依頼
――――ジリリリリリン、ジリリリリリン。
室内で目覚まし時計が、これでもかというほどの爆音で鳴り響く。
「ん、んんぅ。もう朝なの……嘘でしょ……?」
フィテロは気だるげにうっすら目を開け、目覚ましの停止ボタンを手探りでピッと押しこむ。
「よし、これでまだ寝れる――――」
「――――わけないでしょうがっ! 早く起きてください、フィテロ様!」
目覚ましの音が止むと同時に、それ以上の声量でフィテロを一喝する声が響いた。
「……もう、わかってるわよ。だからあと少しだけ」
「駄目です! 今日は龍神族のサルエロ様の護衛という大事な予定が入っています。いいから起きてください!」
声の主は往生際悪く布団に潜り込んだフィテロを無理矢理引っ張り出し、ビッと立たせ、服を手際よく脱がせていく。
「ちょ、着替えは自分でやるっていつも言ってるでしょ!」
「じゃあもう少し、早く起きることを心がけてください!」
「はいはい、わかったわよ。まったく、今日はいつにも増してうるさいわねミミナ」
悪態をつきながら、フィテロは服を脱がそうとしてくるミミナを引き離した。
ミミナはフィテロの秘書兼世話係を長年勤めている鬼神族の女性で、見た目は高身長でスラッとしていて、眼鏡がよく似合う、いかにも仕事できます系の美人さんだ。
「そりゃうるさくもなりますよ! フィテロ様は少し眠れたからいいでしょうけど、我々はついさっきまで屋敷の修復で一睡もしてないんですから」
「いや、だから屋敷の修復はそんなに急がなくてもいいって言ったじゃない」
「駄目です。フィテロ様は我々のリーダーなんですから。襲撃されたあげく、壊れたままの屋敷に住んでたら周囲に舐められてしまいます!」
昨夜エリーシャとフィテロの戦闘で壊れた屋敷だが、現在はミミナと他の部下の寝ずの働きですっかり元通りになっていた。
この短時間で部下達がどれだけ頑張ったかが容易に窺える。
「ミミナは本当に真面目なんだから。でもあなたのそういうところを私は気にいってるんだけどね。いつもありがとうね」
「な、べ、別に当たり前のことをしてるだけです! 私はフィテロ様の秘書兼世話係なんですから」
ミミナは照れ隠しのように眼鏡をクイッとあげた。彼女はできる女だが、フィテロに褒められるとすぐにあたふたとしてしまうのが玉に瑕だ。
「照れちゃって可愛いわね。さ、着替え終わったし朝食をとりましょう」
「可愛いって……私はどっちかというと美人系だと思うのですが」
ここは照れることなく、真顔で答える。
「自分で美人っていうのはどうかと思うわよ? ま、否定はしないけどね」
ミミナは自分を冷静に客観的に見れる女だ。そんな彼女から見ても、自分は優れた容姿をしてるという自覚があった。
「って、私が美人なのはどうでもいいんですが! それより昨夜の襲撃者は何者だったんですか?」
昨夜、フィテロ以外の屋敷の者はミミナを含めてみんなエリーシャの魔法で眠らされてしまっている。
ミミナだけは最後まで善戦したものの、眠りにつくそのときまで侵入者の顔を見ることも敵わなかった
だからミミナ達にとってはいきなり何者かが侵入してきて、起きたら屋敷が壊れていたということしかわからないのだ。
「だから昨夜のことは気にしないでって言ったでしょ? 皆にはそう伝えたはずだけど」
「皆はやむなく納得したようですが、私はまだ納得していません! あんなことがあった後ですから、私は心配なんです。本当は龍神族が襲撃に来たのではないかと……」
ミミナの言うあんなこととは龍神族の王の息子をフィテロが殴り飛ばしたことに他ならない。
同じ神の名を冠する者とはいえ、相手は王の直系。正直このままで済むとは思えなかった。
「詳しくはまだ言えないけど、昨日屋敷に侵入してきたやつは龍神族とは一切関係ないから安心してちょうだい。それに、あいつらはあいつらでちゃんと嫌がらせしてきてるでしょ?」
「それは、まぁ、そうですが……」
フィテロが龍神族を殴り飛ばしてからというもの、連日嫌がらせのように龍神族やその取り巻きの貴族から護衛の依頼がくるようになった。それも全てフィテロを指名して。
「……正直言って、これは我々【鬼善隊】の活動に相応しくないと思います」
ミミナが不満そうに口にする。
――――鬼善隊はフィテロが創設した慈善団体で、主に国の治安を守るという名目で街を見回りしたり、行く宛のない孤児を保護したりとその活動は多岐にわたる。
活動の一環で護衛も頼まれれば断りはしないが、本来この団体の目的は力なき種族を理不尽な暴力や迫害などから守る為のもの。
力を持つ龍神族の護衛など、ミミナの言う通り本来の活動目的から逸脱した行為と言っても過言ではない。
そしてこの鬼善隊はあくまでもフィテロが個人で勝手に創った団体。規模としては本当に小さく、少数からなる部隊なのだ。
その証拠に部下はフィテロを尊敬して集まった、言ってしまえば変わり者が数十人いるだけで、圧倒的に人数が足りていないというのが現状だ。
「そりゃ私だって気は進まないけど、一応正式な依頼だし我慢してちょうだい」
「我慢はしてません。私はフィテロ様についていくと決めてるので」
「そ、ならいいわ。じゃあ今日も護衛とは名ばかりの嫌がらせを請けに行きましょうか」
「ですね」
残りの部下に今日の見回り場所をそれぞれ指示したあとで、億劫ではあるが、フィテロはミミナと共に屋敷を出た。
◆
「おーおー、わざわざ鬼善隊の隊長、フィテロ・オーガスト殿が来てくれるとは。すまんなぁ」
同じく首都ゾフィールに建っている護衛対象のサルエロの屋敷に着いて早々、フィテロとミミナを出迎えたのはサルエロ本人だった。
サルエロの見た目を簡潔に説明するのなら、初老に差し掛かった、イヤらしい顔をした角の生えたオヤジだ。
鬼神族は力を解放するとき前方に向かって角が隆起するのに対して、龍神族は二本の角が、額から後方に向かって飛び出している。これは龍神族の特徴の一つでもある。
「何を言うのかしら。あなたが私を指名したんでしょ? そりゃ私が来るでしょうよ」
「ふん、相変わらず生意気な小娘よ。わざわざ高い金を払って依頼を出したんだ、さっさと働かんかい」
サルエロはすぐに態度を変え、首をクイッと動かし、フィテロ達を屋敷の敷地内へと招きいれた。
(はぁ~、また退屈な時間が始まるわね……人生でこれほど時間の無駄を感じることがあるかしら……)
フィテロは心のなかで嘆いた。
それというのも、この依頼が100%嫌がらせだとわかりきっているからだ。
まず第一にこの国で龍神族を襲おうとする者など、よほどの理由でもない限りありえない。
しかも屋敷には他にも専属の護衛がいて、なおかつサルエロ自身も老いたとはいえ龍神族。そこら辺の賊にやられることはない。
もちろん龍神族や鬼神族といえど、全ての者が武に長けてるわけではないが、それでも多種族に比べたら自力が違う。
なのでフィテロ達が護衛につく意味なんてひとつもないのだ。
「まったく、百歩譲って他国に行くから護衛を頼むとかならわかるけど。なんで屋敷内でボーッとしてるだけのジジイの護衛なんてしなきゃなのかしらね」
「……フィテロ様、口に出てますよ。もしもサルエロ様に聞かれたら面倒ごとにならないとも限りません。自重してください」
フィテロの口から漏れ出たグチを、ミミナが諌める。
今二人は屋敷の玄関前で並んで、ただ立ってるという、護衛とは名ばかりの嫌がらせを数時間耐えている最中だった。
「はいはい、わかってるわよ」
「一応お金は出るんですから、我慢しましょう」
「そうね」
フィテロがこの無意味な依頼を断らない理由は多々あるが、そのうちの一つにお金の問題がある。
普段は見返りなど求めずに街の見回りなどをしている分、貰えるところからは貰っとかなければならない。
部下は好きでついてきてくれてるが、ちゃんと働いた分のお金は支払っているし、保護した孤児の生活費なども考えるとお金はいくらあっても足りないというのが今の現状なのだ。
◆
「おや、まだいたのか?」
夕暮れ時になって、サルエロが護衛の男を一人引き連れて屋敷から出てきた。
かと思えば、白々しいすっとぼけた口調でそんなことを口にした。
「……どういうことかしら?」
「いやいや、ワシは予定が変わったから依頼をキャンセルしてすぐに帰ってもらうようにと伝えたはずなんじゃが? のぉ、スルドや?」
サルエロは護衛の男に、自分が言ったことの確認をとる。
「はい。サルエロ様はたしかに、この者達にそのように伝えてました」
護衛のスルドは戸惑う様子もなく、言い切った。
無論フィテロとミミナはそんなこと聞いた覚えがない。
「私達はそんなの聞いてないけど。ねぇミミナ?」
「はい、私は今日一日フィテロ様の側におりましたが、そのような話一度も聞いていません」
「ふーむ、そんなこと言われても困るのぉ。ワシは間違いなく伝えたはず」
「……だから聞いてないって言ってるでしょ」
サルエロのありえないいちゃもんに、すでにフィテロの顔は怒りで歪みつつあった。
「はて? じゃがワシはキャンセルしたつもりじゃったからのぉ。金はその僅かばかりのキャンセル料しか払えないのぉ、それでもよいか?」
「いいわけないでしょ。全額きっちり払いなさい」
ただでさえ無駄な依頼とわかっていたのにそのうえお金まで出し渋られては、さすがに黙って、はいそうですかとはいかない。
「おーおー、がめついがめつい。だが払えんもんは払えん。スルド、二人にお帰り願いなさい。どうしても抵抗するというのなら、力づくもやむ無しじゃ」
「はい、承知しました」
ふざけたことにサルエロはそれだけ言うとフィテロ達に背を向け、玄関扉に手をかけた。
このまま屋敷に戻るつもりだ。
「ちょっと待ちなさい!」
こんなのはあまりにふざけてる。
フィテロはサルエロをこのまま屋敷に入れてたまるかと、語気を強め一歩踏み出す。
「力づくもやむ無しとのことなので」
だがその動きに、護衛のスルドがすぐさま反応した。
フィテロの前に立ちはだかり、魔力を込めた手のひらを迷うことなく向ける。
「――――おい、フィテロ様になにをしようとしている」
が、その刹那。ミミナがスルドの手をすり潰さんばかりの勢いで掴んだ。
腕はみしみしと、力づくでありえない角度へと曲がっていく。
主を攻撃されようとしたミミナの顔は普段の知的で美人のそれとはかけ離れていて、まさに鬼の形相をしていた。
「排除します」
しかし、腕の骨はとうにへし折れているにも拘わらず、スルドは顔色ひとつ変えずにそう口にした。
――――そして。
薄茶色だったスルドの瞳が赤く光りだし、体から今までとは比べ物にならないような量の魔力が溢れ始めたところで、
「止せスルド、もうよいわ」
「はい」
主であるサルエロの言葉で、スルドの瞳は元に戻り溢れ出た魔力も収まっていく。
このスルドという男、命令にはかなり忠実なようだ。
「ほれ、今日一日分の金だ、これで満足じゃろ。とっとと帰れ」
乱暴に投げつけられたお金を、ミミナがすかさずキャッチしてフィテロへと耳打ちする。
「お金は確認しました。ちゃんと一日分あります」
「そう、じゃあ帰りましょうか」
「待たんか、フィテロ!」
お金を受け取った以上もうここにいる意味もないしいたくもないが、足早に屋敷をあとにしようと踵を返したフィテロをサルエロが引き止めた。
「まだなにかあるの?」
「いや、忠告じゃ。気づいてるとは思うがこんな嫌がらせ程度では済まさんぞ。コラドス様に手を上げたこと後悔するがいい!」
「ふふ、やっと本音が出たわね。じゃあ私からも忠告をひとつ――――」
フィテロはサルエロの耳元に顔を近づける。
「――――さっき、ミミナが止めなかったら、お前をその護衛の男もろとも空の彼方まで殴り飛ばしていた。命は大事にしろ、老害」
今にも手が出そうなほどの殺気を込めた冷たい目と低い声でそう言い放ち、フィテロはミミナと共にサルエロの屋敷をあとにした。
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