第7話 仲成の入京

 上皇たちの話を冬嗣の命で上皇の侍従としてつけたものが、隣室でひっそりと聞いていた。


事の重大性から直ちに平安京を目指し、冬嗣邸を訪ねる。


「申し上げます。藤原仲成殿の進言で、上皇様が重祚し、平城京遷都を目論んでおられます」


「それは、誠か?」


 あまりの事に冬嗣は、わが耳を疑う。


「この耳で聞いていましたので、よもや間違いはございません」


「そうか、よくぞ知らせてくれた。して、今後の動向などはあるのか?」


「はい。仲成様が近々都に入られます。式家の力を仰ぐとともに、賛同する貴族を集め詔を発する準備をする由にございます」


(なんたることだ。急ぎ帝に奏上し、今後の策を話し合わねば)


 

 翌朝、冬嗣は清涼殿に帝を訪ねる。


「帝、一大事にございます」


「いかがしたのじゃ、顔色がわるいぞ」


「上皇様が重祚され、都を平城京に遷都することを画策している由にございます」


「そのようなことがある筈がない。病が本復したとはいえ、ゆくゆくは皇太子に譲位をするのだぞ。重祚なぞがあろう筈がないではないか。事の真偽を確かめたのか?」


「はい。上皇が平城京にお移りになったとき、宮殿の修繕の為にお供した兄、真夏の側近のひとりに手のものを入れておきました。式家で参議の仲成や、桓武帝が追放した薬子が尚侍ないしとなり、上皇のお供するとのことで念のためにつけて置いたものです。そのものの申し出になります」


 尚侍は、内侍司の長官。位階は従三位になる。太政官の機密情報を知る権利がある。


「何か証になるものでもあるのか?」


「そのものが申しますに、近々仲成が賛同する貴族を集めに都に入るとの事にございます。それが誠であれば事態の信憑性は高いものかと。その後、重祚の詔を発する準備にかかるとのこと、その前に捕縛します」


「詔勅を発するのは朕であるぞ。そのようなことが律令制で許されるものなのか。朕も一時は父帝から追放された薬子に公卿の地位を与えたと聞いて、困ったものだと思い、夫の縄主(式家)に監視するよう頼んでおいたのだが、まさかこのようなことを画策しようとは」


 当然、法律の下で認められるものではないが、日本ひのもとの律令制度はまだ曖昧のようだ。勝ったものが正しいことになる。勝てば理屈など後から十分につけられる。


「いざと言うときのため、派兵の詔をいただきとうございます」


 この年の叙位で冬嗣は、従四位下に昇進。 除目で左衛門督さえもんのかみに任命されている。


衛門督:衛門府の長官で氏族の兵を動員できる


勅許を受けたその足で衛門府に行き、派兵の準備を促す。


 

 大同五年(八一〇年)春


帝は、自身の側近のものを詰め置くため、蔵人所を設置する。


元来帝への奏上を取り次ぐのは女官たる尚侍の役職である。


 これは冬嗣の父内麻呂の提案によるもので、尚侍には国政に関与する権利があり、奏上の内容が尚侍に漏れないようにするための対抗策としての措置を行った。


そしてその長たる蔵人頭に冬嗣を任命する。蔵人頭には今一人、坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろの副官であり、伊予親王を捕縛した巨勢野足が任命されている。


野足は一方の平城京の蔵人所の長官として配置することに決定した。


 この蔵人所の設置を聞いた上皇は激怒した。このことが争いごとの火種になったとも言われている。


進行のある空海は上皇との争いに発展するが、都に留まると聞いたため、王城鎮護の祈祷を頼んだ。


仲成の捕縛をもって、平城京を制圧する準備を着々整える。


 

 冬嗣は朱雀門と応天門の衛兵を呼び出し、指示を出す。


「よいか、数日のうちに参議の藤原仲成卿が来る。そこでそなたたちに頼みたいことがある」


「如何なることでしょうか?」


「朱雀門に来たら、目的の者が大極殿にいると申して通して頂きたい」


 朱雀門の衛兵が頷く。


「仲成卿が何を申そうが、応天門は決して通してはならぬ。上役に確認取るなどと少し待たせてときを稼いで頂きたい。決してその場から離さずに留めて置いて貰いたい。その間に我等衛門府のものが捕縛する」


 応天門の衛兵には状況が理解できない。


「何か重大なことが起こるのでございますか?」


「そなたらの力を借りたいゆえ、他言無用に願いたい。こたび仲成卿が上皇を担いで平城京遷都を企てている。こちらの貴族に賛同者を集めるがための上京との密告が入った。なんとしてもこの場で取り押さえたい」


 一同は話の内容に緊張が走り、身が引き締まる。


「承りました。必ずやご期待に添いますよう努めます」


事の重大さに驚く若い門兵だが、将来有望な冬嗣に何かと役に立ちたいと思っている。この月は左衛門府の衛兵が門番になっているので、上官たる冬嗣に認められたいと思うのは当然である。


 数日をおいて、仲成が朱雀門に姿を現す。


「ご用向きをお教え願います」


「参議の藤原仲成である。臨時の職務ゆえ、太政官の官吏に用がある」


「わかりました。太政官の方々は只今、朝堂院に居られます。そのまま応天門までお進みください。」


 約定どおり門を開き、中に入るよう促す。


朱雀門を通った仲成は真っ直ぐ応天門に向かって歩きだす。門へと向かう中、通りすがりで仲成を見知ったものが珍しげに眺めている。


応天門に着くや、門兵から問いただされる。


「御用の赴きを伺いたい」


 門の内は昇殿できる貴族といえども、都の外のものであれば簡単には入れない。


「参議の藤原仲成である。平城上皇の使者で旧都よりまかり越した。門を開き、中に通されたい」


 官職の上でも昇殿できる立場のため、身分が証明できれば、入内は拒否出来ない。


しかし、事前に冬嗣との約定があるので門兵は怯まず問いただす。


「ご身分は分かりましたが、都のほかより参られたのであればどなたかの書付けなどありましょうか?」


「その様なものは無い。火急の用向きとて中に入れぬと申すか」


仲成は苛つき始めている。


門兵の長は、ここにとどめ置くために問答を重ねる。


「役目になります故、ご容赦願います。参議殿は式家の方とお見受けします」


「いかにも藤原式家のもので、今は平城上皇にお仕えしている」


「左様ですか。わたしは日頃から式家の葛野麻呂かどのまろ様、緒嗣様には大変お世話になっております。さぞや大切な用向きと推察します。さすれば暫しお待ちくださいませ。いずれかの御方に取り継ぎいただけますよう計らいます」


 両者の名は冬嗣から聞いていたので、問答についても事前に打ち合わせている。


仲成の方も彼等を訪ねるつもりでいたため、都合の良い申し出だ。


「それはありがたい。すまぬがよろしく頼む」


「では早速に」


門兵の一人が去ると、仲成は傍らに控える。

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