藤壺にて、姉妹のささめごと (壱)

 内裏。後宮。帝が住まう清涼殿を囲むように、いくつもの殿舎が渡廊で繋がれている。そこには、女御や更衣と呼ばれる妃をはじめ着飾った女人達がひしめいている。

 漂う香。色とりどりの衣。朝廷の権威を見せつけるかのような、まさに百花繚乱の有様だ。



❀ ✿ ❀ ✿ ❀ ✿



 わたくしは床に手をつき、丁寧に礼をします。

「お初にお目にかかります、中宮様。式部大輔しきぶのたいふ藤原凪房ふじわらのなぎふさの娘でございます」

 ……少し、声が震えてしまいました。その場には、藤壺で女房勤めをしている方々まで勢揃いしていたのです。

 このように大勢の前で声を出す機会が巡ってくるなど、以前のわたくしは想像すらしていませんでした。

 不自然に思われなかったでしょうか。

 緊張と不安のあまり、わたくしは平伏したまま固まっていることしかできません。

 中宮様が、口を開かれました。

「はじめまして。そうね……あなたの女房名は、藤式部とうのしきぶにしましょう。お顔を上げて。楽にしていいのよ、藤式部」

「はい」

 わたくしは、女房名を承った証に少し礼を深くしてから、ぎくしゃくと顔を上げます。

 その様子がおかしかったのか、中宮様は檜扇を揺らしてくすっと笑いをこぼされました。それに便乗してか、居並ぶ女房方からも

「まあ、なんて初々しい」

「可愛らしい方だこと」

 などのひそめた声や微笑ましげな気配が漏れています。わたくしはますます赤くなってしまいました。あわてて袖で顔を隠します。

 袖の陰から中宮様の御顔を覗き見ました。

 流石は、将来の国母様。お父様から聞いてはいましたが、やはりお美しい方です。

 艶のあるぬばたまの髪。色白で、頬はほんのり桜色。わたくしよりもいくつか歳上のようです。少女のような天真爛漫さと大人っぽい色気を兼ね備えた御方でした。

「わが藤壺の面々を紹介するわね」

 中宮様が再びおっとりと言葉を発せられると、その場は一気に静まります。

「この子は、小宰相こさいしょう。わたしの乳母子めのとごよ」

 中宮様の横に控えていた女房が軽く頭を下げました。

「あの子は、中納言ちゅうなごん。向かいが相模さがみ。中納言の右にいるのは周防すおうで――――――――」

 中宮様は上座に座っておられる方から順に紹介してくださり、名を呼ばれた方はわたくしに礼をしてくださいます。

「藤壺へようこそ。わたし達はあなたを歓迎するわ。これからよろしくね、藤式部」

 中宮様はにっこりと微笑まれました。

「誠心誠意、お仕えする所存でございます」

 わたくしは再び平伏します。新参者に対する温かい接し方から、中宮様の器量がうかがえました。このような素晴らしい方にお仕えするのなら、わたくしも気を引き締めなくては。



 人払いを命じられ、中宮様の御前にはわたくしと小宰相様だけが残りました。

 他の女房の方々が怪訝そうな顔ひとつしなかったということは、新参者と中宮様の密談は恒例なのでしょうか。

「もっと近くへいらっしゃい」

 そう声をかけられ、わたくしは顔を上げます。しかし、出仕していきなり中宮様と筆頭女房の方の前にたった一人で放り出されるという状況にのまれて、命令にすぐさま反応することができません。

 小宰相様に目で促されました。わたくしは、遅ればせながら動き出します。言うことを聞かない体を無理矢理引きずって、前へ進み出ます。とは言っても、それは心境の問題。わたくしも(世渡り下手、世間知らずの一族とはいえ)一応上つ方から女房にと乞われるくらいの生まれです。慎ましやかな仕草はできていると思います。

 にも関わらず、中宮様にまたもやくすりと笑われてしまいました。そこまで挙動不審でしょうか。

 とにかく、わたくしは中宮様の目の前に座します。すると。

 突如、中宮様が、ぐっと身を乗り出して来られました。

「「中宮様!?」」

 わたくしの驚いた声と、小宰相様の咎めるような声が重なります。思わずのけぞると手を握って引き寄せられ、わたくしはますます混乱に陥りました。

「やっと逢えたわ。我が愛しの妹」

 甘く上品な声が耳朶をくすぐります。

 ……ええっと。今、何やら幻聴が。

「あなたは、わたしの妹なのよ」

 もう一度告げられ、わたくしは助けを求めて小宰相様を見やります。

 小宰相様は、やれやれといった顔で、額に手を当てていました。

「……ありえませんよ。わたくし藤原凪房ふじわらのなぎふさの娘です。中宮様のお父様は、関白藤原月光かんぱくふじわらのつきみつ卿であらせられますでしょう」

 わたくしは、失礼にならない程度に、さりげなく中宮様から距離をとろうと試みます。

「確かに、その通りよ」

 しかし、中宮様は微笑んで、わたくしの方へぐいぐいと顔を寄せなさいます。

「で、では!」

 そこでやっと、小宰相様が割って入ってくださいました。

「中宮様。この者は困っております」

「あら、ごめんなさい」

 中宮様は悪びれる様子もなく、笑みを保ったまま姿勢を正されました。そして。

「わたしとあなたが姉妹というのは本当よ、桃子とうし

 再三告げられ、中宮様の口からわたくしの本名が出たことに息を呑みます。

 今の世では、女性は自らの本名を家族以外に知られることはありません。

「わたし達は、同じお母様を持つ、異父姉妹なの」

 くらりと、目眩がしました。感情が、思考が、状況に追いつきません。

「これから、仲良くしましょうね」

 わたくしはとりあえず、じりりと後ろへ下がります。しかし。ここの女房となった以上、今さら逃げ出すことは叶いません。

「ええ……よろしくお願いします、中宮様…………」

 うわ言のように、か細い声で、わたくしは返事をしました。



「では、あなたの局に案内します。ついて来なさい、藤式部」

 中宮様の御前を辞し、小宰相様の先導で簀子縁を歩きます。

 わたくしが、中宮様の妹――いまだに、実感がありません。

「あなた」

 突然、小宰相様から声がかかりました。

 足を止めると、小宰相様は振り返って、わたくしをじっとにらんでおります。

「先程の話は、内密に。そして、中宮様の妹御ではなく、ここでのあなたは単なる新入り女房ですからね。特別扱いされても、つけあがってはなりませんよ」

「肝に銘じます」

 もとより、つけあがる気など欠片もありはしません。中宮様の妹だからといって偉そうにする度胸など、わたくしはあいにく持ち合わせていないのです。


 たちの悪い夢を見ているような心地だったので、わたくしは自分でも意外なほど落ち着いていました。

 そう。わたくしが中宮様の妹だからといって、なにかが変わるわけでもありません。これは、中宮様と小宰相様、そしてわたくしだけの秘密。誰にも知られてはいけないのですから、これからの処遇に影響するはずがありませんしね。

 とりあえず、わたくしの内裏生活はつつがなく始まりを迎えました。



 


 

 

 

 

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