第5話 伊予親王事件

仲成は大納言雄友と懇意な共通の知人に密かに打ち明ける。


「これは伊予親王の大事に関わることなので、儂が話すより、そなたが話した方が良いと思ったので聞いて欲しい」


「いかなることでしょう?」


「儂の手のものの調べでは、藤原北家で宗成と言うものが親王様と懇意にしている。親王様が皇太子になれなかったことにつけ込み、謀反を唆かしているとのことらしい。大事に至る前に対処せねばならぬ。そなたの手柄とするならば、そなたの手のものから聞いた話とすれば良い」


「それは良いことを聞いた。早速に大納言様のお耳に入れよう」


 

 話を聞いた雄友は激怒する。


「若いもの同士と思って、特段気にしていなかったが、まさかそのようなことを企んでいたとは何ごとか。ましてや、北家のものとなるとこれは捨ておけん」


 日頃は温厚な人物と言われる雄友である。事が事だけに、怒りのあまり話の出所、事の真相を確かめることを忘れてしまう。ただただ怒鳴るばかりだ。


「まずは右大臣卿に報告されることが肝要かと。右大臣卿なれば、同族の北家のものの対処はしていただけるものかと」


「わかっておるわ。親王にもしものことがあったら、吉子に会わす顔が無いわ。ここは何としても、右大臣の内麻呂に宗成を処断してもらい、類が親王に及ばぬよう計らってもらわねばならぬ」


 右大臣に状況を報告するが、幾日経っても一向に動く気配が無い。


雄友にとっては気が気でない。親王の方も宗成から謀反を勧められたと言うことなので、その旨を奏上させた。これによって事態が公になり、帝の知るところとなった。


(内麻呂め、己が家から不忠者が出ては困ると見え、静観するつもりか。


このままでは親王が首謀者になり兼ねない。ここは宗成を捕らえて、自白させねば)


 雄友は自ら衛門府に出向き、宗成の捕縛を命じる。


不穏な空気を察した伊予親王も、宗成から謀反を唆されたことを朝廷に奏上する。


これにより左衛門府に容疑者捕縛の命が出された。


 

 数日後、宗成は捕縛され、尋問される。


ことの重大さにすっかり怖気づいてしまっている。


自分の無実と主張したが、なにやら拷問も辞さない雰囲気になっている。


(拷問など、たまったものではない。とても仲成様の名は出せない)


考えあぐねた末、「謀反の企ては、賀美能親王が立太子したことに不満を抱いた伊予親王から打ち明けられたものにございます」と、嘘をついてしまう。


 

 これを聞いた帝はみるみる顔色が強張り、激怒する。


聡明ではあるが、生来猜疑心の強いところがある。


「異議があるならば直接朕に打ち明ければ良いものを。目の届かないところで、臣下のものと結託するとは許されざるものなり。直ちに捕らえ、何れかの場所に幽閉せよ」


 帝は直ちに近衛府の安倍兄雄、巨勢野足こせののたりらに伊予親王の捕縛を命じる。彼らは百五十名の衛兵を引き連れて親王の居館を取り囲み、母の吉子とともに捕らえる。そして吟味もされない内、直ちに都より数里離れた旧都長岡京にある川原寺に幽閉する。


 親王は身の潔白を叫ぶが、受け入れられない。


食料でさえもまともに与えられていない状況である。


 

 数日経って、遣使から水らしきものが入った甕が渡された。


どうやら毒のようだ。体力も気力も萎えているところに、このような仕打ちを受けるとは、もはやこれまでと観念する。


「母上、わたくしめの不徳の致すところで、このような仕儀となってしまいました。帝はわたくしに死を望んでいるようにございます。この上は謹んでお受けしようと思います。我が死を以て、母上が赦免されますよう先程、監視の役人に伝えておきました。これにておさらばにございます」


「母はそなたがそのようなことをするとは思うておらぬに。何故このようにことになるのじゃ」


狼狽するも、母吉子はかつて桓武帝が実弟の早良親王を無実の罪で亡きものにしたことを思い出す。


 早良親王は無実の無念を晴らすために絶食して果てた。このことで桓武帝はその怨霊に悩まされ、都を平安京に移した一因と言われた程だ。


(あの折は、親王様と仏門との関りの強さを恐れた帝が苦渋の末に決断した不幸な出来事と思うた。帝もその鎮魂に努められたが、まだそれが癒えぬと言うのであろうか。我が子の存在をも許さぬと言うのであろうか。なればこの後に及んでもがきはせぬ)


「何を申すのじゃ。そなた無きこの世に何の未練などありましょうや。ともに参りましょう」


「親不孝者で申し訳ありません」


伊予親王と母吉子は毒を呷り、自害した。


 

 刑部省からの通達で、藤原宗成は共謀罪で流罪になった。


外祖父の藤原雄友は、連座の罪を問われ官位剥奪の上、伊予の国に流罪となった。


 また、同じく南家で中納言の藤原乙叡たかとしも官位を剥奪の上、流罪となった。乙叡はかつて宴席で帝の側近くで飲んでいた際に、酔って吐しゃするという失態を冒した。


驕り高ぶるところがある乙叡を帝は余り好ましく思っていなかったが、このことで嫌うようになった。


 暫く経つと無罪であること判明し、赦されて都に戻される。帝から嫌われることで連座の罪に問われた事を知ると、これを嘆き自らの命を経ってしまう。


 

 この一件で、内麻呂は動いていない。


宗成が単独でできることとは思えず、密かに裏の事情を探り当てた。


 この上、宗成が首謀者となってもらっては困るため、独断で毒入りの甕を親王に渡すよう指示した。


内麻呂は、自分が生きている間に式家をなんとかしなければと思っていた。


 

 事件から十二年経った弘仁十年(八一九年)に伊予親王は母とともに無罪とされ、親王の称号に復している。


その年は天災、重臣の多くが亡くなったことでその怨霊のためとされ、これを鎮めるための措置が取られた。


王城鎮護のためとはいえ、この時まで放置されていたものの仕業にするのは彼らにとっても迷惑な話である。


 平城天皇は、伊予親王を死に追いやったことを悔やみ、身体に不調が現れるようになる。


 父桓武帝の代と同じことが繰り返された。都の遷都もその呪いから逃れるためと噂されるているだけに、それを思うと余計に心息苦しくなる。


寺社などに祈祷を頼むが、一向に回復する兆しの見えないまま、日々が過ぎてゆく。

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