さよなら宇宙人

梁川航

本文

 一年の五月。

 グループができて、半分くらい消えて、またもっと小さなグループができて、それがきっと今後三年間の人間関係を決めちゃうんだろうなって、若干の諦めとともに受け入れ始める、そんな時期。

 三千院瑠理が転校してきたのは、そんな五月も半ばを過ぎたころだった。


「三千院瑠璃です。京都から来ました!」


 やけに元気な奴だなと思った。

 頬杖をつきながら、黒板の方を見る。

 そこにいたのは、銀髪の少女だった。

「……え」

 思わず声が漏れる。

 銀髪なんて初めて見た。アニメキャラみたい。でもこれは銀なのか? やっぱり白かも。

「好きなものはチョコレートで、嫌いなものはトマトです。部活は帰宅部に入ろうと思ってまーす」

 ちらほらと笑いが巻き起こる。

 いや、どこが面白いの。

 舌打ちしたくなるのを抑える。

「東京に来たのは、まー順当に親の転勤ですねー。こんな時期になったのは、単純に会社の人事が無能だったからでーす」

 また笑い。

 いや、どこが面白いのって。

「もともと両親は東京生まれなんで、方言は薄い方だと思います。というわけで、よろしくお願いしまーす」

 それから一旦教壇を下りて。

「あ、言い忘れてた」

 再度教壇に上がると。

 彼女は、にいっと笑ってVサインをした。


「私、生まれつきホログラム見えないんで。迷惑かけるかもしれないけど、そこんとこよろしく!」



 一限と二限の間、スマホ(スマートホログラム)で調べた。

『ホログラム 見えない 病気』

 ……あった。

 一番上に出てきたウィキのページを開く。

『クリフォード・マーカス症候群(英:Clifford-Marcus Disease, CMD)は、目の遺伝性疾患の一つ。網膜で受容器官が正常に形成されず、ホログラムのみが知覚されないという特異な臨床像を示す。また、関連性は不明だが、同病患者の多くは生まれつき毛髪のメラニン色素が著しく少ないことで知られている』

 スクロールする。

 理解できる部分は多くない。

 ウィキっていつもそうだ。わかりやすいようですっごくわかりにくい。

 でも、核心は明らかだった。

 つまり、この病気――彼女がかかっている病気の患者は、遺伝的にホログラムが見えない。

 ホログラムが見えない世界。

 想像してみる。

 スマホとパソコンが使えない。インターネットへ自由にアクセスできない。

 テレビが見れない。 それから、教室目の前のホロ黒板が見えない。

 要するに、あらゆる画面が見えない。

 とんでもない世界だ。

 私とは文字通り見えている世界が違う。宇宙人みたいなもの。

 そのとき、隣からつんつん突かれた。

「ねえねえ、有紀」

「……なに」

 隣の席の亜紀。同小で、幼なじみで、ついでに名前もちょっと似ている腐れ縁のやつ。

「三千院さん、ホログラム見えないんだってね」

「……らしいね」

「話しかけにいかなくていいの?」

「……なんでさ」

「ほら有紀、『中学入っても新しい友達ができないー』みたいなこと言ってたじゃん。三千院さん、今なら確実に友達なれるって」

 こいつは少しおせっかいなところがある。

 嫌いなわけじゃない。

 けど、十三年一緒だったわりには、心の距離は大して縮まっていない。そう思う。

「……別に」

 三千院さんの席は教室の隅。

 そこを囲むように、女子も男子も群がっている。

「いま考えてること、当ててあげよっか」

 にやり、と笑う亜紀。

「……」

「確かに友達作るチャンスだけどー、今は有象無象が取り囲んでるからちょっと近づきにくーい! 一人でいるとこを狙って話しかけようかな? でも、二人っきりで話すなんて緊張するーっ!」

「……」

 返事をすること自体癪だった。

 だから代わりに、腹パン一発をお見舞いしてやった。

「――おふっ!」

 


 しかし運命というのは奇妙なもので、私はその日、三千院瑠璃と街で鉢合わせることになる。

 モール近くのバス停。

 ベンチに座って待ちぼうける女子がいた。

 銀髪のせいですぐにわかった。

 三千院瑠璃だ。

 手にはなにやら四角くて薄い箱のような物が握られていて、それを親指でひたすら触っている。

「……なにやってんだろ」

 声をかけようとは思わなかった。

 でもそのとき気づいた。

 バス停上部に表示されたホログラム。

『東部方面隊の指令により、206系統は本日に限り本停留所を通過いたします。南側二百メートルの『モール入口』をご利用ください』

 ……なるほど。

 三千院さんにだけ見えない表示。

 実際、バス停に他の客の姿はない。

 声をかけるかためらったが、さすがにここで何もしないのは人間としてどうかと思った。

「……あの」

「ん?」

 三千院さんは、手元の薄い箱から顔を上げた。

「……あ、その制服!」

 教室での印象よりだいぶ落ち着いている。

 私はうなずく。

「うん。クラスメイトの、有馬有紀」

「有紀! よろしく!」

 にっこり笑顔の三千院さん。

 ……いきなり名前呼びかよ。

 若干動揺しつつ、

「……ここ、今日はバス通過するって。南側のバス停に行かなきゃダメらしい」

「え?」

 どうしてそんなことが、という表情を一瞬見せると、

「……ああ、東京のバス停はホログラムがついてんだ。さすが東京」

 一人納得するようにつぶやいた。

 立ち上がると、

「まったく困っちゃうよねー。ホログラム社会」

 そう同意を求めてくる。

 でも急なことだったので、

「……私はそんなに困らない」

 とっさに本心を告げてしまう。

 三千院さんはふふっと笑った。

「そこはふつー『そうだよね』とか言うところでしょ」

「……ごめん」

「あんまごめんって思ってないでしょ」

「……うん」

 なんでだろう、こんな軽薄そうな奴に、私は隠し事が聞かないような錯覚を覚えた。

「有紀、面白い」

 にかっという効果音が聞こえそうなほど屈託のない笑い。

「ね、今から遊ぼうよ」

「……なんで」

「有紀と遊びたいから」

 だからなんでって。

「でも、遊ぶのは一時間だけ」

 わがままだな、こいつ。

「……予定でもあるの」

「予定はない、けど一時間しか遊べないかな」

 どういうことだよ、ほんと。

 内心そう思う。

 この女、意味分からんって。

 でも、私の口から出たのはそれとは裏腹の、

「……わかった」

 だった。

 私は人に振り回されるタイプの人間だ。



 遊ぶったってなにで遊ぶの、と訊いたら返ってきた答えは、

「うーん……あ、マクドでダベろう!」

 そういえば三千院さんは京都から来たんだっけ。だからマックじゃなくてマクドなんだ。

 そう思いつつ、

「……マックでダベるのが遊びになるのは、仲良い友達とだけだよ。初対面の人とやっても、地獄なだけ」

「なるほど、確かに」

 盲点だった、とばかり手をぽんと叩く。

「じゃあ、ゲーセン行こう!」

 どうしてそうなった。

「……ゲーセン?」

「知らない? ゲーセン」

「……いや知ってるけど。……ゲーセンで何するの?」

「UFOキャッチャー!」

 やだよ、初対面の人と二人でUFOキャッチャーなんて。

 内心そう思う。でも同時に動いた口からは、

「……わかった」

 やはりそんな返事が出てきてしまう。

「……ねえ、一つ訊いていい?」

「どんとこい」

「……その薄い箱、何」

「これ? これはスマホ」

「……スマホ? ホログラムじゃないじゃん」

「違う違う。スマートホログラムじゃなくて、スマートフォン」

「……スマートフォン? ……ならスマフォじゃん」

「あー、それはそうなんだけど、そうじゃなくて……」

 言いよどむ三千院さん。

 まあ、どうでもいいや。

「……何に使うの、それ」

「スマートホログラムの代わり。ネット見たり、電話したり。ほら私、ホロ見えないから」

「……へー」

「タッチして使えるの。物体版ホロみたいなもんだよ」

 とスマートフォンとやらの実演をしてみせる三千院さん。

 世の中には便利な医療用器具もあるんだな、と思った。


 それからゲーセンに移動して、小一時間。


「う、うおおおっ!」

 三千院さんは叫びながらクレーンを動かす。

 私はそれを横で見ていた。

 三千院さんは「1」と書かれたボタンを押し終わると、

「ここからが本番だね!」

 と「2」のボタンに手を触れる。

 ここのゲーセンはレトロ系の店で、ホログラム機は半分以下だった。

 三千院さんはそれを知って私を連れてきたらしい。

「……今度は何が取りたいの?」

「あのチョコ!」

 さっきからチョコしか狙っていない。

「……無理くない?」

 三千院さんが指さしたチョコを獲得するには、どう考えてももう一度「いち」のボタンを押して進まなければいけなかった。

「……他を狙った方がいいよ」

 一応忠告するが、

「いや、私一途なタイプだから」

「…………」

 三千院さんはボタンを押した。

「お、おおおっ? ……あー」

 が、もちろん取れるはずもなく撃沈。

 いま、三千院さんの手元にはチョコレートの小袋が二つある。

 小一時間やって二つだ。

 いくら使ったかは考えない方がいい。

「……まだやるの?」

「うん! まだちょっと時間あるから」

「……懲りないね」

 三千院さんは、百円玉を筐体に滑り込ませた。

 目は輝いていた。心底楽しんでいる。

 その横顔を見ていると、私まで楽しくなってくるのがなんだか癪だった。

 悟られないように、じっと三千院さんの手元を見る。

「う、うおおお? おおおお?」

「……取れそう?」

 返事はない。代わりに、

「お、おおおっ⁉」

 いけそうなのかな。

 ……せっかくだから、頑張れ。

 けれど、やっぱり。

「……おおお」

 消沈した声が聞こえる。

 ダメだった。

「うー……」

 不満そうに口をとがらせると、

「……あとちょっとで取れたもん」

「…………」

 あそこからその感想は出てくるのはさすがに目が腐ってると思う。

 ともあれ、誰かのクレーンゲームを見ているときの緊張感は格別だった。緊張感ってより、一体感なのかな。

 ――ホログラムが見えない三千院さん。私に見える世界と、三千院さんに見える世界は違う。

 でも、いまこの約一メートル四方の箱の中を凝視してどぎまぎしているときは、お互い確かに同じものが見えている――ような気がする。

 同じものが見える。

 それはたとえば「ずっ友だよ」と言い合うことより人間関係にとって本質的なものだ――そんな気がする。

 しかもそれがホログラムの見えない三千院さんとだったら、よりいっそうに。

 そこで、

「ね、一回くらい有紀もやってみない? リベンジ果たしてよ」

 と三千院さん。

「……うーん」

「お金は私が出すから」

「……やる」

 我ながら現金な奴だ。

 三千院さんがお金を入れると、ちゃろん♪ という電子音のあと、愉快なBGMが流れ始めた。

 さっき言ってたチョコを狙ってみよう。

 まずは横を合わせる。「1」のボタン。

 ……合った。

「いい感じだね」

 次は縦。「2」のボタンを押す。

 ……今度も合った。

「こ、これは――⁉」

 期待のまなざしでクレーンの動きを見つめる三千院さん。

 私も同じ。ドキドキしながら見る。

 ――つかんだ。

 手前の方に移動する。

 落ちるな、そのまま。

 取り出し口の上に来た。

 クレーンが開いた。

 チョコが落ちる。

「やったーっ!」

 三千院さんは嬉しそうに取り出した。

「有紀、すごい。才能あるよ!」

「……そんな才能あっても」

「えー、いつかそれで稼げるかもよ?」

「……転売厨じゃん、それは」

 ともかく私はチョコを獲得した。

 なら、次の行動は。

「……それ、あげるよ」

「え、いいの?」

「……そんなわざとらしい演技しなくていいから。お金出したの三千院さんだし」

「やったぜ!」

 ガッツポーズする三千院さん。

 大事そうにチョコ三つを抱えると、

「大漁だー」

 やっぱりこいつは目が腐っているらしい。

 ポジティブとかそういうレベルじゃない。

 すると、三千院さんは腕時計を見た。嫌な予感がした。案の定三千院さんの口から出てきたのは、

「それじゃ、時間だし――そろそろ行こっか?」

 という言葉。

 私も筐体近くのホログラムで時間を確認する。ちょうど一時間が経っていた。

 認めるのは癪だ。


 だけど、残念だった。名残惜しかった。


 だから私は、一時間前には言うつもりのなかった言葉を言ってしまう。

「……ねえ」

「んー?」

「用事がないなら……もうちょっと、ここにいない?」

「……有紀、私とまだ遊びたいの?」

 そういう訊かれ方をされると答えにくい。

 でもしかたないから恥を捨てて、

「……うん」

 私はうなずく。

「うーん、そっか。私もやりたい気持ちはやまやまなんだけどさ、」

 三千院さんは気まずそうだった。どこか違和感のある態度。


「……たぶんそれ、無理なんだよね」


「無理って……どういうこと?」

 まるで遊び続けることが、自分の意志の範疇にないみたいな言い方だった。

「それは――」

 三千院さんが言いかけた、その瞬間だった。

 

 ――ビーッ、ビーッ、ビーッ!

 

 鋭いブザーの音がした。

 今週何度目かの空襲警報の音だった。

「――⁉」

 驚き、とっさに三千院さんの顔を見る。

 三千院さんはうつむいていた。

「……どういうこと?」

 私は再度訊いた。

「…………」

 三千院さんはためらった。

 数秒沈黙して、それから言った。

「……見えてたから。最初から」

 意味がわからなかった。

 しかし、三度目の「どういうこと?」を言う時間はなかった。

「君たち! 早くシェルターに!」

 赤い帽子を被ったゲーセンのスタッフが叫ぶ。

 警報が鳴り響く。うるさい。

「……早く逃げないと」

 つぶやくように言う三千院さん。

 くるりとUFOキャッチャーに背を向け、シェルターへ走る。

 そのとき、一瞬だけ三千院さんの瞳が見えた。

 彼女の瞳に映る世界が急激に私のそれと切り離されていくのを、私はただ漠然と感じていた。




 それが始まったのは、この国で百年ぶりに「軍」を冠する組織が発足したころの話だ。

 あれからもう五年が経つ。

 街中のホログラムが急に一つの画面に切り替えられたのを覚えている。

『臨時ニュースをお伝えします。臨時ニュースをお伝えします』

 キャスターがひたすら繰り返していた。

 当時私は小学生。

 下校途中のこと。

 近くの見知らぬ大人は、

「玉音放送みたいだな」

 なんて笑っていた。

 しばらくして、画面には時の総理大臣が映し出された。

『日本国政府は、国民、および全世界の市民に対して……』

 難しい言葉が続いた。

 結論が述べられたのは数分後。

『以上の事実を鑑みるに、外星生物、いわゆる宇宙人により、理由は不明ですが、我が国の領土が侵攻されていると考えるほかなく……』

 私はそのワードに反応した。 

「宇宙人」。

 街行く人もどよめいていた。

 だってそうだ。

 宇宙人なんて子どもの妄想にしか存在しないこと、若干八歳の私にだってわかっていた。

 けれどそのどよめきはすぐに悲鳴に変わった。

 なぜなら、空から光線が振ってきたから。

 信じられなかった。

 青空から一筋の光が漏れた、と思ったら、それはすぐに数十、数百に分化して、まるで槍のように地上へと突き刺さる。

 綺麗だ。怖い。なにあれ。

 混乱した。

 とっさに目の前にあった入口から地下鉄の駅に入った。

 それが今、こうして私が生きている理由。


 光線はやがて「空襲」と呼ばれるようになった。

 いきなり空から振ってきて、ずどん。人が死ぬ。

 どのようなメカニズムで起きているのか、なんで宇宙人は光線を発射しているのか。なんで月より近くなるまで観測できないのか。

 そんなことがわかっていたなら、もう少しまともに戦えていたかも知れない。

 けれど残念ながら、地球人の持つ情報は、電波通信で受診した「ワレワレハウチュウジンダ。チキュウヲシンリャクシニキタ」的な内容だけ。

 いつ来るかわからない空襲におびえながら、それでも地球人全体はしぶとく生き残っている、そんな時代だった。



 シェルターにはそれなりの人がいた。

 なにしろ閉鎖空間だ。

 三千院さんの銀髪は目立っている。

 私は彼女を連れて、端っこの方に移動する。

 それから再び、

「……どういうこと?」

 とだけ訊いた。

 三千院さんはためらう様子だった。

 やっと開いた口から出たのは、

「……私の話を信じるって約束してくれるなら、言う」

 なんだ、それ。

「……それは聞いてから決める」

「それならしかたない」

 三千院さんはおどけるように肩をすくめる。

 コンクリートの地面に目をやりながらつぶやいた。


「私、空襲の弾道が見えるんだよね」


「……どういうこと?」

「さっきからそればっかりだ」

 三千院さんはおどけるように笑う。でも目が笑えてない。

「ほんとは、私が『どういうこと?』って聞きたいような話なんだけどさ。……あの日――五年前から、空を見上げると私には見えるようになったの。うっすらと、光の線が」

 その瞳には、何が映っているんだろう。

「たぶんさ、宇宙人が光線を発射した時点で、変な光が地球に届いてるんだよね。で、私だけにはそれが見える、と。ホロは見えないのに、変な話だよね」

 私は映ってるかな。映ってないだろうな。

「今日はね、朝から線が見えてたんだよ。だから早く帰ろうと思って……有紀に会った」

 三千院さんは無言で私の右手を握る。

 ちょっとびっくりした。

 でも嫌じゃなかったので、それを握り返す。

 私のより、だいぶ冷たかった。

「あのね、空襲が起こるのがわかる――人が死ぬのがわかるって、地獄だよ。世の中には見えない方が良いことだっていっぱいあるのに、なんで私だけ見えちゃうんだろうって、ずっと思ってるよ」

 そんなものなのかな。

 普通の人が見えるものを見て、見えないものを見ない私にはよくわからなかった。

「……なんか、大変なんだね」

「そ。大変なんだよ」

 軽い調子で返してくる三千院さん。

 二人とも壁に寄りかかっている。

 学生が多くて、シェルターには話し声が反響している。

「どう、信じる?」

「……わかんない」

「わかんないってなにさ」

「……わかんないもんは、わかんない」

「そっかー。ま、そんなもんだよね」 

「……うん」

 私の返事は弱々しかった。

「いいと思うよ、それで」

「……ありがとう」


 残りの時間は世間話で時間をつぶした。

 転校前は何してたの、とか、親御さんは何やってるの、とか、そんな既に訊かれ尽くしただろう質問をして。


 放送が流れたのは数十分後だった。

『空襲警報は、解除されました。空襲警報は、解除されました』

 シェルターのドアが開く。

 荷物を持ってぞろぞろと外へ。

 煙が上がっている。でも遠い。

 見たところ辺りに被害はなかった。

「ね、続きでもする?」

 三千院さんが訊いてきた。

「……しないでしょ」

 私は疲れていた。

 空襲のストレスと、知らないことを知ったストレスと。

「ま、だよねー」

 私たちは解散した。

 太陽はすぐに沈んだ。



 三千院さんが来てから一ヶ月が経った。

「あ、それちょうだい」

「……やだよ」

「けちー」

 私と三千院さんは昼休み、二人でお弁当を食べるくらいの仲にはなっていた。

 三千院さんは私と違って陽キャだし、別に私に構うことなんてないんじゃないの、と訊いたら「有紀以外はつまらないから」なんて言われてしまった。

 どうやら三千院さんにとって私は面白いらしい。どこが面白いんだか、見当もつかないけど。

 でも、自分が三千院さんにとってつまらないクラスメイトじゃないことを知って、少し嬉しくて安心する気持ちもあった。

 自分の弁当のタコさんウインナーをつかみながら、

「ねえ有紀、今日ひまー?」

「……暇じゃない日はない」

「私もー。じゃ、モール行こうよ、モール」

「……何するの?」

「ウィンドウショッピング」

「……楽しくなさそう」

「行かないの?」

「……行くけど」

 どうにも私はまんまと操られている。



 一週間くらい前かな。三千院さんに訊いたことがある。

「空襲の弾道、いま見える?」って。

 すると三千院さんは、凄く悲しそうな顔をした。

「……のーこめんと」

 その様子で、私は知った。何か事情があるんだと。

 そしてそれを三千院さんは言いたくないらしい。

「……そっか。なんか、ごめん」

「こっちこそ。でも大丈夫だから。有紀が空襲に遭うことはないから。私が守るから」

 やけにかっこいいセリフが返ってくる。

「……ありがとう?」

「どーいたしまして」

 それ以来、私は空襲の話はしていない。



 モールに着くと、三千院さんは「服を見よう」と言った。

 ――のだが。

「……それで来るのがユニクロなわけ?」

「えー、いいじゃんユニクロ」

「……悪くはないけどさ」

「あ、あれ!」

 マネキンの方に書けだしていく三千院さん。

 私の話なんて聞いちゃいない。

 かと思えば、

「ねえねえ、これ有紀似合いそうじゃない?」

 満面の笑みで、そう言ってくるから困ってしまうのだ。

「……そう?」

「似合うって、絶対。試着しようよ」

「……うん」

 この一ヶ月間、自分が押しに弱い人間なことを常に実感している。

 フィッティングルームに入って、服を脱ぐ。

 制服の長いスカートが床に落ちる。

 三千院さんが「似合いそう」と言った、黒いスカートを履く。それからトップスもグレーのパーカーに変える。

 アメリカかどこかの大学のロゴが入ったパーカーだ。

 元の服をたたんでから、カーテンを開けた。

「……ん」

「おー、かわいいっ!」

 三千院さんは歓声を上げた。

「いいねいいね!」

 例の薄い箱――スマホで、パシャパシャ写真を撮っている。

「……写真撮るのは、マナー的にどうなのさ」

「だいじょぶ、誰も見てないから!」

「……そういう問題かなぁ」

 でも、かわいいと言われるのは悪い気はしないし、三千院さんに写真を撮られるのもまた悪い気はしないから、深くは追及しなかった。

 それから着たり着せたりで小一時間。

 二人とも、結局服は買わなかった。ユニクロなのにね。まあ、私服着る機会なんて多くないし、そんなもんだ。

「……次は?」

 三千院さんはちょっと考えると、

「フードコートに行こう」

 と言った。

「……それ、来た意味ある?」

「あるある。モールなら店の選択肢多いから」 

 ……しかし案の定と言うべきか、数分後。

 私たちはお互いマックシェイクを手にしていた。

 ホログラムで注文する形だから、私がまとめて操作している。 

「安いもんね、マクド」

 乾杯するようにコップを傾ける三千院さん。

「……うん」

 私もそれにならって、コンとコップを当てた。

 

 小一時間駄弁ったころだった。

「ね、これからちょっと行きたいとこあるんだけど、いい?」

 スマートホログラムを呼び出して、時間を見る。

 六時くらいだ。

「……それって、長くなる?」

「それほどには」

「……じゃあ、うん」

 先を歩く三千院さんに着いていく。

 階段を上って、モールの上階へと進む。

 着いたのは屋上だった。

「……こんなとこ、あったんだ」

「実はこっから入れるんだよねー。あんまり知られてないんだけどさ」

 室外機と気持ちばかりの庭園が並ぶ屋上。

 私たちの他に、人影はない。

 三千院さんはフェンスの方に歩く。

 立ち止まると、

「……」

 無言で東の空を見つめる。

 あるいはそれは、もっと遠く――ここではないどこかをまなざす目だった。

「……どうしたの?」

「あれ」

 三千院さんは虚空を指さす。

「……どれ?」

 そこには何もない。

 と、そのとき気づいた。

「……ひょっとして、見えるの?」

 三千院さんはうなずいた。

「ここからは遠いよ。でも、もうすぐ来る」

「……知らせなくていいの」

「誰にさ」

「……軍の人とか」

「どうやって」

「…………」

 答えられずにいると、三千院さんは悲しそうに微笑んだ。

「十三歳には、ちょっと荷が重いよね。見えるのに、何もできないってのは」

 私はもちろん「そうだね」とか「つらいよね」なんて言えるわけもなく、ただ、三千院さんと同じ方向を見ている。

 東の空にはもう夕闇が差している。

 なんだか怖くて、寂しいような感じがして――私は三千院さんの手を取った。

 それは冷たかった。気持ち良い。

 握る、というより絡めた。

 一本一本が重なって、指の付け根がくっつく。

 それで私はようやく安心できた。

 そのとき、三千院さんがつぶやいた。

「来るよ」

 次の瞬間、暗くなりかけた空から一筋の光が漏れた。

 みるみるうちに太くなっていく。

 数本の光だ。

「……あそこって、どこらへんかな」

「東京湾を挟んで、千葉のあたりだね」

「…………」

 具体的な地名を聞いて、リアリティが増した。

 ただ光が差しているだけにも見える。でも、その直下では確かに物体が破壊されていて――人が死んでいる。

 私たちはただ、それを眺めていた。

 数分して、蛇口が閉じられたときのように光はゆっくりと細くなる。

 やがて消えた。

「……消えた?」

「うん、消えた」

 屋上は静かだった。

 あんなに遠いと、この街じゃ光線が落ちたのに気づいてない人もいるだろう。

 いや、ひょっとしたら――私たちだけが、あの街に光線が落ちたのを知っているのかもしれない。

 私は三千院さんの手を強く握った。

 三千院さんもそれに返す。

 心が繋がっている、と思った。

 だからタイムラグがあったのだ。


「あのね、もうすぐ会えなくなるよ」


 それが、三千院さんが私に向けた言葉だと気づくまでに。

「…………え?」

「会えなくなるよ、たぶん」

 三千院さんはそう繰り返す。

「……どういうこと?」

「あ、一月ぶりの『どういうこと?』だ」

 三千院さんは笑った。

「……どういうこと?」

 茶化さないで、と言う余裕もない。

「……もうすぐ、光線が落ちるから」

 三千院さんはフェンスに背を向けて、西側を向く。

 だいぶ沈んだ夕日から、かろうじて茜色の光が漏れ出ている。

 赤い光が、三千院さんの綺麗な銀髪を照らす。

 同じ色が見えているか、不安になる。

「今度の光線は、細いけど――いっぱいだよ。ひっきりなしに空襲警報が鳴って、外にも出れなくなる。というかしばらくは、空襲警報が鳴ってなくても外に出ちゃダメ」

「……じゃあ、一緒のシェルターに行こうよ。なるべく人の少ないシェルターで、二人で生活しようよ」

「あはは! それ、最高だね」

 三千院さんは目を細めた。

「でもダメ。やることがあるから」

「……やることって?」

「ひみつ」

「……私が手伝えたりは?」

「しないね」

「……そっか」

 不思議と納得してしまった。

 食い下がっても良かった。でも、本当に事情があるのだと思った。

「……また、会える?」

「どうかな」

 三千院さんは肩をすくめる。

「会えるかもしれないし、会えないかもしれない」

「……会えなきゃ、やだ」

「うん。会えなきゃ、やだね」

 三千院さんと向かい合う。

 右手も握る。両手でつながる。

 三千院さんは私より一回り大きい。顔を見上げる。

「……行かないで」

「行きたくないよ」

「……明日も会って」

「明日も会いたいよ」

「……置いていかないで」

「置いてかないよ」

 三千院さんは私の目を見て答える。

「……ほんと?」

「ほんと」

「……じゃあ、信じる」

 うん、と三千院さんはうなずく。

 それから訊いてきた。

「ねえ、有紀」

「……?」

「私が死んだら、宇宙人の光線が止むとしたら――どうする?」

「……それ、ほんと?」

「仮定の話だよ。あくまで」

「…………」

 しかたなく、その不快な状況を想像してみる。

 ……。

 …………。

「……わかんないよ。ぜんぜん」

「……だよね。私もわかんないもん」

 三千院さんは微笑んだ。私は笑えなかった。

 代わりに三千院さんの胸に顔を当てた。

「…………ん」


 私が泣き止むまで、三千院さんはずっと手を握ってくれていた。



 次の日学校へ行こうとすると、空襲警報が鳴り始めた。すぐに近くのシェルターに移動した。

 以来数週間、私がシェルターから出ることはなかった。

 光線はこれまで、時々振ってくる爆弾だった。何十人、何百人とまとめて殺すような爆弾。

 でもあの日以来、明らかに光線の形態が変わった。

 今の光線は細い。

 細くて、多くて、ひっきりなしに振ってくる。

 誰かは今の状況をたとえて言った。

「歩いてたら上から槍が落ちてくるみたいなもんだ」と。的を射た指摘だった。

 結局全部、三千院さんの予言通りだったのだ。

 もちろんあの日から三千院さんとは会えていない。

 スマートフォンにつながる連絡先へ、スマホからメッセージを送りはした。返信はなかった。

 ――そのときだった。

「有紀」

 名前が呼ばれる。

 顔を上げる。

「……亜紀」

 なにしろお隣さんなんだ。

 亜紀は当然、同じシェルターに避難していた。

「行こ」

 返事も訊かず、亜紀は私の手を引いて自分の部屋に連れていく。

 私は言われる前にベッドに座る。

「…………」

 亜紀の前では、私はもう無言を貫くようになっていた。

 亜紀は私の耳に口を近づけると、

「ねえ……、今日は何する?」

 そのまま耳を甘噛みする。

「……っ!」

 ぞわぞわっと悪寒が走る。


 亜紀がおかしくなったきっかけは明確だった。

 二週間前、亜紀の両親が死んだ。

 ――いや、正確には、外に出て帰ってこなくなった。

『空襲警報も解除されたんで、少し様子を見てきますよ』

 それが最後の言葉だった。私の両親が訊いた。

 こんな時代だから、亜紀も取り乱すことはなかった。

『いつか帰ってくるよ、きっと。二人はラブラブだから、デートでもしてるのかも』

 当初はそんな軽口を叩いていて、こっちが心配になるくらいだった。

 でも、すぐに変化が訪れた。

 ひとことで言えば――私との身体的距離が、尋常でないほど近くなったのだ。

 元々スキンシップの多いやつだった。

 けど、さらに頻度が増えた。

 しかも……濃くなった。


「……まかせる」

「有紀はつれないなぁ、もう」

 亜紀は細い腕を伸ばして私に抱きつく。

 私より膨らんだ胸が身体に当たる。

 気持ち悪いけど、拒絶はしない。

 拒絶したら、きっと――亜紀は死んでしまうから。

 亜紀は私の首筋を舐める。

「…………っ」

 手が太ももを愛撫する。

 じわり、じわりと、近づいていく。

「……ねえ、有紀も……」

 それまでには聞いたこともないような、甘えた声だった。

「……ん」

 求められたとおり、私も亜紀の太ももに触れる。

「あっ……」

 亜紀は声を漏らす。

 吐息が耳に当たる。

 亜紀は私の下着に触れる。

 脱がす。触る。

「…………っ!」

 最初は自分の反応が嫌だった。

 どこかから俯瞰している自分がいて、「あ、私こんな状態になってるんだ」って思って、死にたくなる。

 でもあるときから、それは生理現象なんだと受け入れることにした。

 梅干しを見たら唾液が出たり、運動したら汗が出たり――そういうのと同じ生理現象なんだと、自分を納得させた。

 そのとき、亜紀が顔を近づけてくるのに気がついた。

 それだけはダメだった。

 なんでだろう、わからないけれど。

「……だめ」

 私は手で亜紀の顔をおさえる。

「……けち」

 そう言いつつ、亜紀は拒絶そのものにも興奮しているような顔だった。

 亜紀は素直にキスを諦めて、別のところに顔を近づけた。


 それが終わるまで、私は天井を見ていた。


* 

 

 亜紀は三日後に死んだ。

 正確に言えば、シェルターからいなくなった。

 最後に聞いたのは、それ《傍点》のあとの「……だいすき」という気持ち悪い言葉だった。

 どうやら夜のうちにシェルターの外に出たらしい。空襲警報も出ているのに。

 私の両親は、

『ご両親のあとを追って……かわいそうに……』

 なんてさめざめとしていたが――私に言わせればそうじゃないと思う。

 きっともう、精神が限界に来ていたんだ。

 何も考えられなくなって、安易な出口を見つけて、それで外に出た。

 なんかそういうのってあるな、と思う。

 亜紀がいなくなったことで、私にも変化が訪れた。

 つまり、シェルターにいる意味がなくなったのだ。

 あるいは私も同時に精神が限界に来たのかもしれない。

 ともかく私は外に出たくなっていた。

 ――いや、これも正確に言おう。


 私はただ、三千院さんのもとへ行きたかった。



 結局シェルターを離れたのはさらにその三日後だった。

 夜トイレに起きたとき、空襲警報が止んでいるのを見たからだ。

 今か、と思った。

 確信に近いなにかだった。

 私は財布とスマホだけ持って、シェルターの扉を開けた。

 暑かった。

 蝉が鳴いていた。

「…………あぁ」

 いつの間にか夏になっていたんだな。

 夏の感覚を取り戻した身体が叫んでいる。季節は変わった、と。

 辺りを見渡す。

 確かに空襲は起こっていない。

 ただ、建物の所々が崩れ落ちていて、当然ながら人影はなかった。

『空襲警報発令中』を示すホログラムがうるさい。

 赤色に点滅していて、目がちかちかする。

 三千院さんだったらこれも見えないんだな、とふと思う。

「……どうしようかな」

 今後の行動を考える。

 目標は、三千院さんに会うこと。

 どうやったら三千院さんに会えるだろう。

 たとえば学校。

 ……いないだろうな。

 ゲーセン。

 ……さすがにいないだろう。

 あるいは――。

「…………」

 思いつかなかった。

 しかたなく、私は叫ぶことにした。

「さん、ぜん、いん、さ――んっ!」

 ……。

 …………。

 返事はない。

 そりゃそうだ。

 でも、もう一回。

「さん、ぜん、いん、さ――んっ!」

 ……。

 …………。

 やはり返事はなかった。

 でも、いまこの街の地上には、理論上私と三千院さんしかいないはずなんだ。

 ――それは、三千院さんがまだ死んでいないという、希望的憶測の上になりたつ理論だけど。

 結局その日は、ビルの陰に隠れて寝ることにした。



 だから数日後、三千院さんと出会ったのはまったくの偶然だった。

 夕暮れ時だ。

 行く当てもないから、とりあえずモールへ向かった私。

 がらがらのモールを、なんとなく屋上へ向かって歩いていた。そう、なんとなく。

 それで屋上に三千院さんを発見した。

 私は驚いて声を上げた。

「……え?」

 それに気づいた三千院さんも振り返って、

「えっ⁉」

 お互い駆け寄る。

 三千院さんは喜んでいるような怒っているような様子で、

「どうして……どうして来ちゃったの」

 と私を抱きしめた。

 亜紀以外の人肌に触れるのは久しぶりで、それだけで泣きそうだった。

「……なんとなく」

 私も三千院さんを抱きしめる。

「……そっか、なんとなくかぁ」

 銀髪に触れて、とても安心する。

「……でも、ちょうど良かった」

「……?」

「……ちょうど、私の用事を済ませるところだったから」

 それから三千院さんは言った。


「止めてくるよ、宇宙人」


 意味がわからなかった。

 やっぱり私は、

「……どういうこと?」

 としか言えない。

「止め方、やっとわかったから。あのね、私の目が鍵だったんだよ」

 三千院さんは指で目を示す。

「この目、宇宙人の目だったんだ」

「……どういうこと?」

「宇宙人の目だから光線が見えるし、ホモ・サピエンス向けに作られたホログラムは見えない。……そう言われれば、確かにそうなんだよ」

「……三千院さんは、宇宙人なの?」

「さあね。でも、先祖に宇宙人がいるって可能性は結構あるんじゃない?」

「…………」

 やっぱり、意味がわからない。

 でも真意を訊く必要があると思って、私は質問する。

「……で、宇宙人を止めるっていうのは?」

「そのままだよ」

 いたずらっぽい笑みをしたまま、三千院さんは頭上を指さした。

「宇宙人と平和交渉しにいく」

「……どういうこと?」

 困惑を通り越してもはや呆れていた。

 こいつは何を言ってるんだ、三千院さんもとうとう精神がやられたか、と。

「見て、これ」

 三千院さんは一冊の本を取り出した。

「……『猿でもできる! オカルト実践入門 ~降霊術からUFOまで~』?」

 少女漫画テイストの表紙。

「これをずっと探してて――やっと昨日、学校の図書室で見つけたんだよ」

 まさに学校図書館にありそうな、しょうもない本だった。

 三千院さんは得意げな様子。

 ……やっぱり、頭がイカれてしまったみたいだ。

「……どういうこと?」

「それ、口癖になってるよ」

「……茶化さないでよ」

「ごめん。……でもたぶん、これでいけるから」

 三千院さんは不思議と確信に満ちた目をしていた。

「ほら、ここ」

 付箋が貼ってあったページを開いて、見出しを見せてくる。

 そこには「UFOに乗る方法」と書かれていた。。

「宇宙人に近しい人間がこの儀式をすれば、UFOに乗れるみたい」

「……適当すぎない?」

「だってそう書いてあるんだもん」 

 ふくれてみせる三千院さん。

「UFOに乗って、宇宙人さんに『地球を侵略しないでください!』って言うんだ。それで人類の救世主になる」

「……別に、人類の救世主にならなくたっていい」

 私はそれより、三千院さんと――

「確かにならなくたっていい。でも、誰かがならなきゃダメなんだよ」

「……三千院さん、私を置いてかないって言ったじゃん」

「……置いてかないよ。……一緒に行こ?」

 ――一緒に行く。

 その言葉は中一の私にとって、地上でもっとも甘美な響きがする言葉だった。

 だから私はいつぞやかのような素直さで、

「……うん」

 と答えた。

「嬉しいよ」

 三千院さんがさらに強い力で私を抱きしめる。

「…………置いてかない約束、して」

「置いてかない約束?」

 きょとんとした顔だった。

 ……口で言わなきゃいけないのか。

 恥ずかしいけど、しょうがない。

 耳元でささやいた。

「――たい」

「なるほど」

 合点がいった、という風に手を打つ三千院さん。

「わかった。しよっか」

「……うん」

 私はうなずく。

 いったん、お互いに抱きつくのをやめる。

 そして――


 次の瞬間、三千院さんがかがんだ。

 私はつま先立ちした。


 ――正直、そこで世界が滅んでもいいって思った。

 ずっとこのままでいて、って思った。

 でも何事にも終わりがあるわけで、ずいぶんと長い間それをしたあと、私と三千院さんは見つめ合いながらそれを終えた。

 三千院さんと笑い合った。

「じゃ、やろっか」

「……うん。やる」

 私はうなずく。

「儀式の内容は――」

 三千院さんは三つの手順を説明する。

「どう、わかった?」

「……やっぱ適当じゃない?」

「ま、シンプルだよね」

「……まあ、うん。わかったけど、一応本でも確認したい。大事なことだから」

 私がそう言うと、

「いや、もうわかったでしょ? 大丈夫だよ! 時間もないし、さっさとやっちゃお?」

 時間がないなんて初耳だ。

 だけどまあ、三千院さんがそう言うなら拒絶する理由もない。

 実際儀式は簡単で、頭の中に入っている。

「……わかった」

「よーし。それじゃあ、さっそく」


 まず、二人で両手をつなぐ。


「呪文、まだ覚えてる?」

「……だいじょぶ」


 次に、両手を空へかかげる。


 三千院さんが微笑んだ。

「せーのでいくよ」

「……うん」


 最後に、唱えた。


「ベントラベントラ、宇宙に連れて行ってください」


 ……。

 …………。

 何も起こらない。

 安心したような、がっかりしたような。

 ともかく私は「何も起こらないね」って三千院さんと笑い合おうとして――

 

 ――ピカッ!


 そのとき、頭上に光が見えた。

 空襲の光と同じ色と質感のそれは、着実にこちらへと近づいていて。

「⁉」

 驚いて、思わず手を離してしまう。

 その瞬間、三千院さんが私を突き飛ばす。

「……っ!」

 私はモールの屋上に転がる。

 立ち上がれず、地面に座り込む。

 三千院さんは例の本を指し示すと、

「やっぱり、宇宙人と交渉するなら――宇宙人要素がある人間だが行った方がいいよ。……二人で呼んでも、空に行けるのは一人だけだから」

 ――そこで悟った。

 三千院さんが、一人で行こうとしていることを。

 私は慌てて元の場所に戻ろうとする。でも三千院さんは小さく首を横に振る。

 足がすくんだ。行けない。宇宙人のもとに行くなんて怖い。死ぬのももちろん怖い。あの光に触れたくない――。 

 三千院さんの横顔に強い光が当たる。目を細める。それから微笑んで、言った。

 

「有紀――夕日、綺麗だよ」


 光が落ちた。


 強烈な光。地上じゃまずない光。

 そのせいで、私は光を失った。何も見えなくなった。

 その代わり足が動くようになった。

 四つん這いになる。三千院さんの姿を探して手を伸ばす。いや、手をかくと言った方が良いかもしれない。必死にもがく。

 でも、私がその手に抱けたのは空気だけ。あの銀髪すら残ってはいない。

 直感的に知った。たぶん私はもう、二度と三千院さんには触れられないんだ。

 そしてもう二度と――三千院さんと同じ景色は見られないんだ。

 ……景色?

 そこで、はたと気づく。

 綺麗な夕日。二人で見た夕日。

 あの日、三千院さんと夕日を見たんだ。このモールで。

 目が回復していなかった。どちらが西なのかもわからない。

 だから精神を研ぎ澄ます。どこにどのようにどうやって夕日が存在しているのか、感覚で識る。

 結果、いちばん温かい方を向いた。

「……ああ」

 良かった。私は安堵のため息をつく。


 だってそこには、ちゃんと夕日が見えたんだから。


 網膜を通じてではなく、もっと何か本質的な感覚が夕日を捉えていた。そしてその感覚は三千院さんのそれと完全に繋がっている。私は確かに三千院さんと一緒に夕日を見ていると――三千院さんと同じ景色を見ていると、そう強く信じた。



 その光線で、三千院さんは少なくとも私の前から消えた。

 空襲のように焼けて死んでいったのか、あるいは本当にUFOに取り込まれていったのか、それを確かめる術はもうない。

 私の視力は回復しなかったし、同時に光線はもう落ちてこなくなったからだ。

「……だいぶ、少なくなっちゃいましたね」

 教室の前の方から、先生の声が聞こえる。

 女性だ。声質からして若い。

「でも、今日から学校が始まります。まだまだ混乱のご時世ですが……一緒に勉強しましょう!」

 ははは、と笑いが聞こえる。

 たぶん、先生がガッツポーズかなんかしたんだろう。

「それじゃあ、一時間めの授業を始めます。国語の教科書を出してください」

 国語のイントネーションが関西風だった。

 三千院さんもそうだったな。


 ――三千院さん。


 三千院さんはもういない。

 

 でも、三千院さんと見た景色だけは、いつまでも鮮明に覚えている。


 あなたはホログラムが見えなかったね。

 でも、私はもう何も見えなくなってしまった。ずいぶんと皮肉な話だ。

 もう、マックで代わりに注文してあげることもできない。UFOキャッチャーだって、さすがに音だけじゃチョコを取ってあげることもできないだろう。

 じゃあもう私があなたとしたことすべてがもう二度と得られない体験になってしまったかというと、決してそんなことはないと思う。

 だって。

 私は心のなかで、あの夕日を思い出す。

 あなたの最後の笑みは、決して悲しいものじゃなかった。私に向けられた優しい笑みだった。

 そのおかげで、私は太陽が沈む寂しさだけじゃなくて、あの日の夕日のぽかぽかさを身体に刻むことができた。


 ――あなたはいま、何をしているだろう。宇宙人の学校に転校して、また面白くもない自己紹介をしているのかもしれない。


 でもさ、いつかはこっちに戻ってきてよ。

 次に会ったら言う言葉は、もう決めてるんだ。


「三千院さん、――っ!」






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さよなら宇宙人 梁川航 @liangchuan

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