第66話池田華代の苦しみ①

池田華代は、苦しんでいた。

長年患ったガンの痛みだけではない。

入院している築地の病院から目と鼻の先の月島に、「孫」の圭太がいるのに、「逢えない」ということに。


何度も看護師に声を掛けようかと思った。

「車椅子でも何でもいい、私が付き添いを準備しますから、すぐそこの月島まで行きたいの」

「孫の顏を見たいの、生きているうちに」


しかし、すぐに「正気」に戻る。

「逢ってくれるかどうかもわからないのに」

「私は、律子(圭太の母)を捨てたんだから」


「赤子」だった律子の顏が浮かんだ。

「律子・・・ごめんなさい」

「池田の都合で・・・あなたを家におけなかった」

「育てたかった、抱きたかった」

「でも・・・許されなかった・・・」

「私がこしらえた借金ではないのに」

「お父様が商売で失敗した借金のために・・・」

「里中寛治さんとの結婚は許されず、あんな宮田隆を婿に」

「それは・・・池田の借金は・・・良かったけれど」


手元には幼子の律子の写真。

何度も手にして、涙の跡も多い。

「律子・・・」

「何で、私より先に逝くの?」

「あんなに可愛かったのに」


池田華代は、親の目から隠れて、何度も「里中律子」に逢いに行っていた。

里中寛治の妻が、華代の親友の由美だったことも、助かった。

ただ、律子を里中家に預ける時には、修羅場になった。


華代

「ごめん、律子をお願いします」


由美は、寛治にも律子にも怒りまくった。

「何よ!二人とも私を騙していたの?馬鹿にしないでよ!」

「池田で育てなさいよ!私、知りません!」

「もう、別れたい、こんな人と」

「孤児院でも何でも持って行ったらどう?」

「私は、律子の犠牲になるの?」


華代自身、話がグチャグチャと思った。

里中寛治とは、長年の恋人。

身体の関係もあって、婚約前に律子を身籠った。

結婚も、実は両親も内諾していた。

しかし、突然、父親が手のひらを返した。

「華代、認めるわけにはいかなくなった」

「会社で借金が多くて、どうにもならない」

「それで、融資を申し込んで来た、素晴らしい青年がいる」

「お前も見たことがあるかな、貿易商の宮田隆君」

「彼は、商売も上手だ、彼を婿に貰うことに決めた」


里中寛治は、傷心となったが、律子の親友でもあった由美と、少しして恋仲に落ちた。

そのまま、結婚式をあげた。

里中寛治は、池田華代から「妊娠、出産」の話を聞いて悩んだ。(出産直前、どうにもならなかった)

だから、律子の引き取りと養育は、由美に頼みこんだ。

「俺にも大蔵省の仕事があって休めない」

「でも、律子は孤児院などに預けたくない」

「本当に申し訳ないが、律子の世話を頼みたい」

「由美しかいない、頼めるのは」


最終的には、由美の母の言葉で決着がついた。

「由美、これも授かりなの、しっかり育ててあげなさい」

「赤ん坊の前で、そんな大喧嘩は、可哀そう」

「ほら、律子ちゃん、こんなやさしい顔で、おめめに涙をためて」


池田華代は、あの時の由美の母の言葉は、神様の言葉と思っている。

「寛治さんも、由美も、本当にやさしく律子を育ててくれた」

「でも・・・律子に逢いに行っても、私は友達のおばさん」

「辛かった、律子と別れて、池田の家に帰る時」

「何度も泣いて・・・律子に慰められて・・・律子はやさしい子だから」


池田華代の目に、やさしい律子の顏が浮かんだ。

涙が止まらなくなった。

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