第62話 能有の死

 時平は想定外の叔父の辞任に驚き、身内のものを自身の屋敷に呼んだ。


屋敷を訪れたのは、参議で従兄にあたる有実、実弟の仲平、忠平。中納言であった南家の諸葛は昨年没している。


「本日は我ら藤原家にとっての一大事ゆえ、お集まり頂きました」


「一体何事になりますかな」


 時平は、今年五十になる有実に告げる。位は下だが一族の長として敬意を払う。


「叔父上がこのように早く大臣職を辞されるとは思いもよりませんでした」


「叔父御も御年七十四なれば、致し方ないのでは。先年亡くなられた源融殿と同じ年ゆえにな」


「叔父上が左大臣職を辞された今、藤原のもので大臣職に任命を持つものが居なくなってございます。そのような事がこれまでにあったであろうか。おまえ達はこのことをどう思うか」


 時平は弟たちに問う。直ぐ下の弟の仲平は従四位下で今年、右近衛中将に任命されている。


「兄上の申される通り、過去にそのようなことは無かったと存じます。ですが来年には兄上が大臣職に任命されるものかと」


 仲平の弟の忠平は昨年元服して、まだ五位の位だが今年、帝の身の回りの世話をする侍従になっている。藤原氏の私学、勧学院では秀才と名高い将来有望な若者だ。


「ですが大納言職は未だに決まっておらず、道真殿を兄上と同等の権中納言に据えました。蔵人頭には在原のものを置くなど、藤原のものに力を待たせないようにしていると思われます」


「考えて見れば儂などは、元慶がんぎょう六年に参議職に任官されてから、十四年も地方官を兼任させられ、赴任ばかりじゃ。従三位になった今、中納言職を頂けても良いはずではないか」


「兄上様の疑念もごもっともにございます。忠平が申す通り、帝は我ら藤原の者を遠ざけようとしております。父上が亡くなると直ぐ様、佐世殿に地方官の官職を与え、都から遠ざけました。表向きはあの事件で混乱を招いた張本人を処断したのでありましょうが、それ以外の人事を考えてもそれは明白でしょう」


「されば我らはこの先如何すれば良いものか。今は時平殿が頼りじゃ」


「わたくしは父上から藤原家の行く末を託されました。父上もこのようになることを予見しておられた。そして特に、道真が外祖父となることをどのようなことをしても防ぐよう言いつけられました。そのための策をこれから考えねばならぬ」


「右大臣卿も、お一人で重責を担っており、大層お疲れの様子と聞いています。兄上の昇進もそう先のことでは無いものかと」


 忠平は如才ない。時平は将来自分の右腕となって働いて貰いたいと思う。


「これよりは、道真や帝に従順な者らの動向を良く良く見ていてもらいたい。何かあればこの時平に伝えてくだされ」


時平らもこの先のことで動きはじめ出した。


 寛平九年(八九七年)

新年の朝賀が終わり、豊楽院にて新たな年を祝う宴が行われて中、右大臣の能有は早々に屋敷に引き下がってしまう。


周りのものは、その重責にさぞ疲れているのだろうと、声を掛けるものはいない。


 春まだ浅いころ、多忙な能有が病を患い、寝込んでしまう。死期を悟った能有は当元、当時らを枕頭に呼ぶ。


「良いか。我ら源のものは帝の血を引くもの。帝のために尽くさねばならぬ。自らが帝位を望むことがあってはならぬ。また帝をお支えするものとして藤原家や他の家と上手く調和を取る役目であってもらわねば困る」


「父上のお言葉肝に銘じまする」


「その方らに、ひとつ念を押しておかねばならぬことがある」


「如何なることにござりましょう」


「経基、経生つねなりらのことじゃ。あれらの父は清和帝の皇子にあたる貞純親王だ。そのことであれらのものは気位が高くなり、将来そなたたちを下に見ることがあるやもしれぬ」


「父上、ご心配なさらずとも我らでしかとお二方をお支えして行きます」


「それを聞いて安心した。あれらを正しい道へ導いてくだされよ」


 能有は遠くを見るような眼差しをして何事か考えているようだ。


「それと今一つ、頼みおくことがある」


「何なりとお申し付けください」


「末娘の昭子がことよ」


「嫁がせるには今少し早いと存じますが」


「年頃になったら、儂のたっての願いとして時平殿か忠平殿に娶せてもらいたいのじゃ」


「お考えがあれば、是非にお聞かせ願います」


「基経殿への恩返しができればと思うている。行く行くは藤原家の役に立つ子を生んでもらえたら何よりだ」


 そう言うと目を閉じて、満足げな笑みを浮かべる。


「しかと承りました」


二人は口をそろえて父に誓う。


 

 六月

帝は薬師を送ったり、寺院に加持祈祷を行わせ、病の平癒を願った。


だが、その甲斐もなく源能有が薨去する。(享年五十三)


 藤原氏の画策により、母の身分が低いことで臣籍降下という名のもとに親王の座を追われ、都から離れた土地を与えられ半ば追放された形となった。


 自らの才覚により、藤原氏の基経に頼られるまでになり、右大臣にまで登りつめた。


母の思いもよそに基経の娘を娶り、生まれた娘が清和天皇の皇子、貞純親王と結ばれて源氏の祖となる経基王を生んだ。


源氏を語る上で、この源能有の存在を知ることは重要なことに感じられる。


繰り返しになるが、後世に語られる武門の家柄となったのは天皇家の血筋でも、藤原氏の血筋では無く、この母の生家である大伴氏の血筋であると大いに考えられるからだ。


 また、能有の計らいで息子となった貞純親王を兵部省の役人としたことで、経基王も武の心得えを学ぶことができたのではなかろうか。


 この物語りの主人公であった藤原良房亡きあと、ひとつの時代を作ったもう一人の主人公である源能有もこの世を去った。


 源能有の死がきっかけでこの後、帝の推挙もあり、菅原道真は右大臣に任命されていく。


その道真と藤原家、源家の行く末を、今少し見てゆきたい。

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