第196話翌日 銀座監査法人専務室

圭太自身、「佐野好男の件」は、かなり不機嫌だった。

少なくとも、自分の名前が出て、銀座監査法人に迷惑を掛けたのは事実。

「申し訳ありません、どのような処分も受けます」

と専務高橋美津子に謝罪するのも、不愉快。

(紀子を含め、周囲に気取られないようにした)

(専務高橋美津子は、それはあり得ないと言った)


そして、ますます、「池田家」「池田商事」が、嫌になった。

(池田光子の真面目さ、けなげさだけは、可哀そうなくらいに思っているけれど)


芳香も、圭太の不機嫌を、すぐに察した。

(しかし、何も聞かず、何も言わなかった)


翌日の昼、銀座監査法人全体に、鰻の匂いが充満した。

(池田光子の実家は高級割烹、鰻料理の老舗)

(当日出勤の銀座監査法人全員に、特上鰻弁当を配った)


昼食後、専務室に、池田光子と池田家の執事長川口久雄が、揃って深く頭を下げに来た。

池田光子

「本当に恥ずかしいことを、謝っても謝り切れません」

「佐野については、きつく叱り、池田家として、解雇いたしました」

執事長川口久雄

「私も執事長として指導責任を痛感しております」

「給与の1か月返上をいたしました」


圭太も、頭を下げた。

「私の名前で、会社に迷惑をかけました」

「どのような処分も受けます」

(実際、重大な処分も受ける気持ちでいた)


その圭太を、専務高橋美津子が諭した。

「圭太君に非はないよ」

「佐野好男からの電話を受けるのも受けないのも、圭太君の自由ですから」

「酔っ払いの言動なんて、予想できる人はいない」

「簡単に処分なんて、言わないで欲しい」


圭太が静かに頭を下げた。

(池田光子も、ホッとした顔になった)


専務高橋美津子が、話題を変えた。

「会長の具合はいかがですか?」


池田光子は、首を横に振る。

「あまり、リハビリは進みません」

「なかなか、難しいようです」


専務高橋美津子は、一旦圭太の顏を見てから、池田光子に。

「今回の件は、不問にします」

「単なる酔っ払いの乱入と処理いたします」


池田光子と執事長川口久雄が、再び頭を下げると、言葉を続けた。

「さすがに、素晴らしい極上の鰻でした」

「堪能いたしました、あの程度のことで、こちらこそ、申し訳ない程です」


池田光子に、ようやく笑顔が戻った。

「ありがとうございます、専務の御厚情、痛み入ります」



池田光子と執事長川口久雄が、銀座監査法人を辞した後、専務高橋美津子は、圭太を専務室に留めた。

(どうしても、聞きたいことがあったから)


「ねえ、圭太君、どうして、池田家に戻ろうとしないの?」

「里中家と田中家のことは、わかります」

「それ以外に、何かあるの?」


圭太は、厳しい顔になった。

「何もありません」

「僕は、田中隆と田中律子の子です」

「池田から、母律子が里子に出されていることは、母が亡くなってから知りました」

「池田華代さんとは、母の死後逢いました、ただ逢っただけ、何もありません」


専務高橋美津子は、圭太の苦しい顔に、それ以上は聞きだせなかった。

(苦楽を共にした旧友、律子の顏が浮かんだ)

(律子が、それ以上は、やめて、と言っているような気がした)


圭太は、厳しい顏のまま、専務室を出て行った。

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