第54話 阿衡の紛議

 詔が発せられてから基経は内裏に昇殿せず、一切の政務から手を引いた。


月日が経過すると、当然のことながら政務に支障をきたすことになる。


 大臣から、事の仔細を知らされた帝は何が起こったのか理解出来ず、只々狼狽えてしまう。


「い、一体どうなっている。太政大臣は何をしている?」


「特に変わった様子は無いと。職務に支障があることはしていないと」


「それでは太政大臣の真意がわからぬでは無いか、真意を確かめてまいれ」


「はい。では早速に」


 朝廷からの使者が基経の邸宅を訪れる。


「太政大臣殿が出仕なされぬことで、帝をはじめ閣僚の方々が困惑しております。いかがなされたかお教えいただけますでしょうか」


 基経は素知らぬ体で、話を受け流す。


「何やら良く分からぬが儂が不都合なことでもしたのかな」


 使者は困惑し、少し苛立ちの表情になる。


「出仕されない理由を伺いに参った次第です」


「帝より太政大臣の職を解かれた故、このようにしているまでのことじゃ。それか何か?」


「そのようなことは聞いておりませぬが」


 基経は毅然とした態度で使者を見据えて、声高に畳みかける。


「いいか良く聞け。余は先の詔勅で阿衡の職に任じられた。つまり大臣職を解任されたことになる。その方は阿衡という職を知っておるか?」


「申し訳ありません。存じておりません」


「そうであろう。そもそも我が国の律令制度には無い官職だからな。唐の国では大臣を退いたものに与える一種の名誉職で、当然その地位に値する職務など無い。そのようなものを受けたのだから、このようにしているまでのこと」


 使者は驚いて、平伏した。


「そのような事とは知らず、無礼な申し出恐れ入ります。これより急ぎ立ち戻り、大臣殿のご真意を告げて参ります」


「使者の務めご苦労であった」


使者は慌てふためいて内裏に戻って行った。


 

 一方、使者の報告に驚いた帝はすぐさま橘広相を呼び出した。


「そなたが詔勅に記した阿衡なる官職を授けたことで太政大臣の職を解かれたとして、政務を行っていないと聞いたぞ。いかが相なっておるのじゃ」


「大臣の職を解任したなどと、滅相にございません。阿衡は太政大臣の唐名に相当すると認識しております。解任などと、言い掛かりにございます」


 内容を全て理解した訳では無いので、若い帝としても厳しく言及は出来ない。


「しからば、学識のあるものに調べさせることとしよう」


 早速左大臣に、阿衡のことを学者に調査するよう命じた。


しかし、学者たちの回答は皆、佐世の見解と同じであった。異を唱えて基経と争うことを避けたとも考えられる。


 帝は基経に、阿衡の任に対する謝罪と改めて関白職に復職する旨を言い渡した。


これに対する基経の返答は、復職の条件として、橘広相の官職を召し上げ、左遷させることを要求した。


 帝は時平を呼び、基経に広相の件を説得するよう指示した。時平も父が些か意固地になっているのではと思った。


「父上、広相殿も悪意で行ったことではございませぬ故、左遷の儀は何卒ご容赦下さいますようお願いいたします」


「それはできぬ。物事にはけじめを付けなければならぬ。帝が発する詔に誤りがあってはならぬ」


「広相殿を推挙したのはわたくしめにござりますれば、伏してお願いいたします」


「ならぬ。そなたも含め、若い帝のお側近く仕えるものがおりながら、それに気づかずして何とする。このようなことが二度と起こらぬよう、こたびのことを戒めとするためにも処罰は行わねばならぬ」


「父上のお心良くわかりました。わたくしも帝のお側近く仕えるものの一人として、このようなことにならぬよう努めて参ります」


 家族の情に流されるような基経では無いかと思ったが、基経が出仕しないことが数か月も経過しており、政務も一段と滞ってしまっている。


 さすがに困り果てた帝は、式部省で文章博士の菅原道真を呼び出し、事態の収拾に当たらせた。


 道真は書簡を認め、基経を説得した。


『帝をはじめ、太政官の重臣の方々も大変にお困りの様子にございます。ここはどうか矛を収めて頂きたいと存じます。基経様も受け入れた偽りの官職なれど、太政大臣が出仕されないことで全てが滞ってしまっています。そもそも、任命する方も受ける側も阿衡というものに深い理解は無いものと考えられます。』


 基経を諭すように内容は続く。


『これからを担う若い者に対する基経様のお考えは良く良く理解できました故、悪意なきものの処断は容赦願いますようお願い申し上げます。でなければ禍根を残すことになりましょう。義子さま(広相の娘で帝の更衣にあたる)のご心痛はいかばかりか。ご宸襟を悩ませることになるものかと』


 道真に指摘されたように、基経も阿衡というものを正しく理解していれば、任命を拒否すれば良い筈である。


それを出仕しないことで意地を張るようなことをしてしまったのだ。


 時平に言ったことは、後から考えた口実のようなものだ。


(儂も年ゆえ、少々大袈裟にやりずぎてしまったかの。だが、このまま何もなかったことにする訳にはゆくまい。道真の顔に免じて、広相は赦そう。なれば、広相の孫が将来皇太子にならぬよう、手を打たせてもらおう)


基経は恐ろしいことを企てる。


 道真の説得もあり、広相は処罰されることはなく、基経は関白として政務に復職した。


本来関白は幼帝が成人した暁には大権を帝に返上すべきところだが、今回の事件によってその地位が曖昧なものとなってしまった。これは帝をはじめ、若い官僚が政治を行うに足る能力が無いからだ。


 帝は基経が儀礼的ではあったとしても、関白職を返上したものを大臣職に戻すことでこのような事態は回避できた筈である。先帝の急変で著しく事態が変わる中、人に任せ過ぎたのかもしれない。


即位以前から既に藤原胤子(北家藤原高藤の娘)、橘義子(参議橘広相の娘)などの女御がいる。


 基経は関係修復と称し、己の娘の温子おんしを帝の女御として入内させた。


これで表向きに両者は和解したことを世間に知らしめた。


 帝は、この出来事で大いに面目を失うことになった。

(今後、藤原のものには気を許してはならぬな。彼の一族だけを優遇しないよう心に刻みおかねば)


 この後、宇多天皇は道真を信頼し、重用することになる。道真は自身の娘の衍子えんしを宇多天皇の女御に、寧子を宇多天皇の皇子・斉世親王の妃とし、宇多天皇との結びつきを深める。


 この事で次の悲劇が起こってしまうとは考えられもしなかった。


そして、三年後には橘広相は病没する。


橘広相が病没した翌年、娘の義子の子、斉中ときなか親王が七歳で夭逝する。


基経の思い描いたように物事が進んでゆく。

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