第11話 唇の色
友達の家に遊びにいったときに、数回、顔を合わせたことがあるくらいの兄弟の顔など、普通なら覚えていない。
だが優一は、槙の顔をはっきりと覚えていた。それにはたぶん、ふたつの理由がある。
ひとつは、槙が、とても美しい容姿を持っていたこと。
この二人の兄弟は、ふたりとも、世間一般から「ハンサム」と評されるような整った顔立ちをしているのだが、兄と弟でその印象がだいぶ違う。
紘彦は、わりと甘口のハンサムだ。男性的な眉、はっきりした二重の大きな目、ほがらかに響く、明るい笑い声。ひと昔前の映画俳優のような、クラシカルな端正さと、わかりやすい好青年の記号をたくさん備えていて、それが甘やかな印象を作りだしている。
だが、弟のほうは、かなりの辛口だった。涼やかな切れ長の目と長い眉。すっと通った高い鼻梁と、鋭角的な輪郭。硬そうな黒髪が、さらりと額に落ちている。
顔の造作が、そうそうはいないようなレベルで整っていて(紘彦よりも、むしろ美形だと言っていい)、あ、綺麗な子だな、と思わせるのに、とんがった表情をしていることが多い。あまり笑わない。
少なくとも、「兄の友人」の前でにこにこと挨拶をしてみせるようなフレンドリーさとは無縁の少年で、それらのことが辛口の印象に拍車をかけている。
そして、優一が槙のことを覚えていた、もうひとつの理由。
それはむろん、槙が「紘彦の」弟だったこと、だ。
──紘彦の存在は、優一にとって、とても特別なものだったから。
電車の車内で見かけた高校生の槙は、私服姿だった。薄い青色のパーカーに白いTシャツ、それに水色のジーンズを合わせていたように記憶している。
そして、彼が背の高い体で、やや混雑した車内の中で、かばうようにして立っていた相手というのが、一人、いた。──槙はそのとき、彼女をつれていたのである。
高級洋菓子店のショーケースの中の、ショートケーキみたいな女の子だった。
化粧と服装から、槙と同い年くらいの女子高生ではないのは明白だった。おそらくは、槙よりいくらか年上、優一や紘彦と同じくらいの年齢の女子大生だろう。
つややかなセミロングの髪、ペパーミント・グリーンのサマーカーディガン、唇には、アプリコット・オレンジの口紅をつけている。槙が彼女の耳元に口をちかづけるようにして何か言うたびに、彼女が笑って、そのセミロングがさらさらと揺れた。
幾駅か過ぎたあと、彼女のほうがさきに降りた。
その別れ際、一度だけ、槙が彼女の指先をきゅっと握り、彼女もセミロングの髪を揺らして小さく笑った。
それから槙は、ポケットから白いイヤフォンを取り出し、耳につっこんで何かを聴き始めたのだが。
その直前、すこし不思議な動作をして、それが優一の目を引いた。
夕暮れ近くになって、暗くなった車窓が、鏡のように槙のことを写しだしている。
その暗い色の鏡の中を覗きこんで、槙は、彼自身の姿にすばやく視線を走らせ、それから右手の指先で、自分の唇にすこしふれたのだ。
唇に、何かがついていやしないかと、チェックしている動作だった。──あのアプリコットオレンジの口紅が、ついていないかどうか、確かめているのだ、と反射的に理解した。
あらら。──と苦笑した。
高校生の分際で、なかなか、やるじゃないですか。
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