第13話 業良親王の追放

 今、冬嗣に肩を並べる程に官位の高いものは坂上家には居ない。田村麻呂が存命でないことがせめてもの救いかと思う。


寧ろ、田村麻呂に押し切られた方がこのように悩まなくても済んだのでは無いかとも思える。


田村麻呂が存命していて、大臣になれば藤原家のものの立ち行かぬであろうと思うと恐ろしささえ覚える。


 数日経ったころ、探索を頼んだものが知らせに戻って来た。


「ただいま戻りましてございます」


「ご苦労であった。何か気掛かりなことはなかったか?」


「はい。内親王様におかれましては過去から現在までのことを探りましたが、特に悪しきことは無いようでした」


「では内親王様以外のものに何事かあると申すのか?」


「はい。皇子の業良なりよし親王様につきましては、些か申し述べたいことがございます」


「おぉ、何か調べがついたようだな。如何なることか申してみよ」


「なかなか外に出ることが無いようで、お体が弱いお方なのかと思っておりました。ある時、お付きのものが手を焼いているような感じがしましたので、そのものが館を出た後をつけて、取り押さえました。」


「ほお。それは上々。」


「口止めされているようでしたが、金目のものを与えましたら容易に話を聞くことができました。」


「で、いかがであった?」


「はい。親王様は御歳のわりに少々知恵遅れであると申しておりました。情緒不安定な所も有るらしく、言われなき事で叱られることもまま有るとのことでした。思いますに、人の上に立つようなお方では無いと考えます」


「良く探ってくれた。これは私からの礼だ。受け取ってくれ」


「ありがとうございます。これにて失礼致します」


(これは良いことを聞いた。近しい縁で生まれた子はそういうことが多いと言われるからのぉ。やはり皇后には良き皇太子を持つものを推挙すると、次に開かれる太政官の議会にかけよう。重臣会議で決まり、帝の裁可が下りれば、いくら坂上のものでも口を挟むことはできまい)


心が軽くなる冬嗣であった。


 

 一方、高津内親王は苛立ちがつのっている。


近頃、居館の周りを嗅ぎ回るものがいるように思える。嘉智子を皇后に推挙しようとする藤原のものであるならば、これは厄介なことになる。


 帝に直接話せば良いのだが、そのようなことができる性分では無い。それだけに誰かにすがるしかない。坂上の家からは何の音沙汰も無い。


(大伯父が生きて居られたら、かようなことにはならぬであろうものを)


心底穏やかにならぬ内親王である。


彼女の思いをよそに、冬嗣は嘉智子を皇后にするために暗躍する。


 

 年が明けた弘化六年(八一五年)


蝦夷地でたくさんの馬が買われ、軍備を強化していると報告があった。


朝廷から周辺の陸奥、出羽の両国に対し、馬の売買を禁止する勅許が出された。


 帝より蝦夷征伐の詔が発せられる。


文室綿麻呂は征夷大将軍に任命され、直ちに軍の編成に取り掛かる。


 坂上鷹養は副官に任命され、鷹主も一軍の部隊長として東征軍に加わり、北を目指して出陣する。軍にはやはり坂上のものが必要だ。


 都から軍役ぐんやくの騒がしさが消え去り、宮廷も静まり返ったころ、業良親王が清涼殿に呼び出される。


備前の国に拝領地を下賜すると言うことであった。


 親王は帝から下賜されたことを喜び、礼を述べて帰って言った。


これを知った内親王の女房が、ことの仔細を告げる。


「親王様が、朝廷から拝領地を賜ってとのことにございます」


 話を聞いた高津内親王は、髪を振り乱して怒りをあらわにした。手にしていた檜扇ひおうぎを思わず破いてしまう。


「何たることじゃ。そのようなものを受け取って、この都から出て行けと言うのか」


「親王様は喜び勇んで戻ってこられました」


「なんと愚かなことを」


 内親王は策略に嵌められたことに気づき、苛立ちをつのらせる。


「藤原のものに嵌められたのじゃ。叔父上らが都を離れているのをいいことに我らを追放するつもりじゃ」


「お妃様にそのようなことができるのでしょうか」


「帝は嘉智子を皇后にしたいのであろう。そのようなことは易々とさせぬ。叔父上が戻られたら事の真相を明らかにしてくれるわ」


このような事で妃を辞退するとは思えない。東征中の坂上の者らが戻る前に事を運ばなければならない。冬嗣は次の手を打つ。


 

 それからひと月後に、内親王の娘の業子なりこ内親王が急逝した。


体調が悪くて、臥せっていると聞いていたが、とても病で死ぬほどの状態ではなかった。


なにやら恐ろしものを感じ、呆然としていると、いつの間にか女房が現れて囁かれる。


「もはや、このようなところは直ちに立ち去った方が良いかと。次は何をされるかわかりません」


(よもや我らの子孫まで望まぬと言うのか)


その日を境に、その女房は姿を消した。


 朝廷から詔が発せられ、嵯峨天皇の皇后は嘉智子とすることになった。


高津内親王は廃妃と決まった。


内親王は事の仔細を帝に聞きたいが、最早お会いすることも叶わぬとのことだ。


(すでに都の郊外に住まうところまで用意されているようだ。わたくしや皇子が皇后、皇太子に成れないというだけならまだしも、このような仕打ちで都を追われる何とも嘆かわしいかな。只々虚しい。やはり、今の坂上家では藤原のものには敵わないのであろう)


 都を去った内親王が残したとされる和歌がある。


『直き木にまがれる枝もあるものを毛を吹き疵を言ふがわりなさ』


まがれる枝とは、内親王自身のことか親王のことかはことの真相は残されていないので明らかになっていないが、無念さを表した句である。


 嘉智子は皇后となったことで、自身が産んだ正良まさら親王を将来の皇太子候補に成り得る立場となった。


この日は雷鳴が轟く暴風雨であったと日本後紀に記れている。冬嗣にとってもこの良き日が後におこる悲劇を象徴するかのような一日であった。

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