第173話紀子は、圭太に迫る 不思議な納得
午後5時になった。
定時に帰ろうとする圭太に、河合紀子が声をかけた。
「ねえ・・・少し、いい?」
圭太は、表情を変えない。
「監査の内容に問題が?」
「業務時間中に言って欲しい」
河合紀子は、言葉に詰まった。
「あ・・・そうでなくて、監査でなくて」
圭太は、ため息をつく。
「家に戻りたい、もう業務時間外なので、それに何か問題が?」
河合紀子は、ますます焦った。
「あの・・・芳香さんとのこと」
圭太は、表情を変えない。
「個人的なこと、仕事とは直接関係がない」
「役員と上司には、一応報告しました」
河合紀子は、その冷たさをもった「返し」に、脚が震えた。
「・・・入籍したの?」(今さらとは思う)
圭太は、頷く。
「今朝、正式に区役所で済ませた」
河合紀子は、目頭を抑えた。
「ごめん・・・おめでとうだよね・・・」
圭太は、少しやさしい顔になった。
「ありがとう、ご心配かけたかな」
河合紀子は、必死に平静を保とうとしたが、無理だった。
「圭太が遠くに、圭太にフラれた」(涙がボロボロと落ちた)
圭太は、少し首を傾げた。
「意味が不明だ」
「遠くには行かない」
「まだ銀座監査法人に入ったばかり」
「監査も途中だ」
「フルもフラないも、そういう関係ではないよ」
「そもそも、俺と紀子に、恋人らしいこととか、そんな時期があったのかな」
河合紀子は、言葉が震えた。
「同僚で・・・学友で・・・?」
圭太は、少し笑う。
「その通り、紀子が嫌と言わない限り、いつまでも、その関係」
河合紀子は、不思議な想い。(悔しさと、圭太の深い優しさを同時に思うような)
「一緒に仕事をしてと言えば、ずっとしてくれるの?」
圭太は頷く。(ただ、少し顔が曇った)
「紀子とは、ずっと仕事をしたい、そう決めてはいるんだが・・・」
「面倒なこともあるから」
「それを、きっちりと、片付けたい」
(この時点で池田商事の件を匂わすが、紀子は気がつかない)
河合紀子は、少しずつ、気持ちが整理のような不思議な感覚。
「私、仕事で圭太の近くでいいの?」
「ずっとでも?」
圭太は「うーん」とうなった。
「職場妻・・・そういう意味でないよ」
「あくまでも、監査の同僚」
「良き相談相手、作業相手」
「ずっと、何十年でも、紀子が良ければ、そうなる」
河合紀子は、ストンと力が抜けた。
「芳香ちゃんに、圭太の健康管理」
「私は、仕事仲間・・・ずっと、圭太にベッタリ」
「そういう関係もあるのかな」
圭太は頷く。
「だから、勤務時間中は、何も変わらない」
河合紀子は、突然、佐藤由紀を思った。
だから、聞いてみた。
「佐藤由紀は?どうするの?」
圭太は、顏を曇らせた。
「高校の後輩、ここでも同僚」
「仕事は、一緒にしたくないタイプ、ミスが多い、すぐに感情的になる」
「仕事は、紀子とのほうが、しやすい」
河合紀子は、「当たり前のうれしさ」と、「芳香に取られた落胆」と、入り混じったような複雑な想い。
もう一つ聴きたいことがあった。
「ねえ、圭太、池田商事の件は?」
圭太は、厳しい顔になった。
(紀子と気持ちのズレを感じたけれど、気にしない)
(素直に自分の結論を言った)
「それは、俺は関知しない」
「俺は、どうのこうの言う立場でもないし、池田に勝手に騒がせておけばいい」
そこまで言って、圭太は「では、また明日」と一礼、銀座監査法人を後にした。
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