序章〜三節〜
賑やかな朝だったにしては緩やかに時間は流れていき、もうすっかり午後の授業を迎えている。
「じゃあー次の所から…新田さん、読んでもらっていいかな?」
「はいっ」
午後一は担任の佐伯先生による英語だ。わたしの前の席の新田さんは舞い上がった様子で勢いよく立ち上がり、流暢な発音で読み始める。佐伯先生は校内でも女生徒に人気なイケメン教師で、新田さんを初めとするクラスの女子の中で憧れている子は多い。薄めで中性的で整った顔立ちに、すらっとした体躯。細目の体から見える男の人らしい色白の腕は体育の時間では露出されていて、それに黄色い歓声を上げている女の子達も多い。
高すぎず低すぎない声に甘やかな笑顔、さながら売れっ子俳優さんのようなルックスだ。女の子しかいない学校で人気が出るのも頷ける。
わたしも佐伯先生のことはすごくかっこいいと思ってるしどきっとしちゃうこともある。あるんだけど……。
(先生、金髪になってくれないかな…)
なーんてことも、考えちゃって……。
(……はっ!だめだめ授業中に何考えてるの!)
集中しようと教科書に目を向ける。ちょうど今回は英語版の白雪姫が題材として使われていた。ガラスの棺で眠る白雪姫を七人の小人さんたちがおいおい泣きながら囲んでいる。そこへ白馬に乗った金髪の王子様が颯爽と現れ、白雪姫にキスするシーンが描かれていた。
王子様はガラスの棺の中の彼女を見て、感嘆の声を上げる。
『おお、なんと愛らしい姫君だろう!』
(……いいなあ)
小さい頃から白雪姫は憧れだった。白い雪肌にバラ色のほっぺをもった、誰もが羨むかわいいお姫様。そんな彼女は憧れの王子様によって目覚めのキスを受けて目を覚まし、そのまま王子様と結ばれる。
わたしも白雪姫のようなお姫様になりたい。白馬の王子様と出会いたい!絵本を読みながら何度そう思ったことか。
そういえば、乙吉流を習いたての頃、おばばにこんなことを聞いたっけ。
『おばば!』
『なんですねん』
『おひめさまもね、にんじゅつ、つかう?』
『まあ……昔はそおゆう姫もおったらしいですわ』
『うーちゃんもがんばったら、おひめさまになれる?おうじさまきてくれる?』
『王子様守れるくらい強うなったら王子様の目に留まりますやろな』
『ほんと!?じゃあうーちゃん、おうじさまをまもるおひめさまになる!』
当時は単純に「王子様より強くなったら王子様を守れるよね!」なんて動機で修行に打ち込んでいた。
その結果、確かにわたしは強くなった。先代の継承者に勝てるくらいだし、男の人だって持ち上げることもできれば、今日みたいに高いところに一瞬で登ったりもできる。
そう、王子様より強くなった。でもそれは、今現在のわたしの理想のお姫様像からは遠くなっていた。
「じゃあ、次のページ読んでもらおうかな」
佐伯先生の声に従い、ぺらりとページをめくる。そこには王子様のキスで目覚めた白雪姫が、お姫様抱っこされている挿絵があった。
(お姫様って、王子様より怪力でも素早くもないもん……)
小さい頃の理想は、王子様をどんな時も守れる、かっこいいスーパーマンのようなお姫様。
でも今のわたしの理想は、非力でも芯は強く、お淑やかでかわいいお姫様。ちょうどディ○ニー映画の白雪姫みたいな感じの…。
あんな風に「守ってあげたくなるような」かわいいお姫様。つまりわたしの今の理想は、守りたいというより守られたい方のお姫様で……。
(ああああああこんなこと誰にも言えない!!)
もう中学二年生にもなるのに、こんなお姫様願望もってるなんて言えるわけない!
幼稚園くらいの子が語るかわいい夢って感じだしこんな『わたし守られるお姫様になりた~い』『王子様に迎えに来てもらいた~い』なんて言ってる中学二年生なんて恥ずかしいよ!
ママやパパは赤ちゃん扱いしてきそうだしおじいちゃんは微笑まし~く生温か~い目で見てきそうだしおばばなんて「アホなこと言うてんと現実見なはれ」って一刀両断だろうし…!
ひめちゃんやチカちゃんだって同級生だからこそ言いにくい。誰にも言えない、わたしだけの秘密だった。
……それでもやっぱり、憧れというのは尽きないわけで……。
(いつか王子様が、かぁ……)
もしもわたしがお姫様だったら…やっぱりかわいいドレスは絶対着てみたいし、子鹿さんや猫ちゃんやわんちゃん、クマさんともお友達になったり、お菓子やケーキを焼いて楽しいお茶会をしたり、お庭のお花の世話をしたり、小鳥さんと一緒に楽しく歌を歌ったりしたいし…。そうして暮らしながらいつか来てくれる王子様をずっと待ってるって…いいなお姫様っぽい!
するとそこへいたずらウサギさんがやってきて、「この庭を抜けて王子様へ会いに行っちゃおう」ってそそのかしてくるの。わたしはいやって言うんだけどウサギさんの作った落とし穴に落っことされて真っ逆さま!そして落ちた先は知らない森になってて、先へ進むとお菓子の家があって、おいしそうだからつまみ食いしちゃって…そしたら怖ーい魔女が現れて「よくも家を食べてくれたね!ここで働いて弁償しな!」ってお家に閉じ込められちゃって……ご飯ももらえなくてお腹が空いてしくしく泣いてると、机の上に真っ赤なリンゴが置かれてるのを見つけるんだ。
『リンゴ一個なら許してもらえるよね…』それに手を伸ばして一口齧ると、それはなんと毒林檎!そのままぽっくり死んじゃったわたしはたくさんのお花に包まれて眠るの。『死ぬ前に一目でも、王子様に会いたかったのに…』ひとりぼっちで死んじゃう寂しさに包まれてるわたし……するとそこへ現れたのは、待ちに待った白馬に乗った素敵な王子様!『おお、なんと美しい姫君だろう』そう言って王子様は眠るわたしに目覚めのキスをしようと、顔を段々近づけて……………んーーーー……
「それキス顔の練習?」
「……ん?ひゃあぁっ!!!」
目の前まで迫った王子様の顔がぽそっと囁いたので目を開ける。気がつくと佐伯先生がにこにこしながらわたしの目線に合わせてしゃがんでて、びっくりして大声を上げちゃった。クラスのみんなも一斉にこっちを見る。
「みんな練習問題やってるけど、野田さんは大丈夫そう?」
「だぁっ、だだだ大丈夫です!!ごめんなさい!!すぐやります!!」
慌てて教科書の問題のページを開くわたし。クラスのみんなもくすくす笑ってる。ううう恥ずかしい……こんなんじゃお姫様なんて程遠いよ……。
『それキス顔の練習?』
……っていうかキス顔してたの!?きゃーーっ!!やだやだやだ!!!
先生に見られちゃうなんてもう最悪だよ〜!みんなにバレないだけまだマシかもだけど………。
「はぁあ………」
(んまぁあうずらったらダイタン♡また妄想爆発してトリプったのね!授業中にキス顔晒す程夢中になっちゃうなんて…なんて破廉恥であどらぶりぃなのかしら♡♡)
(うずら、居眠りしてたのかなー?だらしないなぁ、昼はがっつり食わせないとダメだな!よーし、チカの弁当の1段ぶん分けてやるか!)※全部で5段ある
そうこうしてあっという間に1日は過ぎていき、終礼のチャイムが鳴り渡る。
「あら、うずらはこれからお出かけかしら?」
「うん!夕飯の買い出し頼まれてるの!」
「そっかー!じゃあまた明日な!」
「ごきげんよう〜♡」
ひめちゃんとチカちゃんにまた明日!と手を振って教室を出る。まっすぐ向かうのは家じゃなくて商店街。お昼に晴久おじいちゃんからお使いを頼まれて欲しいっていう連絡が来てたから、今夜の晩御飯の材料を買いに行くのである。
今日はお祝いデー。なぜかというとわたしの忍び見習い卒業祝いをするんだって。家族のチャット欄でメッセージを発したおじいちゃんにパパとママがノリノリのスタンプで即返事をしていた。「ちょっぱやで帰ってくるね!!」なんてメッセージまでついてすごく元気。「主役なのにお使い頼んで申し訳ないけど…」っていうおじいちゃんのメッセージに「大丈夫だよ!」と返事をしてから携帯を閉じる。
今日は恥ずかしいことやらかしちゃってちょっと凹んだけど…おじいちゃんやみんながお祝いしてくれるなら落ち込んでちゃもったいないよね。
「よーし、今日はパーっと行こう!」
早速スーパーに寄らなきゃ!と意気込んで足早に向かった。……んだけど。
「いたぞ!」
「待ちやがれ!」
後ろからそんな声が聞こえた直後、隣を誰かが追い越して数メートル先の角を曲がって行った。なんだろう?と首を傾げる。一瞬だけど、金髪に見えたような…。
観光客かな?とそう思った時、またその後を3人の男性が追いかけていった。声の主はこの人達かな?と思ったけどそんな呑気な考えはすぐに消え去った。
……すれ違った時、僅かに火薬のような匂いがした。それにちらっと見えた顔つきもなんだか…お世辞にも一般の人とは言えないような……。
なんだか嫌な予感がする。そう思った時にはすでに足は動いていた。
追っていった先は人気のない路地裏で、先ほどの3人の男性がうろうろしているのを物陰からこっそり伺う。追われていたらしい人の姿は見えない。まだ見つかっていないみたいだ。
「どこ行きやがったあのクソ野郎…!」
「見つけたらタダじゃおかねえ!」
「いいか、ぜってェ逃すんじゃねェぞ!」
すれ違った時は一般人じゃないと思っていたけれど、改めて見てもやっぱりどう見ても怖い顔……というかもうあからさまにその…いわゆるヤクザ屋さんと言われる人達じゃないかな?その証拠に会話だっていかにも物騒だし。
あんな人達に追われるなんて一体何をしたんだろう…?けどこのまま放っておけないし、追われてる人を探して困ってたら助けてあげなきゃ…!ヤクザさん達が向こうへ走って行ったのを見届け、わたしも急がなきゃと反転して駆け出そうとする。すると、
(どんっ!)
「ひゃっ!」
「わっ!」
目の前に急に誰かが現れて激突してしまった。咄嗟に地面を踏みしめたので転ばずに済んだけど、相手の人は尻餅をついてしまったようだ。
「ご、ごめんなさい!大丈夫です…………か…………?」
謝りながらぶつかった人に手を伸ばしたけれど、思わず息を呑んでしまう。
「ああ、すまない……!僕の不注意で…!」
細かな糸のようにさらさらなブロンド。
綺麗に整った顔立ちに白い眼帯。
長いまつ毛をもつ切長の目。
海のように深い青い瞳。
口元には大人っぽいセクシーなほくろ。
どこか憂いを帯びた…優しさと儚さを感じさせる表情。
どれをとっても建物の陰においてきらきら輝きを放っていて、胸のどきどきが止まらない。まるで夢見ていたものと出会ったような……
「………王子様?」
そう、運命とぶつかってしまったような気がした。
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