電話越しに聴くと、彼の声は ──優一
第10話 電話越しに聴くと、彼の声は(前)
深夜、見知らぬ番号から電話がかかってきたところで、ふだんなら、わざわざ応答することなどしないのだが、九月最初の土曜日、たまたま、優一はその通話を受けた。
単に暇だったからである。セックスするはずだった相手に、あっさりと予定を反故にされたせいで。
「はい、蓮見ですが」
そう答えると、電話の向こうの相手は、一瞬、息を飲んで(その音がはっきり聞こえた)押し黙った。
まるで、優一がこの電話を取ることを、まったく予期していなかったみたいに。
そっちのほうからかけてきたくせに。
『……槙です』
短い空白ののちに、ぽつりとした答えが寄こされた。
ああ、と思った。二週間ほど前の、驟雨の午後の記憶が、ひらりと脳裏をかすめた。
「まき、くん? ……ええっと……?」
けれど、誰だかわからないフリをしてやった。ちょっとしたからかいのつもりである。
『……国枝槙です。……紘彦の、弟の』
案の定、かなりムッとしたらしい声が返ってきたので。
「ふふふ、冗談だよ。さすがにきみが誰だか、覚えてるよ」
そう答えると、槙からは「……そうですか」という素っ気ない声が返された。
怒ってやろうか、一緒になって笑って流そうか、決めかねているような。
ああ、似てるな、と思った。その声が。
容姿のほうは、さほど似ていない兄弟だが、電話ごしに聴くと、低くハスキーな槙の声は、彼の兄にひどく似ている。
似てはいるのだけど、逆を言えば、はっきりと別人だとわかる声でもある。似ているからこそ、紘彦と異なっている些細な要素がかえって耳につく。
そう考えてから、ふと、以前、槙を見かけたときのことを思い出した。
あの驟雨の午後よりもいくらか前、五月の夕方のことだ。都心から郊外へ向かう少し混んだ電車の中、偶然、人波の向こうに、背の高い姿を見つけたときにも、一瞬、「あ、紘彦?」と思ったものだが。
そのとき槙は、同じ車両のドア口付近の壁にもたれるようにして立っていて、優一よりも数メートル離れた場所にいた。
──あれ? 紘彦?
……じゃない、彼の弟だ。
一瞬、紘彦と見間違えた姿は、若い桜の木のようだった。
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