マトリョーシカ

@chocowhite

マトリョーシカ

男には不思議な力がある。



 その男は、順風満帆とよべる人生を送っていた。高校、大学と望むところへ進学でき、就職して数年経つと、妻と2人の子供に囲まれていた。

 しかし、床につくと、いつも込み上げてくる。火にかけられた沸騰していないお湯のように、あるいは小学生に家をいたずらされたアリのように、ふつふつと込み上げてくる。何かが足りない、と。

 気がつくと2人の子供はひとり立ちし、雑草の生い茂る空き地にはマンションが建っていた。


 「趣味でも探してみるか」


 口を突いて出た、その言葉に男は身を委ねることにした。

 何をしようか。真っ先に思いついたのは、小説を書くことだった。だから小説を書くことにした。

 男はさっそく執筆に取りかかった。しかし、何を書けば良いのわからない。


 「あら、腕を組むなんて珍しいわね?」

 

 原稿用紙と見つめ合っている男に声がかかる。


 「ああ、小説を書いてみようと思ってな。

だけど何も思い浮かばないんだ」


 すぼまった肩に手をかけ、隣に女性が座った。


 「うーん…あ、そうだ!宇宙に行ってみたいって、昔言ってなかったかしら?」


 女性はパチンと手を合わせた。


 「そういえば、そんな時期もあったな」


 右手に万年筆を持ち替えた男は続ける。


 「よし、宇宙にしよう!」


 1枚の大きなケント紙のように何にでもなれるそれはには、古時計の短針が12を指すころには新しい世界が広がっていた。

 よほど夢中になっていたのだろう。インクを紙ににじませている男は、いつしか夢の世界へと誘われていた。


 男はとても喜んだ。目を覚ましてからやっと理解する。自分は、宇宙に行けたのだ。これだ、と思った。

 それから毎日、男は新しい世界を作り続けた。そして1週間が経った時、男は気づいた。


 「私には不思議な力がある…のか?」


 初めのうちは、夢中になりすぎたために夢に出てきたのかと思っていた。しかし、そうではなかった。

 この不思議な力を一通り試し終わったとき、もう男にペンを握る力は残されていなかった。



男には不思議な力がある。羨ましいな、と僕は思った。



俺もそう思った。

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