第61話 能有、太政官の長となる

 寛平六年(八九四年) 春


能有の館に、貞純親王と柄子が訪れる。


柄子の手には、生まれたばかりと思われる赤子を大事そうに抱えている。どうやら、子が生まれた報告に来たようだ。


「父上、親王様との間に和子が出来ました。今日はその挨拶に来ました」


「和子とはめでたい限りじゃ。して和子の名は何と申すのじゃ」


 能有はこの年、四十八になり、体力も大分衰えてきた。


「お父上様、わたくしが今ここに居られるもの、亡き関白基経様のお導きがあったればこそと存じます。ついてはこの子の名を基経様にあやかって、経基にしたいと考えております」


「それは良い。亡き関白様もさぞ喜んでおられるであろう」


「ゆくゆくは、源姓を継がせたいと考えておりますが、いま暫くは皇族のものとして、経基王を名乗らせたいを思うております」


「そうじゃな。時期が来るまでは、それで良いものかと。皇太子の件もあれば、そう急ぐことも無いでしょう」


「帝の地位など、わたくしは欲しておりません。子らにもそのような野心など持たせぬよう、心して育てます」


 経基王こそ、のちに皆の知るところとなる源義家、源頼朝、足利尊氏、武田信玄など清和源氏の始祖となる源経基である。


左大臣源融やその兄の信が、その父の皇子であることから嵯峨源氏と言われている。


 能有は文徳天皇の皇子である。臣籍降下したときに下賜された源姓であることから、文徳源氏と言うのが正しいことになる。


経基の孫にあたる頼信が、清和源氏の方が聞こえが良いのでそう呼ぶようにしたと言われている。


能有の母方の大伴家は古来、武門を重んじる家柄であった。


 かつて大伴弟麻呂が坂上田村麻呂の上官であったことや、その子らが武官として名を残していることからものちの源家が武門を誇る家となってゆくのも頷ける。


物語りは、この経基王の子、孫が政権に力を持つ存在になるとことまでを辿る。

 

 寛平七年(八九五年)

左大臣、右大臣は高齢の為、太政官の実質的な公務は大納言の能有が取り仕切っている。加えて、五畿内諸国別当の政務も兼任している。


その中で帝より清和天皇、陽成天皇、光孝天皇の治世を記録する「日本三代実録」の編纂を命じられている。能有は激務をこなしている。


 その年の秋

帝の思いも虚しく、左大臣の源融が薨去する。(享年七十四)


 十月 菅原道真は、従三位に昇進し、権中納言に任命される。

近江守のみならず、皇太子を補佐する春宮権大夫も兼任していることから、帝の求めるものも相当大きい。


 臨時職の権中納言に任命することで、ほかの参議職の藤原国経、藤原有実らの不平も何とか凌げる。


直ぐには左大臣を任命するつもりは無い。その間に出来るだけ道真の官位、官職を上げておきたいと考えている。


 翌寛平八年

帝は今、蔵人頭になっている在原友于ともゆきから打ち明けられる。


 友于は行平の次男にあたる。兄の遠瞻とおみは落雷により非業の死を遂げたが、帝のおそば近くで働くこの息子が何より頼りになる。

官位も従四位下になっており、この先、参議になるのは間違いない。


「近頃大納言卿が大層お疲れのように見受けられます」


「官職を色々兼任させてしまっている上、朕が史記の編纂を任せているので、忙しい思いをさせてしまっているからのぅ」


「では早い時期に官職を右大臣に引き上げ、今の職を別の方に引き継いではいかがでしょうか?」


「左大臣職は暫く空席にしたかったのだが、大納言を右大臣にするには、右大臣の藤原良世を左大臣に任命する他ないな」


 帝は太政官の長を藤原のものにするのは抵抗はあるが、良世も高齢ゆえに長く在任出来ないであろうと思う。


 七月

藤原良世は左大臣に、源能有は右大臣にそれぞれ任命される。中納言以下の者の官職はそのままとした。


 藤原時平の進言により、「日本三代実録」の編纂は時平ら、参議職のものが行うことになった。五畿内諸国別当の政務も他のものに引き継いだ。


だが左大臣がいない今、決して職務が楽になった訳では無い。


 能有の子、当元まさもと当時まさときは既に四十近くになっており、ともに従五位の位を得ており、それぞれ地方官の官職で赴任している。


 当時は今年、太政官の右中弁の職を得て都に召喚されている。


行く行くは、能有の後を継ぐものになると思われる。


体力に限界を感じた良世は、この年の暮れに致仕(辞任)を上表する。


事実上、太政官の長は右大臣の能有になる。母が生きていたら、その喜びは一入ひとしおのものであったであろう。

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