藤式部

 ……さて。力強く啖呵を切ってしまったものの、一体何を書けば良いのでしょうか。

 文机で筆を執り、わたくしは悩んでおりました。

 思案の間、手すさびに磨っていた墨は必要以上に濃くなって、どろどろと硯の上で揺蕩っています。

 筆にたっぷりと含ませた墨がたれそうになった所で、我に返って硯の上に戻しました。


 …………何一つ、思いつきません。どうしましょう。

 ひたすら、頭を抱えていますと。



 ふわりと背後の御簾が揺れる気配がしました。

 墨に気をつけて、首から上だけで後ろを見ます。

 この頃、わたくしへの使いは専ら中納言の君ですが、今回は違いました。

「相模様」

 返事代わりに軽く首をかしげなさる彼女の肩を、さらりと絹のような髪が滑ってゆきます。

 涼やかな目元。凛々しい顔つき。自然に伸びた背筋。普段あまり口を開かれないから目立たないものの、中宮様の側によく侍っており、絶大な信頼を寄せられている女房のうちのひとり。誰に何を言われずとも自身の役割を察して動くことができる。藤壺の女房の中でも一、二を争う程有能で、そして、格好良い方。それが、相模様でした。

「あの。わたくしにこのような名誉ある役目を与えてくださって、本当にありがとうございます」

「私は、思いついて進言しただけですので。実際に貴方へ指示を出したのは、中宮様の命を受けた小宰相ですし、貴方のもとへそれを伝えたのは中納言です。私は何も」

「いいえ」

 ――己の分をわきまえるのが得意だからこそ、相手の能力、事情に合った仕事の采配がお上手だとか。わたくしも今回は、その能力に助けられました。

「お礼、させていただきたいです。せめて言葉だけでも、受け取っていただけませんでしょうか」

 毅然と見上げた先で、相模様はつと動きを止めましたが、

「……ふっ」

 わたくしに怪しむ間も与えず、笑みをこぼされます。

「ありがたく、受け取っておきますよ」

 くちびるの端を持ち上げて流し目でわたくしを見遣る姿は、やはり、並の公達などよりも余程格好良いです。男君の装束を纏えば、さぞかしさまになるでしょう。


「さて。本題に入りましょうか」

 わたくしがぼうっとしているうちに、相模様は、さらりと話題を切り替えなさいました。

「中宮様から、これを」

 差し出されたのは、薄い草子でした。

「いきなり『何か書け』と言われても、どうすれば良いかわからないでしょう、とのことです」

 何か、助言になるようなものなのでしょうか。手触りの良い紙を、そっと一枚めくってみます。そこには。

 ――この機会に、わたし達のお父様とお母様の馴れ初めを教えるわ。

 これだけ書いてありました。



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