第82話池田光子と圭太②
レクサスの中では、池田光子も圭太も黙っていた。
ただ、実際走行時間は短かった。
約10分で、築地の割烹料理店に、レクサスは停車した。(小さな店、しかし、知る人ぞ知る超名店)
池田光子が言葉を出したのは、その割烹料理店の一番奥まった小部屋に入った時。
「圭太さん、ごめんなさいね、いきなりで」
池田光子は、少し笑った。
「ここ、私の実家なの」
圭太は、頷いた。(池田商事元総務部として、知っていたから)
そして、圭太から頭を下げた。
「その節は、大変ご迷惑をおかけしました」(会長命の人事を拒否、退職したことを謝った)
池田光子は、苦しそうに首を横に振る。
「いえ・・・それは、こちらの、失態」
「とにかく池田聡の無神経が悪いの、把握不足も甚だしい」
「圭太君だけは、何としても、残ってもらわないといけないのに」
仲居が、顔を出した。
「光子さま、いかがいたしましょうか」
池田光子は、圭太の顏を見て
「鰻でよろしい?」
圭太は、不安(食べきれる自信がない)。
しかし、ここでもたつくのも、恥ずかしいと思った。
「お任せします」
(無難な答えにした。連れて来られて料理を選ぶのは無粋と思った)
すごく香りの高いお茶も出された。(川根茶の極上と圭太は察した)
そのお茶を少し飲んで、池田光子は、「用件」を語りはじめた。
「あの・・・圭太君も、薄々事情を知っているかしら」
「池田華代さん、池田聡の実母、私の姑」
「それから・・・」
圭太は、目をそらさない。
池田光子の目に涙がにじんだ。
「律子さんの、生みの母」
圭太は、表情を変えない。(変えるべきでないと思っている)
池田光子は、続けた。
「今、築地の病院で」
「一番強い鎮痛剤で、命を保っている状態」
「鎮痛剤を止めれば、一晩持たない」
そこまで言って、圭太の顏を見た。
「圭太君にも、いろんな思いはあると思うの」
「でも・・・お願い」
「何も言わなくていい」
「お母様の手を握るだけでいい」
「本当は、申し訳ないこと・・・」
「そんなこと、言えた義理でないことも、わかっている」
「池田商事に戻って欲しいとか、そんな腹黒いことは、考えていないの」
「ただ・・・華代さんは、祐君と握手をしたいだけなの」
「律子さんを立派に看病してくれた感謝もあって」
「そうでないと、死んでも、成仏できないの、きっと」
圭太は、少し感情に走ったような、池田光子の話を冷静に聞いていた。
「池田家の勝手で、自分が生んだ娘を、犬や猫の子のように捨てておいて」
「いざ、自分が死にそうになったら、孫の手を握りたい?」
「そうでないと成仏できないだと?」
「俺は、成仏の道具に過ぎないのか?」
「それで、手を握れば、後は使用済みのゴミか」
「野となれ山となれか・・・池田家らしいな」
話し合いの場所を池田光子の実家、鰻にしたのも、「説得」の時間を稼ぐためと判断した。
圭太は、やはり圭太らしく、冷静に返した。
「母律子から、池田華代さんとの関係は聞いておりません」
「母は、言う必要がないから、言わなかったと思います」
「私が、関係を知ったのは、華代さんからの手紙です」
「それも、母の死後」
「それを考えれば、申し訳ありませんが、華代さんの手を握ることが、母の本意に沿うことになるのでしょうか」
「本来、法的には、無関係です」
「そう仕向けたのも、池田家では?」
そこまで言って、間をおいた。(池田光子が、実に苦しそうな顔をしていたから)(池田光子に、何の非もない、それもわかっていた)
圭太は、少し表情を崩した。
「わかりました、ただ、手を握る」
「それだけに」
(唯一の祖母、苦しんだ祖母が、気にかかった)
(池田光子の涙に負けた)
(手を握るくらいで、悩みたくなかった)
途端に、池田光子は、激しく泣き出した。
「ありがとう・・・圭太君・・・」
「私、律子さんが大好きで、姑の華代さんも大好きなの・・・」
「二人とも、本当にやさしくて・・・」
「だから、池田に残ったの」
圭太は、スマホで高橋美津子にメッセージを送った。
「昼休み、1時間延長させてください」
高橋美津子から、すぐに返信があった。
「早退でも、問題ありません」
「とにかく、圭太君の判断に任せます」
圭太は、高橋美津子の「大きさ、やさしさ」を、実にありがたいと感じている。
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