第58話 太政大臣基経、薨去す

 寛平三年(八九一年)

基経の病は平癒することなく、重くなるばかりで手の施しようもできなくなる程までになっている。


太政大臣の容態が良くないことで、正月の節会は全て取りやめになった。


また、新年の叙位・除目についても行われない事が閣議で決定された。


 帝は数十人の薬師を基経のために寝所に送ったが、快癒する兆しは見えない。


死期を悟った基経は、枕頭に時平を呼ぶ。


「儂ももはやこれまでのようじゃ。今一度そちに話して置く、心して今後の北家のことを頼み入る」


「父上の仰せ、肝に銘じます。何なりとお申し付けください」


「我が父忠仁公(良房)は皇族継嗣の在りようを示され、それを実現されたことは存じておろう」


「はい。皇位をご兄弟で継承することなく、帝の皇子が代々継承することが正当な皇位継承であると」


「そうじゃ。その結果、臣下の者が無用な争いをすることが無くなった。これはまさに偉業である。そのために忠仁公は大変苦労なされた。だが、儂はその流れを守ることができなかった。忠仁公は儂の娘に皇子生ませ、先帝(陽明帝)が帝に相応しくなければこれを退け、その皇子を帝位させるよう遺された。だが儂にはそれができなんだ」


「父上は清和帝の皇子が多いことで、自身の娘の皇子に継承すれば、臣下の者がまとまらないとお考えになられたと存じます」


「その通りだ。目下のものが得心しないまま、事を進めればいつか綻びが生じる。それ故、陽明帝のご兄弟の皇子らをすべて皇位継承から除外した」


 基経は時を惜しむ様に話を続ける。


「父上、あまり無理をされますとお体に障りますぞ」


「大事ない。時がない故、話しておきたいのじゃ。先代光孝帝は、常にわが北家とともにあった。今上帝は先の件で、大いに面目を失った筈じゃ。表向きは平穏を装っているが、心中は穏やかではあるまい。この先、儂が死んだあと、道真を重用するであろうことは間違いない。当人にその意志が無くとも、帝が認めないであろう。」


「学識ではわたくしなど遠く及びません」


「先々己が娘を入内させることも考えられる。そなたはその娘が生んだ皇子が皇位を継がないようにすることだ。そうしなければ藤原家は朝廷から権力を失うことになる。多少なりとも無体なことをしてでも、不要なものは排除せねばならぬ。きれいごとだけでは政治というものは務まらぬと心得よ」


 それは時と場合によっては殺害せよと言うことなのかと、時平は肝を冷やす。


「政治的に封じ込めると言う事ですね。父上の口上、時平しかと肝に銘じましてございます」


「なればこれよりそなたが成さねばならぬのは、橘の血を引くものを皇太子にしてはならぬと言うことだ。わかるな」


「それは橘広相殿の孫にあたる斉中ときなか親王、斉世ときよ親王のことでございましょうか」


「如何にも。この先、これらの者達を皇太子になどと言うことになれば、必ずやそれを排除せねばならんぞ。それが藤原のためと言うことじゃ。良いな」


「はい。必ずや成し遂げます」


 

 正月も半ばを過ぎた頃、病が回復することなく、基経はこの世を去った。

(享年五十六)


自らの嫡子が居なかった良房にその器量を見い出されて養子となり、北家のために尽くした。


 清和天皇の嫡子である陽成天皇を廃位させることになってしまうが、これは良房も危惧していたことであった。そのために基経の娘を入内させ、その娘が生んだ皇子を次期皇太子にと図った。


 結果的にその子を立太子しなかった。出来なかったと言う方が当を得ているかもしれない。


 さて、基経の死を知った宇多天皇は悲しみとは別に安堵している自身がいる。新たな人事には何としても自分にとって都合の良い人選をしなければならない。


自身の側近たる蔵人頭には、菅原道真を推挙した。


 昨年、従三位に昇進した時平が参議となったことで、道真にその任を与えた。


帝にとっては都合が良いが、道真の思いは朝廷内で知識階級の中に身を置きたいと願っている。


就任を辞退する旨を上表したが、帝がこれを許さなかった。


 大納言には昨年正三位に昇進した源能有が任命されている。


中納言には仁明天皇の皇子で、帝にとって叔父にあたる源ひかるに加え、光孝天皇の皇子で臣籍降下した帝の兄にあたる源是忠これただが任命されている。


彼らは何れも藤原氏から縁遠い存在になる。


 さらにもうひとりの中納言は南家で三守の孫にあたる藤原諸葛もろかずが任命される。


参議職の顔ぶれは以下である。


 藤原北家では基経の兄にあたる国経、大納言となった良世の兄良仁の子で有実ありざね、そして時平も参議に任命されている。


藤原家以外では、仁明天皇の皇子人康親王の子で、臣籍降下した源興基がいる。


参議職にはまだまだ藤原のものが多い。だが、帝には左大臣、大納言、中納言の要職を皇族に近いものが任命されたことに大変満足している。


 この年の秋、橘義子の子で、斉中親王が七歳の若さで急逝する。流行り病によるものか、はたまた時平が父の願いを実行したのかは伝わっていない。


歴史の深い闇の中に閉じ込められ、知るすべも無い。

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