第12話 極楽のひととき


 「ご、く、ら、く~~」

 あたしは、大きく息を吐くと、とろけるようにして至福を噛みしめた。

 ちょっぴり熱めの湯が満たされた湯船に、顎先まで身を沈めているのだ。


 お風呂です。

 お風呂。

 まさか、異世界に放り出された当日に、お風呂に入って、身を清めることが出来るとは思ってもみなかったよ。


 テーブルに並べられた御馳走を堪能し、デザートの柑橘類を味わっていたところに、編みカゴを手にした酒場の女性従業員がやってきたのだ。

 食事を運んできたくれた女性の一人である。


 お腹が満ちて気持ちが落ち着き、改めて女性を見ると、あたしと同じぐらいの年齢であることに気付いた。

 そして、彼女は、素晴らしい言葉を掛けてくれた。


 「お風呂のご用意が出来ています。

 いかがなさいますか?」

 「え!?」

 あたしは目を丸くした。


 ソーマとイゼさんに視線を向ける。

 二人とも、あたしと同じく驚いた顔になっていた。

 入浴のサービスまであるとは、思っていなかったのであろう。


 「いいよ、ミホちゃん。入ってきなよ。

 イゼは、この場から離れないように、おれが見張っておくよ」

 「ソーマ様……。

 それは、あまりにも心外なお言葉……」


 イゼさんは、ゴニョゴニョとなにか言っていたが、明らかに、あたしの入浴中、自由に動けないことに失望している様子であった。

 やはり、油断ならない。

 

 ソーマとイゼさんを残し、あたしは女性の案内でカウンター横のドアを開け、建物の奥へと入った。

 ドアを潜ると左右に階段があり、前方には短い通路がある。


 照明はランプだが、ランプ周辺の壁に何か特別な反射塗料を塗っているのか、不思議なほどに明るかった。


 「あたし、ミホ。

 御子神ミホって言うの。

 あなたは?」

 「マリーです。

 マリー・ゼレントと申します」

 あたしが自己紹介をすると、彼女も答えてくれた。

 そこまで言葉を交わした時、短い通路が終わった。

 

 「どうぞ」

 マリーちゃんが突き当り横のドアを開けると、ふわっと湯気の香りが溢れてきた。

 一気にテンションが上がる香りだ。

 思わず、おおッと声をあげそうになる。


 でも、まだ湯殿ではない。

 ここは、床に簀の子の敷かれた脱衣所であった。

 着替えを置く棚や、木製の櫛、金属を磨きあげて制作した鏡までもがあった。


 「湯殿はこちらです」

 マリーちゃんがさらに開けたドアの向こうには、広くは無いが、湯船と洗い場のある湯殿があった。

 湯気がどっと流れ込んできた。

 「おおッ!」

 もう、がまんできずに声をあげてしまった。


 マリーちゃんに「クスクス」と笑われ、あたしも「えへへへへ」と笑ってしまう。

 二人の間に残っていた、よそよそしさが笑いと共に消えていった。


 「よろしければ、これをお使いください」

 マリーちゃんが差し出してくれた編みカゴには、ラフな部屋着のような上下と下着、きんちゃく袋、タオルとバスタオル、小瓶、さらに石鹸までもが入っていた。

 衣類と下着は、コットンのような肌触りである。


 あたしは、何度もマリーちゃんにお礼を言った。

 「御子神様。

 お風呂を出て着替えたら、そこの鈴を鳴らしてください」

 マリーちゃんは、天井から紐で吊るされた鈴を示して言った。

 「ね、ミホちゃんて呼んでよ。

 あたしもマリーちゃんって呼ぶから。

 それから、敬語も禁止ね」

 「はい」

 マリーちゃんは嬉しそうな笑顔をみせ、脱衣所を出て行った。


 石鹸は、思ったより泡立ち、身体だけではなく、髪の毛の汚れも落とすことが出来た。

 しかも香料が混ぜ込まれているのか、泡の香りが気持ち良く鼻をくすぐる。

 たっぷりの湯で流し終え、小瓶の中にあった油を塗った。

 マリーちゃんから、中に整髪用の油が入っていると教えてもらっていたのだ。


 毛髪に滑らかさが戻る。

 タオルもゴワゴワしていることはなく、気持ちよく身体を洗えた。


 部屋着をもらえたので、思い切って、身に着けていたセーラー服、下着、靴下までも洗った。

 桶に衣類を浸し、ハーピィに追いかけ回され、草地で転倒したときの汚れをこすり落とす。

 こびりついた草の汁は、なかなか落ちなかったが、目立たないほどには綺麗になった。

 そして、今、湯船に顎先まで浸かり、至福のひと時を堪能しているわけである。


 「はあああぁぁぁ~~」

 湯気で曇る空間の中、おっさんのような声が自然に漏れてしまう。

 今日一日の疲れと緊張が、湯の中に溶けていくようであった。


 お風呂からあがり、マリーちゃんからもらった部屋着に着替え、きつく絞ったセーラー服などは、きんちゃく袋に放り込む。

 そして、髪の毛を縛って丸めると、鈴を鳴らした。

 


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