第65話 対立の兆し
昌泰二年(八九九年)
この年に叙位、除目の任命でそれそれの立場が大きく動く。
藤原時平が左大臣に、菅原道真が右大臣にそれぞれ任命される。
能有が亡くなって以来、二年ぶりに大臣職を持つものが任命されたことになる。権大納言の源光が大納言に任官され、中納言の藤原高藤が大納言に任命される。
参議の源希が他の参議らを押し退けて従三位に昇進し、中納言に任命される。過去に上皇の蔵人頭も歴任しており、帝の覚えも目出たいことがその要因と思われる。
蔵人頭の藤原定国は参議に順調に昇進する。
空席となった蔵人頭には、上皇の推挙もあり、在原友于が再び任命されることになった。
光孝帝を父に持つ源貞恒は、一族のものを呼びつける。
「上皇は藤原のものを遠ざけるような振る舞いを見せておいて、なぜ身内の我らを昇進させぬのじゃ。そればかりか学者あがりの道真如きものを優遇するのか」
即座に反応したのは、この年に六十九になった年長の直だ。
「余もそう思う。余なぞは任官されても断るつもりでいたがの」
直は既に従三位だが、中納言に任命されなかった。
「いずれかの者が任命されるのであればと思っていたが、そもそも余たちを推挙する者が居ないでは無いか」
「言われて見ればそうであったわ」
「余は、一度皆で職務の遂行を放棄して我々の思いを訴えてはと考えているのだが。如何であろうか」
「いつぞやであったが、亡き基経殿が阿衡の職のことで、職務を放棄したことがあったの」
「それは良き考えにござるな。我らを無下に扱えぬよう知らしめようではないか」
「たしかにの。やってみる価値はありそうなものじゃ」
参議の直、貞恒、湛、昇らは翌日から屋敷を出ることなく、職務を放棄した。太政官から政務が滞っていると知らされた上皇は、道真を呼びつける。
「源家の者らが出仕しなく、政務に支障を来しているとは誠のことか」
「上皇様。事実に相違ございません」
上皇はかつての阿衡事件のことを思い出す。
(なんとも嘆かわしいことかのぉ。余の思いなど通じない者らよな。己が栄達のことしかないのか)
「亡き太政大臣が職務を放棄したおり、その方が諫めてくれた。こたびも、あれらのものを諫めては貰えぬか」
「上皇様。あの折わたくしは、閣僚ではありませんでしたので、基経殿も意を汲んで頂けたものかと。こたびは己が人事のこともありますれば、わたくしの声など届かぬものかと」
「では余から諭すより他に無いか?」
「はい。上皇にとって彼らは無二の存在であり、これまでと変わらず帝のために尽くして頂きたい旨を伝えるべきかと」
「つまりは謝罪しろと言うことじゃな。一度ならず、二度までもこのようなことになろうとは」
忌々しいが政のことを考えると致し方ないと思わざるを得ない。
帝の威厳など無いと嘆く上皇であった。
上皇の命として道真は、彼らに謝罪し、働きに見合った昇進を行うことを約束した。
貞恒は、この後、十年を経て大納言までに昇進する。
湛についても、この後、十五年を経て大納言までに昇進する。
直は高齢であったため、二年後に薨去する。
だが、これは上皇の推挙ではなく、このあとに起きる事件で上皇がなりを潜めたことによるものである。
醍醐帝は憂鬱な日々を送っている。
上皇からは譲位をするにあたり、藤原のものを極力遠ざけ、道真を信頼して頼るよう諭された。元服してもはや、十七。物事の分別はできる。
上皇になってからも道真だけを頼っており、縁者たる源家の人たちを粗略に扱っているように見える。と言うよりは近しい存在なだけに意に背かないの安心しているのだろうか。
それどころか、娘を左大臣に嫁がせているものまで現れているほどだ。
源家との団結が無ければ到底、藤原家と対抗など出来ないことは誰にでもわかる筈だ。
(やはり藤原家無くしては、公卿たちが上手く纏まらないのではないか)
藤原家との融和を考える帝に、左大臣となった時平から縁談の話があがる。
「帝も元服したればこそ、良き妃をお迎え頂きたいと願っております」
「そうであったな。何処かに良き娘御が居られるのか」
「恐れながら、身共の妹の
「そうか。妹御なれば亡き太政大臣のお子でも在られるのだな」
「はい。十五になりますれば、帝とも釣り合いが取れるものかと存じます」
「そなたらの妹君なれば良く出来た方であろうな」
「まだ幼きものなれば、帝のお役に立てるように言いつけます。帝と共に良き世をお作り頂ければ何よりにございます」
(力のある左大臣と縁戚になるのは大事なことだが、上皇はお許しくだされるであろうか)
「有難き引き合わせに感謝しますぞ。上皇にお話した上、お答えします」
「はい。それがようございます。良きお返事をお待ちしております」
更に時平は、上皇の第八皇子にあたる敦実親王にも娘を嫁がせている。
母が亡き藤原胤子であることから親王に取っても有難い話だ。
帝の婚儀の話を聞いた上皇は、清涼殿を訪れる。
帝を見るなり𠮟りつける。
「藤原の者に力をつけるような行為は慎むよう言いつけたものをよりによって、時平の妹などを娶るとは如何なることじゃ」
「上皇は藤原の者を遠ざけようとしていますが、わたくしは藤原の者が居なければ、公卿たちは纏まらないように思います」
「藤原家が力を持つと他家を排除したり、我ら皇族の皇位継承までも意のままにしようとする。これは過去の出来事でもわかることではないか」
「わたしには上皇がご自身の過去のことで、藤原の者を忌み嫌っているように思えてなりません。藤原を排斥するのであれば、源家の方々にも多く重い官職を与えるべきではないでしょうか」
「源家の者は我らの身内では無いか、それよりも菅原や在原、紀家の氏族たちに力を持たせることが肝要では無いか」
源家の者たちが上皇から離れようとしていることに気づいていないようだ。
「帝もいつか、余の言ったことがわかる時が来る。この婚儀は今一度考え直すのだぞ」
上皇は穏子の入内を認めないようだ。上皇の思いをよそに、帝は穏子を女御として入内させる。
この年の秋、上皇は以前から仏教に深く関心があり、仏門に帰依することで宇多法皇と呼ばれるようになる。
これを機に道真との連携が少しずつ薄らいで行くことになる。
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