第4話

 忘れ物がないかを一つひとつ確認していく。

 今から一緒に外出するミチ子さんの荷物は、特に何があるというわけではなく。

 ふるさと園では摩擦の少ないフラットな床と至るところに取り付けられた手摺のおかげで歩行時に困ることはないが、一歩でも園外に足を踏み出すと杖がなければ歩くのに支障が出てしまうため、ミチ子さんは外出時には杖を携帯していた。

 二時間ほどの外出だから必要ないかもしれないけれど、外出するにあたってリハビリパンツをはいてもらっている。

 それから、欲しいと思ったら値段も気にせず際限なく買ってしまうから、買い物はさせないでほしいとご家族から念を押されている。だけどそれではあまりにも味気なくつまらない外出になってしまう。

 だから、園からも提案をして、何とかご家族に妥協してもらったのが、家族からミチ子さんにお渡しするお小遣いの範囲内でのお買い物だ。普段使いの服や靴でもいいし、お菓子でもいい。ミチ子さんの好きなもの、欲しいものを何かひとつ購入して帰るのが、今日の課題だ。

「ねえ、早く行きましょうよ。まだダメなの?」

 早く外に出たくて仕方がないミチ子さんは、そわそわと玄関ホールへと視線を馳せる。

「今日は杖を持っていってくださいね」

 わたしは、ミチ子さんに杖を渡す。

 アルミ製の杖は軽くて使いやすい。持ち手のハンドル部分を握るとミチ子さんはわたしのほうへと視線を向けた。

「磯谷のお好み焼きが食べたいわ」

 ミチ子さんはそう言うけれど、朝一にはとんかつ定食が食べたいと言っていた。さっき昼食を食べたばかりなのに、まだ食べる気でいるようだ。

「やあ、お出かけですか、山本さん」

 背後から声をかけてきたのは名尾さんだ。

 朝の出来事を知っているからか、なんだかミチ子さんの様子を窺っているような気がする。

「ええ、そうなのよ。ちょっとそこのショッピングモールまで」

 と、

 そう言ってミチ子さんは、色々と喋りたそうにちらりと名尾さんを見る。

「いいお天気だ。外出日和で何よりですね」

「孫がどうしてもモールのお店でクッキーを買ってきてほしいって言うものだから……」

 ミチ子さんが可愛いがっているお孫さんは、中学生の可愛らしい女の子だ。ミチ子さんによく懐いていて、定期的に面会に来てくれるのだ。

「お孫さんのためにお買い物ですか、山本さん。楽しんできてくださいね」

 名尾さんはさりげなくミチ子さんに付き添って玄関ホールをゆっくりと歩いていく。

「ありがとう。孫のためにもおいしいクッキーを買わなくちゃね」

 お孫さんの前ではミチ子さんは、優しい一人のおばあさんになる。朝のあの鬼のような形相なんて吹き飛んでしまうような変わり身の早さだ。

「それじゃあ、行ってらっしゃい、山本さん。のぞみさんも行ってらっしゃい」

 名尾さんの声に背中を押されるようにしてわたしは、ミチ子さんと共に園の外に出る。ショッピングモールまではわたしの足では徒歩で数分。杖を使うミチ子さんの足だと、十分近くかかる。園の外は歩行時の摩擦が大きい。段差もあるし、人の流れも多い。何より不慣れな道だからミチ子さんにとっての外出は、ちょっとそこまで、どころではないのだ。

「ねえ、希さん。向こうについたらとどこか喫茶店に入りたいわ。あたし、疲れてきちゃった」

 好き勝手なことを言っていると思いつつ、ミチ子さんの歩行の大変さを考えると仕方のないことなのかもしれないとも思う。

「そうですね。入ってすぐのところにカフェがあるので、そこで休憩してから買い物をしましょうか」

 わたしの提案にミチ子さんは、「そうしてちょうだい」と返してくる。

 朝のやり取りのことなんてきっとミチ子さんは、忘れてしまっているのだろう。それとも、彼女の中ではなかったことになっているのだろうか。

 ふと見ると、正面から車がやってくるところだった。歩道を作るだけの幅のない狭い道だから、人と車が行きかう時には端に避ける必要がある。

「車がきているから端に避けましょう」

 わたしはすぐさま声をかけた。

 あまり端に寄りすぎると、足場が悪い。ミチ子さんが足を取られる危険があるから、気を付けなければ。ちょうどいい塩梅にミチ子さんが端に寄ってくれたので、そのままミチ子さんをガードするようにやや車側に位置するようして立つ。

 わたしたちの姿に気付いたドライバーが軽く手を挙げて挨拶をし、ゆっくりとすれ違っていく。

「ああ、疲れるわ。足が痛いったら」

 ぽそりとミチ子さんは呟いた。

 わたしたちにとっては何ということもない「ちょっとそこまで」の道のりでも、ミチ子さんには山あり谷ありの困難な道になる。わたしは少しだけ彼女のことを気の毒に思った。

「向こうに着いたらまずは休憩しましょう」

 ゆっくりと休んで、それから買い物をすればいい。ミチ子さんのお孫さんが好きそうなクッキーを、時間が許す限りじっくりと選んでもらうとしよう。

 カタツムリのような歩みのミチ子さんが、どうしてか可愛く見える。

 こんなふうに思うのはいけないことなのかもしれないけれど、お孫さんに買うクッキーのことをあれこれ一生懸命考えているミチ子さんは、やっぱり優しい一人のおばあちゃんなのだから。

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