序章~四節~
「……あの、大丈夫かい?」
「……………はっ!」
声をかけられて意識が覚醒する。いけない、ぼーっと見つめちゃってたみたい…!目の前の王子さ……じゃなくてお兄さんは困惑した表情になってる。
「ご、ごめんなさい!大丈夫ですか?」
「ああ、悪いね…急いでいたものだから」
わたしが手を差し伸べる前に早々に立ち上がって服を払うお兄さん。黒シャツにネクタイをかっちり締めているけど、一体どういう人なのかな…?俳優さんとかモデルさんとかセレブなお兄さん……どれにも当てはまりそうだけど、きっと何かに巻き込まれてるのかもしれない。じゃないとあんな怖い人達に追いかけられたりしないし…!
「じゃあ、僕はこれで…」
「あっ…!待ってください!」
思わず呼び止めてしまう。お兄さんは急いでいる様子だったけど、このまま放っておけない…!
「あのっ……追われてる…んですよね?あの人達に…」
「!」
「でしたらその…わたし交番までの道知ってるので、一緒に…!」
そこまで言いかけると、お兄さんは「駄目だ、」と遮る。
「見ず知らずの僕を心配してくれるのは嬉しいが…君を巻き込むわけにはいかない」
「でもこのままじゃ…!」
「こんな可愛い子を危ない目に遭わせてしまっては自分を許せなくなるからね」
お兄さんは心配かけまいとして優しく微笑んでくれた。そ、そんな笑顔までそんなに綺麗だなんて……ってだめだめだめ!そんなこと言っていられないよ!気丈に振る舞ったってはいそうですかなんて引き下がれないし!いくら素敵な笑顔でかわいいなんて言われても…………。
「………かか、かわいいッ………!?」
かかかかかかわいい!?かわいいって言った!?えっやだどうしよどうしよ!かわいいなんてこんな…!そんなさらっと!やだやだもうやだぁーーっ!!
「…ふふっ、楽しい子だね」
「え!?」
お兄さんの声で彼方へ飛びそうになったわたしの意識が帰ってくる。ひょっとしてまた変な顔してたかな!?
「ますます君のことは巻き込めない。……じゃあね」
「あっ…!」
立ち去ろうとするお兄さんの背に手を伸ばす。
「待ってください!まっ……!!」
直後、お兄さんが急にこちらへ振り返る。何やら鬼気迫った表情で距離を詰めてきたかと思うと、力一杯抱きしめられて倒されてしまう。一瞬ぎょっとしたけれど、直後お兄さんの肩越しに誰かが何かを向けているのが見えた。
(パァン!)
つんざくような破裂音と、焦げ臭い火薬のような匂い。それと同時に飛んできた小さい何かが、お兄さんの肩をかすめて行った。
「つッ……!」
お兄さんはわたしを抱いたまま倒れてしまう。驚いて固まっちゃったけど、お兄さんのシャツの肩口が破れているのが見えた。
「っ、お兄さん!だいじょッ……!」
黒シャツでわからなかったけど、別のシミがじんわりと滲み出ていた。そこに触れたわたしの手にも赤い色が付いている。
「ひっ……!」
一瞬で血の気が引き、自分が凍りついてしまったようだった。でもお兄さんはそんなわたしを安心させるように優しく微笑む。
「大丈夫、かすり傷だ……!」
「おやおやお連れがいたとはねェ」
楽しそうに喋りながら現われたのは、白いスーツと柄物のシャツ、奇抜なネクタイを締めた男の人だった。
にこにこと笑顔を浮かべているものの、黄色いサングラスの奥の目は全く笑っていない。しかもその手に握られているのは……。
(あれって……ピストル?……本物!?)
ばくばくと心臓の音が止まらない。間違いなく、お兄さんを撃ったのはこの人だ。
気づくと後ろには、さっきまでお兄さんを追いかけていた人達が控えている。どうやら仲間らしいけど…その中でもこの人は次に何をしでかすかわからない怖さがあった。
間違いなく……どう見たって、ヤクザさんだ。
「王子様気取りですかねェ?いいですねェ絵になってますよォ〜」
「くっ……!」
お兄さんはわたしを隠すように後ろへ追いやる。
「やめろ……この子は関係ない!」
「えぇわかってますよ?けどアンタの出方次第ですねェ」
ヤクザさんはピストルを下ろす気配はない。周りの男の人達だって同じものを取り出してもおかしくない。こんなの一歩間違えたら死んじゃうかもしれない。
「アンタが大人しく盗んだモン返してくれりゃ穏便に済む。うちのオヤジも手元にないのが気が気でねェみたいでね、安心させてやりたいんですわ」
「……何のことかな」
「そんなんいらんねんもう」
急に怖い声で口調を変えるヤクザさん。かったるそうに近づくと、自分を見上げるお兄さんの額にピストルを突きつける。
「ええねんそういうの。ウチのもんがアンタの目ェ撃ったて聞いとるんや」
おばばとは違う関西弁のヤクザさんは、お兄さんの眼帯を軽く指でつつきながら笑う。
それが本当なら……お兄さんの目も、この人達が……!
「それにこっちは色ンな証拠押さえとんねん。あとはお前の正体だけや。そのツラならどこぞのホストか半グレか……ただの堅気ならえらいアホやな」
「…………」
「まあええ、とっとと渡さんかい」
「……断る」
お兄さんは静かに、強く告げる。
「お前達に渡すわけにはいかない……」
「ほォ〜そらまたなんで?」
せせら笑うヤクザさんにお兄さんは全く怯まない。
この人、こんな危ない状況でどうして堂々としていられるの……!?変なこと言ったらまた撃たれちゃうかもしれないのに……!
「お、お兄さ……」
やめようよ、とお兄さんの肩に触れる。
それに気づいたお兄さんはわたしに視線を向けると、安心させるようにふっと微笑んだ。
撃たれた傷の痛みを堪えている中でも、死んじゃうかもしれない恐怖の中でも、お兄さんの瞳はとても力強かった。そのままヤクザさんに向き直り、お兄さんは凛とした声で答えた。
「絶対に譲れない……僕の使命だからだ」
「……っ!」
どきんっと胸が高鳴る。
使命って何の使命?それってお兄さんが命をかけるほど重たいものなの?どうしてそんな風に立ち向かうことができるの?
色々わからないことがぐるぐる頭の中で回ってる。でもそんな中で、こんな状況でわたしは、今まで感じたことのないもので頭がいっぱいになっていた。
「はぁ〜〜……」
ヤクザさんは深いため息をつく。するとその直後、ピストルの持ち手でお兄さんを殴ってしまった。
「ぐっ……!」
「お兄さん!」
殴り倒したお兄さんをヤクザさんは冷めた目で見下ろす。
「ちょっと喋らすとつまらんことしか言わへんのやねェ〜。寒うて反吐が出るわ……ああ、ほんなら弾がなくなるまで我慢比べと行きましょ。どこ当たったら素直になりますかねェ?脇腹か大腿か……ああ、それとも」
構え直されたピストルは、ゆっくりとわたしの方へ向けられた。
「えっ……!」
「案外こっちの方が手っ取り早いかもしれませんねェ」
「ッ…やめろ!撃つなら僕を……!」
生まれて初めて目にした人を殺す道具を前に、緊張が止まらない。中央に空いている黒い穴に睨み付けられているようで、変な汗が出てくる。
今までの修行でも命の危険に晒されたことはあった。でもこうして、誰かの命を何とも思わない人と相対したのは初めてだった。このヤクザさんはお兄さんを脅すためならわたしを殺したって構わないんだ。
「ならやることわかってるやろ」
「………わかった」
「お兄さん!」
お兄さんは体を起こすと、ポケットの中身をごそごそと探る。
(あれは……?)
取り出されたのは黒い小さな…小物入れかな?前に時代劇で似たようなものを見たような気がする。おばばが教えてくれたけど、名前は確か……。
「はァいよくできました。……全くこんな印籠もどきで振り回されてかなんで」
そう、それだ。いんろー…を受け取るとヤクザさんはため息混じりに言いながら、
「そんじゃ落とし前も一緒につけてもらいましょうか」
と、ピストルを下さないまま指に力を込める。
「ッ、逃げろ!!」
お兄さんがそう叫んでいたが、わたしは自分の額に突きつけられたままのそれから目が逸らせなかった。
至近距離で向けられた黒い穴の向こうで、何かがわたしを睨んでいる……そう思った時、
(パァン!)
あのつんざくような破裂音が響いた。
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「ああ、丁度最後の一発やったわ」
なんて事はない。ついでの憂さ晴らしのようなものでやっただけ。
男は倒れ伏した少女に目もくれず、悲嘆の声を上げる金髪の青年を部下に拘束させる。
「あぁああぁあッ!!」
「やっかましィ……」
不要だ。余計な場面すぎる。
こんな御涙頂戴な場面ほど七面倒なものはない。
例えるなら、テレビをつけると一つも『おもろない』バラエティやドラマが流れ始めた時の心理に近いだろう。即座にチャンネルを変えるが如く弾倉に残っている弾をもう一発ぶち込んでしまいたいが、そうもいかないのがまた腹ただしかった。今回は狙われた物が物だし、何がなんでも吐かせろと上にも言われている。『こいつ』の存在や『契約方法』を知っている人間が外部にいることは決して許されないからと。
「黙らせて布被せェ。とっとと帰るど」
「死体はどうします?清掃屋呼びますか?」
「おお、山か海かは任せる」
「経費で落ちますかね」
「ああ落とせ落とせ」
少女の死に顔はウェーブがかった長髪で隠れて見えなくなっている。だが、何が起こったかわからないという顔で事切れているのは間違いない。身なりからしても、今日まで大事に大事に育てられた娘だろう。こんな理不尽な終わりを迎えるなど、そのふわふわな脳みその中では想像できるはずもない。
「ま、思春期の娘はある日フッと消えるもんだし、知らないイケメンについて行って家出、なんてこともよくある話」
煙草に火をつけながら、部下によって口に布を詰められた金髪を見下ろす。暴れる男は上目でこちらを睨みつけるが、ただただ煩わしさしか感じなかった。とっとと帰って吐かせるかと足を進める。
「これすめらぎの制服やん、お嬢様学校の」
「もったいねぇっすよ、ソープでも何でも使えただろうに」
「まだ温いし、どうせなら使ってみるか?」
「ま、新品にゃ違いねェし」
落ちぶれた組の下っ端の下っ端にはこういう手合いがいても珍しくはない。生きた女も死んだ女も同じと玩具にする奴らはごまんといるし、それを率いる自分も命の有無関係なく肉の塊としか見ていない。
うちの組が飼っている外道はそういう下衆ばかりだ。だというのに、あの末期の虫のようなオヤジがなぜ奴らのような『本物の外道』を飼えたのか。
金髪から取り戻した印籠を見やる。大鷲が刻まれたそれが、奴らとの契約の証だ。
(アホらしィ)
こんなちっぽけなモノに振り回されるあのオヤジと……それに従っている自分が。
そもそも背伸びをして化け物に手を伸ばすなんてことをするから、こんな面倒事を……。
「これどうやって脱がすんです?」
「あぁ?綺麗に脱がす必要ないやろ。ナイフ持って……ッが…!!」
背後で急に重い音が聞こえた。
「なッ!?おまッ、生き……ぐぁッ!!」
二人分の声と、どこかにぶつかる衝撃音。何事かと即座に振り向く。
一人は壁に叩きつけられてずずずと背もたれながら意識を失っており、もう一人は呻き声を上げながら腹を押さえて倒れている。
そして、もう一つあり得ない光景が。
「……死体はッ……!」
二人の間にあるはずのものがなかった。
血痕は残されていたが、娘の体はどこにも見当たらない。一体どこへ……!と辺りを見渡す。
そこでふと気づいた。
頭をぶち抜いた割には『血痕の量が少ない』。脳みそを飛ばしたからにはもっと飛び散ってもいいはずだった。
なぜそれに疑問を抱かなかったのか?あんな状況で銃口から逃れられる人間など一人もいないからだ。
誰だって殺したと思うはずだった。
生きているはずはない。外したはずはない。
焦る心のまま死体のあった場所へ視線を走らせていると、ふと奥のコンクリートの壁に目がとまる。
そこには先ほど、自分が撃った弾痕があった。コンクリートを貫通する威力はないので弾丸が埋め込まれているのは当然だが……。
……おかしい。なぜあんな奥のコンクリートに当たっている?
自分はしゃがんだ娘に向けて撃ったはずなのに。まるで軌道を変えたか…『受け流された』かのような……。
妙な汗が一筋流れた瞬間だった。
「なっ……ぎゃあ!」
「てめッ……へぶッ!!」
また背後から複数の呻き声が聞こえる。
見てみると、また同じような光景が広がっていた。連れてきた男達が全員倒れている中、金髪だけは無事だった。
「ッ……!」
何が起こっているかわからない。だが、まずいことであるのは間違いなかった。一刻もあの娘を早く見つけなければならない。
「ちぃッ!一体どこへ…………」
焦った自分は弾切れである状況を呪いながら、マガジンを取り出そうとした。
それにばかり気を取られ、気づけなかったのだ。
自分の死角に迫る、敵の姿が。
「は?」
何が起こったかわからなかった。
自分の目線の下から飛び出てきたものに、対応できるわけがない。
結果自分は、さぞかし間抜けに見えるであろう顔で、迫り来る拳を迎え入れてしまうのだった。
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