そして始まる明日

「昨日の話は、無かったことにして頂きたい」

 喧嘩した日の翌日は必ず彼は頭を下げてそう言う。一見すると凄く上から目線なのだけれど、そのあと、ごめんよぉと泣きながら言うのだから許すしか無くなる。

 その日、私が些細なことでイラッとして彼を叱責し、部屋を飛び出した。無我夢中で駆け出したが、自己嫌悪に陥り家に帰る道中だった。道路の真ん中で、彼が倒れていたのだ。血溜まりができているのは覚えている。いつの間にか、救急車がきて、色々処置をしているのがぼんやり見えた。その後、病院で現在の状態などは医師から説明されたけれど、正直ほとんど頭に残っていない。

 気づけば病室にいた。彼は包帯だらけでベットに寝かされていた。点滴が落ちて、ピッピッという音だけが聞こえる。ただそれだけだ。

 彼の手を握り、とにかく祈った。早く目を覚まして欲しい。そして、謝りたい。私が家を出たばかりにこんなことになってしまったのだ。

 その時、指がぴくっと動き、彼の瞼がゆっくりあいていく。口が動く。聞こえないので、耳を近づける。本当に小さな声だけれど、彼は泣きながらこう言った。

「きのうのはなしは、なかったことに、していただきたい。ごめん」

END

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る