第68話 【番外編】それぞれのバレンタインー1

「斎藤さん、お忙しい所すいません。

 先日提出された小口精算の書類なんですが、ちょっとよろしいですか?」


「あ、宮神ちゃん。今なら大丈夫だよー。

 もう精算金の支払いでたの?」


 オフィスビルの一角で、綾子がスーツ姿の男性に話しかけている。

 スーツはヴァルディターロか。

 上質な素材を軽やかに仕上げた印象だ。

 男性は、テーブルに出したノートパソコンで何やら作業をしていた。


 綾子は、キーネックのノーカラージャケットにラップ風のセミフレアスカート、インナーは白いブラウス姿だ。


「出納の松本さんから、記入漏れがあるのでこの書類ではお支払いできないということでした。

 ですので、こちらの部分を記載いただいて再度出していただけますか?」


 指摘を受けた男性が頭をかいた。


「うわー、やっちゃってるね。

 ごめん。これから商談で出なくちゃいけなくてさ。

 そっちでなんとかならない?」


「申し訳ありませんが、私の方では何とも。

 金曜日までは待ってもらうように頼んでおきますので、再提出、お願いしますね」


「りょーかいです。まあ金曜までなら大丈夫か・・・」


 男性がブツブツ言いながら、鞄にノートパソコンをしまうと上司らしき男性に客先に行って来ますとだけ言い残し、出ていった。



 ******



「あ、宮神さん。斎藤さん見つかった?」


「はい。第3オフィスにいらっしゃいました」


 綾子が自分の席に戻ると、隣の席の女性が声をかけてきた。


「フリーアドレスっていうの?

 営業の方は席が決まってないから、こういう時になかなか見つからないから困るのよね」


「でも、今のスタイルになってから設計の方と営業の方の意見交換が積極的になって、仕事が早くなったらしいですよ?」


「結果は出ているみたいよね。よく知らないけど。

 あ、宮神さん、今日お昼ひとりで行ってくれる?

 私これ片付けたら帰るから。こういうのがフレックスの強みよねー」


「反町さんは、その分朝早くから頑張ったじゃないですか。

 わかりました。じゃあお昼お先しますね」



 ******


 従業員用食堂に向かうと、まだ少し早かったのか客数はまばらだった。

 ちょっとしたカフェスペースにもなっている食堂は、結構な人数が食事可能だ。


「今日の日替わりは、スープカレーセットかローストビーフ丼、それとミックスフライ定食かあ。

 すいません。

 スープカレーセットお願いします」


 カレーセットの乗ったお盆を手に席を探すと、食堂の端のほうに観葉植物後ろの二人席が空いていた。

 今日は落ち着いてカレーを食べたい。


「素揚げしたお野菜がたっぷり入ってて、美味しい・・・」


 カレーを楽しんでいると、観葉植物を挟んだ背後の席に数人の男性が座った。


「先輩。お疲れ様っす。

 ローストビーフ丼すか?美味いっすよね」


「お疲れー。お前はミックスフライかよ。

 俺はもう揚げ物はキツいよ。

 課長は、カレーですか」


「ここのカレーは当たりだからな。出たら絶対食べるんだよ」


「マジっすか?そっちにすれば良かったかな・・・」


 営業の男性のようだ。


 仕事の話から、プライベートの話まで色々な話をしている。


「・・そういえば、管理部の宮神ちゃんてメッチャ可愛くないっすか?

 総務の子から、あの子今彼氏いないとかって聞いたんすけど。

 俺、狙っちゃおうかなー」


「ああ、あの子は可愛いというより、美人て感じじゃないか。

 でもちょっと壁があるというか、険があると言うか、なんか冷たくないか?

 仕事の話はするけど、プライベートの話を振っても乗ってこないし。

 会社の飲み会とか来たことないだろ」


「いや!それが違うんですって!

 最近ちょっと柔らかい印象になってきたんですよ!

 今ならなんかいけそうな気がするんですよ。

 あれ?先輩も狙ってるんすか?」


「アホ。やめとけ」


「課長、どうかしました」


 黙ってカレーを食べていた男性が、一口水を飲むと話し出した。


「宮神さんは、オーナーのお嬢さんだ。

 自分の会社のオーナーくらい知っておけ」


「マジっすか?

 じゃあ、落としたら俺も一族入りっすね」


「あれ?オーナーのところって後継問題で揉めてるとかって話ありませんでした?」


「2、3年前に次期社長が事件に巻き込まれて失踪したらしい。

 遠縁の親族とかまで集まって、エライことになっているようだな。

 まあ、そんなわけで彼女は色々大変なんだ。

 余計なことを考えてる暇があったら、お前は資料を早く出せ!」


「いや、すんません。

 そっかーダメかー。

 でも、あんだけの美人、諦めるの勿体無いなあ・・・」


「ごちそうさまでした。

 課長、午後の会議なんですが・・・」


 男性たちが立ち去るまで、綾子は席を立てなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る