父母がつくった物語、娘がつくる物語

 もう一枚めくると、そこは丁寧に整った文字でびっしりと埋まっていました。中宮様の手跡です。


 相模様が帰られた後、わたくしは、いただいた草子を読み耽りました。



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 都のはずれ。朽ちて傾いた粗末な邸に、ひとりの女が住んでいた。皇族の血をかなり濃く引きながらも、栄耀栄華は何代も前。没落しきった家柄の女だった。

 ある宵のこと。女は月を眺めながら琴を弾いていた。偶然邸の前を通り掛かった中流貴族の青年が、その音に惹かれて女を見初めた。その青年こそが、藤原凪房。


 凪房は、女を連れ帰った。学者肌で政治にあまり興味のない親族が強く反対しなかったので、彼は女を妻にした。

 だが、友人や同僚などの周囲は大いに怪しんだ。そして、彼が突如連れてきて妻にまでした女に強く興味を示した。

 凪房が邸で宴を催した夜のこと。賓客であった公達の一人が、凪房の妻となったその女のところに忍んで行った。その公達は女の顔を覗き見て、大層驚いた。その女は、天女もかくやの絶世の美女だったのである。


 それから、女の噂は都中に広まった。評判の美女を己の手中に収めようと企む色好み達が雨あられと文を寄越し、気弱な夫の存在はことごとく無視された。

 そのような時、藤原月光が凪房を呼び出した。そして、参上した凪房に、命じたのだ。「評判の女を寄越せ」と。同じ藤原といえど、傍流で大して勢いもない凪房と、次代の氏長者になろうかという月光。抵抗することなど、できなかった。

 月光は、女を妻にした。血筋は良くとも後見のない女。立場は、妾とそう変わりがないにも関わらず、月光との間に一人の女児をもうけた。


 とはいえ、女が本当に愛しているのは、月光ではなかった。初めて自分を見つけてくれた凪房が、忘れられなかったのである。恩義ゆえのことだけではない確かな愛情が、短い夫婦としての日々で、育まれていた。同時に、凪房も、初めて愛した女のことを忘れられなかった。

 凪房は女の所にたびたび忍んでゆき、逢瀬を重ねた。


 ある時、事が露見してしまった。月光に、逢瀬の場を目撃されたのだ。青ざめる二人に、月光は笑って言った。

「それほどまでに深い絆なら、我の入る隙間などないな」

 女は月光から下賜されるという形で、凪房の妻に戻った。


 それから二人は都でも随一のおしどり夫婦として名を馳せることとなる。やがて女は凪房の子を腹に宿し、藤原月光の娘と同腹の異父妹が誕生した。夫婦は子を慈しみ、女が病で若くして命を落とすまでの間、仲睦まじく暮らした。そして、妻を失った後。凪房が、再び新しい妻を迎え入れることは、決してなかったのだった。



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 ……にわかには、信じられない話です。とても、わたくしのお父様やお母様の身に起きた出来事だとは思えません。

 しかし、物語として読むと、とても興味深いものでした。

 ふ、と。頭の中に、何かが浮かんだ気がしました。

「!」

 慌てて文机に向かい、筆をとります。そして、ひとつ息をついて考えを整理。ごちゃごちゃと湧いてくる言葉の中から、慎重に必要なものを選りすぐって、ひとつ取り出してみます。

 筆を紙につけて、するりと滑らせました。心が弾みます。やはりわたくしは、なにかを書くのが好きなようです。



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「中宮様。失礼致します」

 許しの応えを待って、中宮様の御前へ出ました。

「まあ! 来てくれたのね!」

 中宮様が身を乗り出され、傍らの小宰相様が咳払いをひとつ。

 相変わらずでいらっしゃいますね。

 久々に拝見するこの遣り取りも、微笑ましく感じられます。

「中宮様にお見せしたいものがあり、参上した次第です」

「まあ、何かしら」

 わたくしは、懐から紙の束を取り出しました。かつて中納言の君がわたくしの局に持ってきてくださった紙を、草子に仕立てたものです。

 中宮様が手に取って、中身をご覧になります。わたくしは身体をこわばらせながら見守り申し上げていました。

 ああ。書いたものを目の前で読まれるというのは、これ程までに緊張することであったのですね。

 ほんの少しのであるはずにも関わらず永遠のように感じる時間が過ぎました。そして。

 顔を上げなさった中宮様は。

「これ、面白いわ!」

 大声をお出しになって、一気に身を乗り出されました。

「こんな素晴らしい物語が書けるなんてさすがは――」

 我が妹、と口走られかけたところで、小宰相様が制止してくださいます。中宮様はそれでもめげずに、瞳を輝かせて続けなさいました。

「主上にも見せていい!? 続きはどうなるの!?」

「ちゅ、中宮様……」

 たじたじになりながらも、顔を隠した袖の陰でそっと笑みをこぼします。わたくし、ここでもう少し頑張りたいです。この物語を中宮様のお側で書き続けて、それが少しでもお役に立てば良いと思います。身の程知らずと怖気づかず、わたくしの姉だと名乗る主にこれからは誠心誠意お仕えしていこう。いつの間にか、そう思うことができるようになっていました。



 

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