第16話 年下の魅力的なお菓子

「へったくそ……」

 からかってやると、槙は、ムッとしたのを隠そうともしないで反駁してきた。

 「そんなこと言われたことない」とか、「俺がキスした子は、みんなうっとりしてた」とか。


 そうだろうな、と思った。

 この家で育った紘彦の弟なら、恋愛なしのセックスを、したことがないはずだから。


 階段に飾られた、二枚の兄弟の写真。

 紘彦の部屋と、線対称の位置で置かれた机とベッド、お揃いで色違いのベッドカバー。

 その事実が胸に迫った。


 ──ちっきしょう。


 俺が持っていなくて、そして、ずっとほしかったものを。

 紘彦も槙も、空気を吸うように当たり前の顔で、手にしている。……


 年下の魅力的なお菓子を、ちょっと味見してみようという、うきうきした気分が消えた。

 頭の芯が、すうっと冷えた。


 この少年を、快楽で、めちゃめちゃに打ちのめしてやろうと思った。

 女の子相手の行為をしたことはあっても、槙には、同性同士の経験はないはずだ。

 彼に似合いのかわいらしい女の子たちが与えられないような、深くて濃い、つよくて甘くて、忘れられなくなるような蜜を、同性の体を具体的に知る自分は、与えることができる自信があった。


 それをこの子に与えて、壊してやろう。めちゃくちゃに。

 そう思ったのに。

 途中からうまくいかなくなったのは、槙が、紘彦の弟だからだ。


 顔かたち、声、背の高さ。髪の色、話すときの言葉遣い。

 肩幅、せなかの大きさ、手や、指、そして爪のかたち、表情。


 ──紘彦にそっくりなところ。まったく似ていないところ。

 槙の体のもつさまざまな要素を、気づくたびに、感じとるにつけて、優一が思い浮かべるのは、紘彦のことだった。

 紘彦のことだけだった。


 思惟と乖離して、身体は、オートマティックに快楽を紡いでいく。

 セックスは、ふたりの体の呼吸をあわせて、ひとつの成果をあげる、そういう作業のような側面があって、ある程度は冷静になって、相手と努力と集中を重ねる必要がある。


 素質があるのか、槙は、非常に飲み込みが早かった。

 いくつかのサインを送ってやると、彼は瞬時に理解して、優一のほしい場所に、ほしいリズムの動きと熱を返してよこした。


 だからお返しに、彼のリズムにも答えてやる。

 いくつかの場所に導いたあと、とじこめて、がんじがらめにしてやると、案の定、腕の中の体がふるえている。

 初めて味わう濃厚な快楽に、とまどっていて、けれど溺れているのだ。


 ──紘彦だったら、どうだったろう。

 この部屋の、このベッドじゃなくて。隣の部屋の、青いベッドカバーのベッドの上で。


 紘彦だったら、どういうふうに自分を抱いただろう。

 そうしたら自分は、どんな気持ちになっただろう。


 最後の瞬間、槙は、かすかに息をのんで、ぐっと力を入れた。

 すぐ真上の顔と、視線がかちあった。


 ひそめられた眉と眉、その眉間に寄せられた皺。


 ──ああ、似ている。

 似ている。槙は、彼の兄に、そっくりだ。


 そう思った瞬間、心の蓋がぱりんと割れて。

 閉じ込めていた名前が、思わず唇からこぼれた。


 ──紘彦。


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