第10話 事件の処罰

都に戻った田村麻呂、冬嗣は帝に呼び出される。


「此度の事はご苦労であった。上皇は東国に落ち延びると聞いた。将軍には今一度、兵を連れて上皇の身柄を取り押さえて貰いたい」


「わかりました。なれば幽閉中の文室綿麻呂を麾下に加える事をお許し下さい。彼のものとは東征のころから共に戦ったものにて、軍略に明るく必ずや役に立ちます」


「許可しよう。早々に出征せよ」


「ありがたきかな。必ずや御意に沿うよう勤めまする」


 田村麻呂が立ち去ると帝は冬嗣に近づく。


「此度のような事は二度とあってはならぬ。国の根幹たる法が乱れ、人の心も分断してしまう。よって首謀者たちには厳重の処罰を与えなければならない」


「それはごもっともなことですが」


 冬嗣はつづく言葉に詰まる。


「朕は上皇に重い裁きを与える事は出来ない。されどそれでは世のものの見せしめにはならぬ。そちや藤原のものには辛い思いをさせるが、仲成にその役を果たしてもらいたい。その裁きをそなたに頼みたい」


「わかりました。法治国家としての威信を守るために厳しい沙汰を言い渡します」


 

 数日後、朝廷より仲成に対する詔が発せられる。


罪状は上皇を担ぎ上げ、重祚を企て都を平城京に遷都する国家反逆罪。刑は死罪となり、なんと弓による射殺と決まった。


 仲成は刑場に引き出され、両腕を後ろ手に縛られて目隠しをされる。


もはや覚悟が出来ているようで、堂々として物怖じしていない。


射手の三名が、仲成に向けて矢を番い弓を引き絞る。


執行役人の命がくだり、矢が放たれる。


矢は腹部、肩に刺さる。


「がぁ―――――――――っ」と仲成は苦痛をあげる。


つづけて二射目が放たれる。


「ぐわぁぁ――――っ」


右胸、腹部に刺さるが絶命する程のものでは無かったようだ。


 検視するものにとっては居た堪れなく、目を背けるものもいる。初めて見るものも多い。


三射目が放たれる。


左胸に二本刺さる。心の臓を捉えたのか、小さく唸り声をあげたあと、絶命した。


帝に刑執行の報告がされる。さすがに居た堪れない気になり、冬嗣の決断を労った。


 一方、上皇の追討軍を命じられた田村麻呂の元に、遠くから馬上、勇み突き進んでくるものが見える。


文室綿麻呂である。


「御大将の恩義、この綿麻呂死しても尚、忘れませぬぞ。御馬前で死ぬる栄誉をお与えくだされ」


「何とも大袈裟なものいいよ。軍役にはそなたの才知が必要と申したまでのことよ」


「聞くとこに寄れば、首謀者の藤原仲成は死罪になり、弓での射殺になったと聞き及びましたぞ」


「死罪など、ここ暫くなかったように思える。二度と起こらぬよう、一罰百戒とでも言うところであろう」


「冬嗣殿が藤原の式家のものどもから恨みなど買わねば良いのですが」


「帝のご意向であればそのようなことは無いとは思うが。帝の側近中の側近、蔵人頭であれば良いように思われないのも然りであろうな。我等は我等の責務を果たすのみだ」


 

 数日して、田村麻呂らは東国へ落ち延びる上皇達を捉える。一旦平城京に連行して都からの沙汰を待つことになった。


暫くして都から沙汰が下りる。


平城上皇は剃髪して仏門に入ることとなり、平城京から外に出ることは許されなかった。


 薬子は洛外に追放されることになった。


検非違使のものが薬子のもとへ行くと、既に屋敷内で毒を煽って身まかっていた。


 嫡子で皇太子の高岳親王は皇太子を廃され、遠国に流罪。その兄の阿保あぼ親王も事件に直接関与していないが、連座でこれも遠国に流罪となった。


その他、真夏はじめ事件に関与したもの、平城京で四位以上の官位があるものは位を剥奪されて配流となった。


 阿保親王に関しては、平城京を居所としていないのにも関わらず、連座で配流になってしまい、なんとも哀れとしかいいようがない。


このことが後の事件に影響することになる。


 高岳親王は後に赦免され、出家して空海に真言宗を学ぶ。密教の奥義を求めて天竺(インド)に渡航するも、彼の地で没する。


平安京にいる式家の葛野麻呂、緒嗣らは仲成との関わりが無かったため、一切罪に問われることは無かった。


冬嗣がいち早く、仲成を捕縛していなければ、仲成に賛同したであろう。


事のいかんによっては北家と式家の存続を賭けた争い事になってしまう。それは冬嗣の望むところではない。


 式家のものにとっても一族の者が無惨な処断を受けたが、ある意味仲成に会わなかった事で事件に関わることも無かった。


冬嗣を恨む気は無いようだが複雑な心境だ。


 

 かくして一連の事件は終息した。


かつて上皇は、薬子のことで父桓武帝と諍い事になった。


 父亡きあとに、平城と名乗ったのは何れ父の造った平安京から旧都の平城京に再び遷都したいと決意の現れだったのであろうか。父への当て付けだったのであろうか。


はたまた、そのことを知っている仲成、薬子が仕組んだことであろうか。もはや知る由もない。


 冬嗣は事件の鎮圧に向けた素速い行いの功績から、その年のうちに従四位上に昇進した。


年が明けた弘仁二年(八一一年)の除目で参議に任官する。公卿に列することになった。


 新しい皇太子には、嵯峨天皇の弟にあたる大伴親王が立太子することになった。


自身の子が皇太子に相応しい年齢であれば立太子も出来たであろうが、まだ一歳では致し方ない。


 大伴親王を補佐するものには、やはりこれも嵯峨天皇の信頼がある式家の緒嗣、吉野が任命された。


この時、良房はまだ七歳。吉野、良房の代になるとまたもや、天皇継嗣を巡って北家、式家が相争うことになってしまう。

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