第89話平野芳香と圭太①

圭太は、時間の節約を考えて、タクシーを拾った。

(実際、東銀座と月島の距離なので、タクシーでは約10分)

(タクシーの中では、圭太と平野芳香は、何も話さなかった)


マンションの中に、平野芳香を迎え入れ、圭太は、まず、紅茶を淹れた。

(午後の池田光子と同じ、レディグレイ)


平野芳香は、一口飲んで、顔を赤らめた。

「美味しい・・・どうして、こんなに?」


圭太は、やわらかな顔。(この平野芳香には、どうしても厳しい顔ができない)

(厳しい顔をすれば、父隆の死の原因の平野芳香を責めるようになってしまうため)

「落ち着いた?」(声の調子もやわらかい)


平野芳香は、頭を下げた。

「ごめんなさい、突然、声をおかけして、泣いたりして」

「お顔見たら、我慢できなくて」

圭太は、やわらかな顔のまま。

「母の祭壇に行きます?」

平野芳香が頷いたので、立ちあがって、母の祭壇に誘った。


「律子さん・・・」

予想通り、平野芳香は、母の遺影と位牌に手を合わせ、激しく泣いた。

圭太は、泣き止むまで、静かに見守った。


約10分後、平野芳香は、母律子の遺影の前に、名刺を置き、圭太に振り返った。

「ありがとうございました、無理を言って」

「お母様と、お父様にも、報告を済ませました」(名刺は就職報告らしい)


圭太は、平野芳香を、再びソファに誘った。

「こちらこそ、ありがとうございました」

(圭太も、丁寧に頭を下げた)(これで、平野芳香との縁も切れると思ったから)


ただ、そうはならなかった。

平野芳香が、その丸い目を圭太に真っ直ぐに向けて来た。

「あの・・・圭太さん、もう一つお話したいことが」

圭太は、先行きが全く読めない。

「はい、何でしょうか」と聞き返すしかない。


平野芳香は、また目を潤ませた。

「律子さんが・・・圭太さんを心配していて」

圭太は、「何を今さら」であるけれど、静かに平野芳香の話を聞く。


平野芳香

「先ほども感じましたけれど、すごく、お痩せになっていて」

「お母様も、それを心配していて」

圭太は、平野芳香の言葉を制した。

「それは・・・私個人の問題です」(母とどんな話をしようが、今日の時点で、平野芳香との関係は切るべきと思っている)

「平野さんが、気にかけることではありません」


平野芳香は、必死な顔で、首を横に振る。

「だめです、私も心配です」

「私は、圭太さんのお役に立ちたい」


圭太は、答えに難儀した。

(この平野芳香以外の女なら、突き放すことができるけれど)

だから、少し考えて無難な答えを選んだ。

「心配ありがとう」

「これからは、食べる量を増やそうと思っています」


少し間を置いた。

「もう、母も死にました」

「私たちの家のことは、忘れてください」

「お幸せに生きてください」(できるだけ、やわらかい顔を作った)


平野芳香は、複雑な顔。

「そう言われましても、無理です」

「私だけ幸せになんて、申し訳なさ過ぎます」


圭太は、再び返事に難儀している。

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