第8話 薬子の変

 仲成は応天門の門前で暫く門兵の戻りを待つ。


暫く待てど一向に状況は変わらず、苛立ちを覚える。


更に時が経ち、門兵に問いただそうとしたその時、門が開く。


 門の先には衛兵らしきものが数多おり、皆武装しているではないか。


何事かと思っているや、あっと言う間に兵に取り囲まれる。


兵の中から冬嗣が現れる。


「仲成殿とお見受けする。都においでとはいかなる用向きで」


「おぉ、これは冬嗣殿ではないか。上皇様の病が平癒したゆえ、加持祈祷の御礼兼ねての上洛。しかるにこの騒ぎはなに事だ」


 仲成も中々に堂々たる受け答えに緊迫がはしる。


衛兵の中にも謀反などあるのかと疑いを持つものも伺える。


「そなたに謀反の疑いが掛かっている。衛門府まで同行願いたい」


「何を申すか。世迷ごとも大概にされよ」


「重祚を持ち出し上皇様を担ぎ上げ、旧都の平城京に遷都を企むなど、なんとも恐れ多い。不敬の極み」


「その様なことは知らぬ」


「こたびの上洛は、賛同する貴族を集めるためのものと、配下のものからの知らせだ」


仲成は驚きに言葉を失う。


(内通者がいたとは)


「兵も集めていると聞く、これを謀反と言わずしてなんとする。もはや、そなたら兄妹の官位を剥奪する詔は発せられている。まもなくこちらからの兵が向かうであろう。潔く縛につかれよ」


うな垂れる仲成を捕縛し、引っ立てる。


 

 冬嗣は急ぎ帝に拝謁する。


蔵人頭の地位が帝への拝謁が容易にできる。これも父の慧眼によるものだと改めて感じ入る。


「知らせどおり、仲成が現われましたので謀反のかどで捕らえました。上皇が発せられた詔も持参しておりました。もはや平城京遷都の企て間違い有りません」


「よもや上皇がその様なことを考えていたとは」


「兵を集めているとの事ゆえ急ぎ、こちらから鎮圧する軍団を送りたいと存じます。軍団の長には従三位坂上田村麻呂卿を任命頂けますよう、お願い申し上げます」


これは父で右大臣の内麻呂からの強い要望だ。


 帝は冬嗣に兵を与え、坂上田村麻呂を長に据え、平城京の反乱軍を鎮圧する詔を発した。


帝からは、今後のために田村麻呂から用兵について教えを乞うよう告げられた。冬嗣には願っても無い機会だ。


 坂上田村麻呂


桓武期に奥州蝦夷征伐のため、二度にわたって征夷大将軍を勤めた人物だ。身の丈六尺余の偉丈夫で、武門の誉れ高い。


内麻呂とは義兄弟の間柄


この時、齢五十を超えているが、相手の戦意を翻弄するにこれほどのものはいない。


 出征にあたっては大納言に任命され、実質的に冬嗣の上官になる。


行軍中、冬嗣は田村麻呂に敬意を払い、父親のように接する。初めは天皇の番犬のように思っていた田村麻呂だか、冬嗣の人柄に次第に心を開く。


 武具で着飾った軍勢が都から十里ほど離れた平城京に向かって進んでゆく。三、四日間程度の行軍となる。


都人は名声のある坂上田村麻呂を人目見ようと、路に人がたくさん溢れている。


 行軍二日目の夜、冬嗣のもとを訪ねる。


「これは将軍殿、このような刻限に如何なされました?」


「夜分すまぬ。明日の入京の前にちと、そなたと語らいたいと思うてな」


「それは申し訳ありません。こちらから出向きましたものを」


「よいわ。儂もこの歳になってまた出征させられるとは思いも寄らなんだわ。しかもそちが推挙したのであろう」


「はい。あなた様が陣頭指揮を取られているとなれば先方も無用な抵抗はすまいと考えた次第です」


「若いのに少しは兵法を心得ているようだな。そもそも儂は藤原のものを余り好まぬ。内麻呂殿だけは別だが」


 田村麻呂は義兄弟だけで言っている訳ではないようだ。


「この数日そなたと軍を共にして、ほかの輩とは違うと感じた。やはり内麻呂殿の血を引いているな。儂もこれが最後のお役目になるでな。儂の思いを誰か信頼できるものに託したいと思っていたとこだ」


「恐れ大いにことにございます。お教えは生涯の宝とします」


「誠の忠臣と言うものは、ただ主にへつらうだけのものであってはならぬ。帝とてしかり。神の如く敬わねばならぬが、人であることに変わりは無い。時には過ちもある。それを諌めことができるものでなければ、良き政はできぬ。此度も無益な争いになったは帝のみならず、お側近くにいるものにも責がある」


「此度もと申されますのは奥州征伐を指されますので?」


「そうじゃ。無益な戦を二度までもして、得たものは何も無い」


「朝廷が国家をまとめることが理に適ってないと申されますので。我等はそのために勤めております」


「東夷(あずまえびす)などと言っておるが我等となんら変わりの無い者たちだ。力で屈服させることにならないようにするのが政であろう。


それをせずして、力のみに頼っては何れ綻びが生じるというもの。


そのために儂は、彼の国で英雄と誉れ高い阿弖流為あてるい殿を死に追いやってしまった。騙し討ちのごとき所業を為した。かの国のものからは未来永劫恨まれることになるであろう」


 阿弖流為は、長い戦闘の末に田村麻呂の勧めで、和平交渉のために投降した。


交渉は都ですることになり、上京するもそのまま捕縛されてしまう。田村麻呂は放免を要求するが、公卿らの反対に押し切られて従者とともに斬首刑となった。


「そなたは彼のもののことは存じておるか?」


胆沢いさわ(現在の岩手県南部あたり)の蝦夷えみしの族長と聞いてました。わたくしもまだ若く、恐ろしきものかと思っておりました」


「儂の面目は潰され、このような都を去ろうとまで考えたが、世の安寧のためのご宸襟の勅命であったと諭された」


 長く功績のある将軍の言葉は重い。冬嗣は貴重な話に感銘を受ける。


「そちは存じておらぬであろうが、東征は儂が成し得たように思われているがそうではない」


「わたくしもそのように思うておりました」


「儂は最後の仕上げをやったまでのことよ。そこに至るまでは儂の上官であった大伴弟麻呂殿の功績が大きい。あのお方の武勇、武略があったればこそ、成し得たことだ」


「政略、軍略と言うものは時として、そういうものを味方にすべきかと存じます」


「そうではあるがまた、虚しさもある」


田村麻呂との語らいに、夜は更けてゆく。

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