第11話 父の願い

 事件の処断が一段落するや、冬嗣の父内麻呂はすっかりやせ衰えた。


次男冬嗣は帝の下で自身の思惑どおりにことを成し遂げ、今や四位の位で参議に任官された。


このことだけであれば良き息子を得たと喜びに浸ることができる。


 だが、長子の真夏は上皇の側を離れなかった。官職を解かれ、遠国に流罪となった。ともに遣わした文室綿麻呂などは、むしろ責務に忠実であったと言える。


 真夏と冬嗣を逆の立場にできたであろうかと思ったりもする。


必然的と言うより生理的に長男を遠ざけてしまったものかと思い煩う。


 考えて見れば自身も三男、長じれば兄たちにも負けたくないと励んだ。


父母にもたいそう目を掛けられ、今の地位にまで成れた。


よくよく思ってみれば父も三男であるし、祖父で家祖の房前も次男の家柄だ。


 真夏が生まれたときは家が安泰だと皆で喜んだ。家を継ぐものとして育てねばと、有能な家臣に養育を任せた。


成長するにつれ、意見がぶつかることも多々ある。外から物を見ているようで気になることもあるであろう。


 一方、弟の冬嗣は自分の下で育てたので言うことをよく聞く。自分の良いとこだけを見ているのだろうか。自ずと可愛がり、目をかけたくなる。


きっと父も先祖も同じことで悩み、苦しんだこともあったであろうと思う。


 ある日、孫の長良、良房が遊びに来た。


長良は九つ、良房は七つでまだまだ幼い。


ふたりとも良く走りまわる。もはや足腰が弱くなって一緒に遊ぶことはできない。自分のそばに来て話かけてくれるのは良房の方だ。


膝の上で寝転んでもくれる。なんとも可愛い存在だ。年少者の方が甘えん坊なのは世の常と言うことだろう。


ゆくゆくは、冬嗣も自分と同じことで悩む時が来るのだろうかと、内麻呂は案じる。


 

 夜、冬嗣に自分の思いを打ち明ける。


「儂はな、冬嗣。上皇が平城京に移るも、お命が長く続かないものと思うていた。きっとご自身もそう長くないと思っていたに違いない。それが一年、二年も経つや見る見る回復なされた。まだお若い故、さぞ譲位したことを悔いたのだろうと推察する。これは誰しもそう考えるであろう。そして近いうちに事を起こすと」


「その思いは、わたくしも同じでした」


「いざ事が起こったとき、我等大臣以下の公卿達が集まり議論などしていたら時を佚すると危ぶんだ。そこで、帝と連携して素速い行動ができるように蔵人所を設置した。お前を蔵人頭くろうどのとうに任命したのは帝からの推挙があったればこそ。そしてお前は期待通り、見事にことを収めてくれた」


 父の慧眼に感服する。


「わたくしは上皇が都を去るに当たって、式家のものを始め、多くの方々がお供するので向こうの状況も知っておく必要もあると思い、兄上にお願いして配下にわたくしの手のものを加えていただくようお願いしました。そのものからの情報があったればこそにございます」


「そうであっか。なかなかの慧眼じゃな。隠密理にことを進めなければならぬ故、たいそう骨をおったであろうな。そのものにも十分な礼をせねばな」


「はい。そのように図らいます」


「だが、結果としてそれが上皇を追い込むことになってしまった。それだけでなく、儂は真夏には済まないことをしてしまった」


「何故そのようなことを仰せられますので?」


「大きくなるにつれ、儂と意を違えることも増えてな。上皇をお支えるなどと言って体よく遠ざけてしまった」


 自分のためにと思うと言葉を継げない冬嗣である。


「帝からの召喚を聞き入れなかったのは儂に対する当て付けであろうよ」


「上皇様の御心に触れて、情が湧いたのではないでしょうか?」


「なればこのような暴挙は起こらぬよう努めたであろうよ」


「わたしが平城京で兄上にお会いした時、兄上の立場では事態を覆すことはできぬと申しておりました」


「何れにせよ、儂を恨んでいたであろう」


「兄上に限って、そのような事はあり得ませぬ」


「良いか、冬嗣よ。そなたにも長良、良房がおるであろう。いずれは誰かを主にして家を継がせねばならぬ。お前がそれを決めねばならぬ。じゃが儂のように兄弟が争うようなことのないよう心掛けてくれ」


「わかりました。父上のお言葉に添うよう、帝に対しても相努めまする。ですが、兄上とは争っているつもりはありません」


 弘化三年(八一二年)夏に内麻呂は倒れる。


その年の秋、快方の兆しなく、この世を去った。


帝も大いに悲しみ、感謝の思いを込めて没後、従一位・左大臣の官位を贈った。


 嵯峨天皇から信頼されることで、冬嗣も同様な信頼を得ることもできた。


北家の地位を上げることに大いに貢献した。


真夏に対しても赦免が下された。元の参議の職には戻れないが、配流先の国司となった。


北家は悲しみに明け暮れた一年になった。


 年が明けた弘化四年(八一三年)


冬嗣の妻美都子は、のちに良房の右腕となる良相よしみを生む。悲しみに中にいた北家にとって誠に嬉しい出来事になった。

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