切り一袋、納豆三パック、豚のばら肉二百グラム、それと煎餅一袋。購入したものにあまり重いものはない。持って帰るのも一苦労、ということだろう。


「お会計は何でなさいますか?」


 俺が尋ねると、おじいさんは「現金で」と言ってくれる。俺はほっとして、パネルを押し「現金支払い」の設定にした。

 俺が何故ほっとしたのかというと、80歳近くのおじいさん、おばあさんがレジに来ると支払いが一筋縄ではいかないことがあるのだ。それをレジ打ちをして初めて気がついた。


 彼らは自らの子どもや孫たちから、「電子マネーで買うとお得だし、楽だよ」と勧められ、使い始めたのはいいのだが、使い方が全く分かっていないのだ。

 多分、子も孫も「店に行けば店員が教えてくれる」と思っているのだろう。確かにそうだ。そうではあるが、スマホを使うことすらおぼつかない老人に、「ここを押して」「これをこうして」と説明するのは思った以上に大変である。


 レジが忙しくないときはまだいいが、混雑したときに説明を求められると最悪だ。後ろに立つ若いお兄さんやお姉さんは、スマホと睨めっこをしてはいるものの、体から「早くしろ」オーラが見えて来て、俺は怯えてしまう。


 若い客はハイテク化により何でも楽になってきているが、それに追いつけない人たちが社会に取り残されていく。その現状を、レジ打ちをしていてひしひしと感じていた。


「あの、大丈夫ですか……?」


 俺はおじいさんに尋ねた。がま口の財布からお金を出せないでいるのだ。紙幣がまとめて折りたたまれて入れられているせいかと思ったが、彼の手をよく見たら酷く荒れていて、痛みで力が入らないようだった。


「いや、すまんね。ちょっと手が——」


 その瞬間、がま口に入っていた小銭が飛び出して、チャラン、チャリンと音を立てて落ちた。どうやら紙幣を引き抜いた際に、硬貨も一緒に出てしまったようである。


(わわっ、どうしよう!)


 俺が慌てていると、おじいさんの後ろにいた女性が、カゴを置いてさっと動いてくれた。俺がわたわたとしている間に、彼女は小銭を拾うとわざわざハンカチで軽く拭いてから、その上に載せて渡したのである。俺は内心「後ろにいい人が並んでいて良かったー」と安堵した。


「これで全部だと思います」

「ありがとう、お嬢さん。すまないね」


 おじいさんはほがらかに笑って受け取った。


「いいえ、とんでもないです」

「いやぁ、毎日手を洗ったり、アルコール消毒ばかりしているせいで手がこんなになってしまって、手が上手く扱えないんだよ。医者に薬を貰う始末さ」


 そう言っておじいさんが申し訳なさそうに手を見せると、女性は頷いた。


「分かります。私も手洗いやアルコール消毒で手荒れていますから」


「ほら」と笑って言って見せた白い手は、確かに荒れていた。俺はふと女性の方を見ると、マスクを着けていたがどこか見覚えがあった。この人は確か——原さんだ。


 松岡が言っていた「原さん」だ。間違いない。


 だが俺は何事もなかったかのように、彼女には「ありがとうございます」とお礼を言った。原さんは一人で来ているわけではなく、俺の知らない女友達と来ているようだったので、それ以上声を掛けることはせず、おじいさんには「大変ですね」と言いながら、支払いをゆっくり待ったのだった。


 

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