第67話 昌泰の変
年が明けた昌泰四年(九〇一年)
新年の儀礼も終わった正月の末
藤原菅根が右大臣菅原道真を謀反の容疑で朝廷に告訴した。
罪状は『斉世親王に己が娘の娶せ、法皇に接近。親王を新帝にするために法皇の後ろ盾を得て、帝を廃位に追い込む事を画策した』との事だ。
直ちに衛門府から兵が派遣され、道真が捕らえられて収監される。
道真のもとに時平が訪れる。衛兵を下がらせ、二人になる。
「これは身に言われなき事ゆえ、どなたかの讒言と思われるが、如何かな」
道真は至って冷静な態度で時平に問う。
時平は苦しい胸の内を打ち明ける。
「法皇様が我等藤原の者を退けたいお気持ちはわかっております。なれど我等のみならず、源家の方々も冷遇されていると私のもとに来られます。このままですと帝と法皇を奉って臣下の者同士が争いごとになりかねません」
道真は目を閉じて黙っている。
仮に道真が捕まった事を契機に立ち上がるものがあれば、この余りに理不尽な罪状に真っ向から抗うであろう。たがそのような者はいない。
法皇が自分を利用している事は分かっている。
(この先に自分の居場所は無いであろう。これも帝がお認めになってのことなのであろうな)
暫く沈黙した後、時平が口を開き頭を下げる。
「右大臣卿にはこの嫌疑を認めて頂きたい。それでなければ臣下の者らを纏めることができません」
(基経殿のお子も、このようなことができるようにまでになられたか)
そもそも藤原家とは何の遺恨も無い。
道真の捕縛を知った法皇はすぐさま内裏に向かう。
朱雀門まで辿り着くと、そこで衛兵に立ち止められてしまう。
衛兵も法皇だとわかるが、立場上、如何なるものでも通す事が許されない。
「法皇が帝を訪ねるのに一々とどめ置くとは何事じゃ」と叱責される。
「役目上のことにございますれば、ご容赦願います。ただいま昇殿している公卿の方に問い合わせ致しますので、しばらくお待ちください」
気の利かぬ者めと苛立ちを覚える。
暫くすると蔵人頭の藤原菅根が現れる。
「右大臣捕縛の事で帝に話しがある。門を開けてくだされや」
「法皇様と謂えども、今この刻限に門内に入ることは許されませぬ。時を改めておいで下さいませ」
「事は急を要する。直ちに通されたい」
半ば命令に近いもの言いとなる。
既に道真は謀反の罪を認め、処遇が決まった。ここで法皇に暴れ回られては困る。すると菅根はあの事を持ち出す。
「これは先帝たるあなた様がお決めになられた事にございます。朝廷の許しなく私の一存でことを曲げる訳にはまいりませぬ。御了承下さりませ」
かつて自身が帝であった頃、陽明上皇が時を構わず内裏に出入りする事があった。
自身が正統な皇位継承者などと常に吹聴している者が、内裏を無用に歩き回られては、たまったものではない。
その事から上皇の内裏の出入りを厳しくする勅令を発した。
法皇は歯がゆい思いをし、その場を去るしかなかった。
事件後に改元が行われ、元号は「延喜」となる。
太宰府に左遷となった道真は、その二年後、失意のうちにこの世を去る。(享年五十九)
藤原時平は、事件の翌年に三十九の若さで突如薨去する。
首謀者とされる源光は事件直後に、右大臣に任命される。しかし、その数年後に不慮の事故で沼に落ち、溺死している。
時平に好意的で事件の前に中納言となった源希も事件の翌年に病死している。
事件から時が流れた延喜八年(九〇八年)秋
藤原菅根は内裏からの帰路、落雷により死亡する。
更に時が経った延長八年(九三〇年)に清涼殿に落雷があり、かつて左遷された道真の監視役をしていた藤原
これらの一連の不幸な出来事から、世間の人々は道真の祟りと伝えている。
そもそも道真には権力欲も、藤原氏から政権を奪い取ろうなどとは思っていない。寧ろ左遷は息詰まる都から離れられて、せいせいしたのではなかろうか。
人を恨む様な人物には思われないが、左遷先での衣食などの扱いが悪いことから、日々の暮らしで苦しめられたことは事実だ。
道真の怨霊などと言うのは、道真の失脚を惜しむ者が作り出した政治を司るものへの戒めではなかろうか。
その後、正二位左大臣、正一位太政大臣の位を贈られていることから、怨霊への鎮撫がまことしやかに行われた事でもそれが伺える。
事件後に時平は自身の反抗勢力を一掃するが、十年も立たない内に関係するものが世を去り、居なくなる。
時平ら関係者が居なくなり、臣下の者の力が弱くなった事で、宇多法皇が願った親政を醍醐天皇は本人の思いとは別に実現するのである。
北家の後継者には、道真に好意的であった時平の弟の忠平がなり、時の天皇から重用される。
忠平の子孫にあたるのが、藤原氏の栄華を極めた伝えられる道長、頼通にあたる。
彼らは天皇の下、藤原北家が政の中心となる世を治める。
冬嗣、良房が願った時代をその後、武家と言うものが現れるまでの百有余年を繋いゆく。
(おわり)
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