第11話失意 そして事件の発生

圭太のマンションを出て、人事部長宮崎保は、深いため息をついた。

その足取りも、重い。

人事課山田加奈も、同じようなもの。

「部長、タクシーでもかまいませんか?」


人事部長宮崎保は、声も出ない、たた頷くだけ。

タクシーに乗り、信号渋滞にかかり、ようやく口を開いた。

「圭太君は・・・我社を見捨てたのかもしれんな」


人事課山田加奈は、その意味がわかる。

確かに、田中圭太がいないと、日々の締めもできない総務。

決算も決算書も、ここ数年は田中圭太任せ。

自分たちでは、まるで決算がわからないと、大声で笑う、そんな甘い体質。


営業の「エースの鈴木」の「天狗顔」「経費のゴマカシ」「女癖の悪さ」それを知りながら、単に「営業成績トップ」だけで、おだてあげる同僚、上司、幹部たち。

その「おだて」への「同調圧力」に屈してしまう、「エースの鈴木」に「遊ばれ捨てられた女」たちの「意気地なさ」と「軽薄さ」


田中圭太は、その全てを見抜き、内心では呆れ果てていたのだと思う。

「圭太君なら、我が社でなくても」

「もっと大きな商社でも、通用します」

「いや、そうなって欲しい」


人事部長宮崎保は、悔しそうな顔。

「ああ、そう思うよ」

「我が社の、レベルの低い社員の子守では、もったいない」

「それとなあ・・・つくづく、俺は・・・情けないよ」


人事課山田加奈は、人事部長宮崎の心中を察した。

圭太は、その実母の入院も死の前兆も、人事部に相談一つしなかった。

それだけ、池田商事の人事部は、田中圭太にとって、信頼に値しないことになる。

ただ、それは、山田加奈も同じ。

「私も・・・同期で、同じ大学なのに、何も相談されませんでした」

「情けないです」

本音だった。


人事部長宮崎は赤く染まった夕焼け空を見た。

「圭太君の懲戒解雇の文言は書けない」

「確かに会長命には背いた、でも内示の段階で、辞令までは出していない」

「それと、実母の病状懸念や葬儀の必要があった」

「彼の家族状況もあるから・・・人事異動拒否は、正当な事由になる」

「だから、とても懲戒まではならない」

「そんなことを書いて、圭太君がハローワークで説明でもしたら・・・我が社にも、労基から問い合わせが来る」

「それに、会長が、そんな文言を認めない」

「何としてでも、連れ戻せとの指示だ」


二人の目に、池田商事のビルが見えて来た。

人事部長宮崎保は苦しそうな顔。

「戻りづらいが・・・」

人事課山田加奈

「そのまま会長室に?」

人事部長宮崎保の顔が引き締まった。

「ああ、秘書に連絡を入れて欲しい」


人事課山田加奈が、会長付秘書に連絡を入れた。

すぐに連絡がついた。

「部長、会長は少々ご立腹のようです」

「何やら、事件も発覚したとも」


人事部長宮崎保の眉間に皺が寄った。

「事件って・・・この年度末に?」


人事課山田加奈は小声になった。

「営業部・・・例のエースの鈴木さんらしいですよ」

「婦女暴行とか何とか」


タクシーは池田商事正面玄関に停車した。

人事部長宮崎保、人事課山田加奈は、3月末の夕方の冷たい風も何も感じない。

その顔を厳しくして、ビルの中に入った。


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