第170話佐藤由紀の失意

私、佐藤由紀は、午後の仕事を、とても続けられなかった。

突然耳に入って来た圭太さんと「平野芳香」の「入籍」情報は、私にとって、恐ろしい程の衝撃だった。

(本当は祝福が筋?でもできないよ、そんなこと)

(私が圭太さんを好き、欲しいのだから)


「早退」を主任も察してくれた。(そのやさしい目に涙が出た)

涙隠しの黒サングラスは役に立たなかった。(涙があふれて止まらないのだから)


深川の家に帰ると、母芳子が驚いた顔で出て来た。

でも、何も言わなかった。(ありがたかった)


部屋に入って、制服を投げ捨てた。(制服が悪いわけではないのに)

ベッドに飛び込んで、大声で泣いた。(言葉にならない)


圭太さんに「私に気がない」のは、とっくにわかっていた。

「気があれば」銀座監査法人に入って来た時点で、「お久しぶり」くらいは言うはずだから。

その「気がない」圭太さんに、無理やり昔のことを言って迫ったのは、私。

お酒なんて飲めもしないのに(すぐにフラフラになるくせに)かっこつけて飲んで、酔っぱらって迷惑をかけたのも私。(圭太さんは、呆れたと思う)(何てはしたない女だと・・)


かなりつきまとって、絡んだ。(その気がない圭太さんなのに)

マンションに入って、気がないことに腹を立てて、怒りに任せて押し倒して、唇まで奪った。

(明らかに圭太さんは、嫌そうな顔をした)

(厳密に言えば、私の暴行罪と思う)

(少なくとも、同意はない)


私が日比谷高校の部活の後輩、母芳子と圭太さんのお母様がお友だち、それ以外に圭太さんへのポイントはないことも現実。


母芳子が前に言っていたことを思い出す。

「由紀が、圭太君に迫っているだけでしょ?」

「圭太君は、大人だから送ってくれたり、合わせているだけだよ」

「圭太君の苦しみを、どれだけわかっているの?」

「とにかく、半端な苦しみではないよ、でなければ、あんなに痩せない」

「その苦しみをやわらげたの?できたことがあるの?」


圭太さんが、平野芳香と出勤して来た様子も浮かんだ。

(圭太さんは、すごくやさしい顔だった)

(あんなやさしい顔は、日比谷高校でも滅多にみないほど)


平野芳香と一緒にお昼を食べている時も、美味しそうな、うれしそうな顔。

(私には、自分でお弁当を作って圭太さんに食べさせる自信は、全くない)

「好きな男の胃袋をつかめない」そんな情けない女と思う。


結局、私は、「好き」の勢いで迫るだけで、現実の努力(料理を習うとか)に欠けていたことは事実。

感情ばかりに走って、圭太さんのお母様の法事では、役に立たなかった。

(タクシーの手配で焦ってもたつき、平野芳香に完全カバーされた)

(自分自身、情けなかった)


「・・・でもなあ・・・・」

私は、ようやく仰向けになった。

(涙は、まだ止まらないけれど)

「圭太さんは、恋愛に不向きとか」

「生きているだけとか」

「まるで氷の柱だったのに」

「いきなり・・・入籍って何?」

「私の好きも何も・・・届かないよ」


由紀の疑問と苦しみは、まだ続く。

「よほどの何かがあるのかな、あの芳香って子に」

「確かに、頭も仕事も気配りもキレキレで」

「でも、あの氷の圭太さんを、いきなり落とすって何?」


また涙があふれて来た。

「圭太さん!」

「私、圭太さんが好きだよ」

「叱られても何でも、頑張ってお世話したかったのに」

「せめて・・・決める前に言ってよ・・・」

「その一言もない、そんなどうでもいい女なの?」

「ただの高校の後輩で、仕事の同僚だけってこと?」


由紀は、スマホを手に取った。

「圭太さんの声が聴きたい」


しかし、タップが出来ない。

「今は、心血を注いだ監査中とか言うよね」

「個人的な話を業務時間中にするなとか」


由紀は、「じゃあ、業務終了後に」と考えた。

しかし、それも「難しい」と思った。

「新婚早々の圭太さんに情けない邪魔を仕掛けるフラレ女?」

「その前に、相手にされていなかった、それが現実」


由紀は、ふとんを頭からかぶった。(また涙が止まらない)

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