第104話平野芳香は、簡単には帰らない

圭太としては、平野芳香に特別な思いはない。

確かに、父は、道路に飛び出した平野芳香(当時小学生)をかばって、代わりにトラックにはねられて命を落とした。

しかし、父は、平野芳香だから、かばったのではない。

ただ、道路に飛び出した「人」を、咄嗟にかばっただけ。

それを考えれば、平野芳香を憎む理由はないのである。

(それは、当の父であれ、母であれ、同じと思っている)


ただ、今は、その平野芳香に「引き寄せられている」(うかつにも、こんな人が歩いている中で)状態である。

恥ずかしさもあるので、平野芳香を諭す。

「あの・・・平野さん、密着し過ぎかな」


しかし、平野芳香は、引き寄せをやめない。

「圭太さん、寒いだろうと思って」

「私は、圭太さんを温めたいんです」

「それから、平野さんでなくて、芳香でお願いします」

「私は圭太さんって、呼んでいますから」


圭太は、思わず笑ってしまった。(実に珍しいけれど)

「負けました」

「でも、温かい、助かる」

「芳香さんで、いいのかな」


平野芳香は、また身体を寄せた。

「うれしいです、圭太さん」(少しホロッと潤んでいる)


そんな歩きの中、圭太はタクシーを拾った。

「芳香さん、送って行く」


平野芳香は、首を横に振る。

「圭太さんのマンションに行きたいです」

「もう少しお話したくて」


圭太は、拒めなかった。

「特に話したいことがあるなら、聞く」

「ただ、あまり遅くならないように」


平野芳香は、花のような笑顔。(圭太は、すごくまぶしいと感じた)

「うれしいです、圭太さん」

そのまま、圭太の手を握っている。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る