第9話 主従関係
あたしは右手を伸ばすと、ソーマの左手を握った。
「ソーマはソーマ。吸血鬼でも人間でも変わらないよ」
「……ありがと」
ソーマは、一瞬だけ子供っぽい笑顔を見せた。
「伊瀬宗吾と申します」
イゼ・ソウゴ。
黄色いシャツの名前は、武士のように立派だった。
なぜか口調も古めかしい。
あの後、ソーマに首筋を噛まれた黄色いシャツは、意識を取り戻すと立ち上がった。
腰の傷も治癒したらしい。
吸血されたことによって、ソーマの不死身性を分け与えられたようであった。
土気色だった顔も、通常の色に戻っている。
立ち上がった黄色いシャツは、トレードマークである黄色いシャツを脱ぎ、それを広げて日陰を作ると、ソーマを日光からかばうように移動した。
ソーマは特に疑問を持たず、平然とした態度で日陰に入った。
吸血した方、された方の間には、不死身性の伝播だけではなく、強力な主従関係が成立するようであった。
これがソーマの言っていた代償、死ぬまで下僕という意味なのだろう。
あたしたちは、少し離れた場所に生えていた、広葉樹の木陰へと場所を移した。
その後、黄色いシャツが、ソーマの前で正座をし、深々と頭を下げて自己紹介をしたのである。
「ソーマだ」
「あたしは御子神ミホ」
あたしたちも、それぞれ名乗った。
「朦朧とした意識の中で、お二人の会話を聞いておりました。
わたくしを助けるよう、御子神様が、ソーマ様を説得してくだされたのですね。
深く感謝しております」
「イゼさん。
御子神様じゃなくて、ミホちゃんって呼んでね」
堅苦しいのが嫌で、あたしはそう言った。
御子神様じゃ、どこかの神社に祀られている御神体のようである。
あたしも黄色いシャツからイゼさんと、呼び名を変更する。
「あ……、はい。では」
イゼさんは、照れ笑いを浮かべてあたしを見ると、唇を舐め、唾を飲み込んだ。
「ミ、ミ、ミホちゃん」
「用がない時は、呼ばないでね」
変に勘違いしているようなので、とりあえず笑顔で釘を刺した。
「……あ、ああ!
こ、これは失礼しました!」
イゼさんは、自分の盛大な勘違いに気付いたのか、大きな体を恥ずかしそうに捻じりながら頭を下げた。
その後、あたしはいくつかの質問をイゼさんにした。
「上司のパワハラが酷く、病んで会社を退職し、再就職に奔走するも、どこも採用が叶わず、気が付けば引きこもりになっておりました」
イゼさんは、きちんと記憶があるらしく、なかなかハードな過去を語った。
「ある夜、わたくしめのことで、老いた両親が言い争っている声を聞き、このままではいかんと、心機一転、翌朝、再び就職活動のために外に出たのですが……」
「どうなったの?」
あたしがうながす。
ソーマは下僕の過去には興味が無いようだった。
「気が付くと、あの列に並んでおりました」
「死んだときの記憶は無いんだ?」
「ありませぬ。
しかし、そもそも、後ろからいきなり車にはねられて即死となった場合など、記憶に残らぬのではありますまいか?」
「……そうかも知れないよね」
あたしはソーマを見た。
ソーマはどんな暮らしをしていて、どうやって亡くなったんだろう。
気にはなったが、今は聞ける雰囲気ではなかった。
「引きこもり中、様々な本を読み、このような世界へ転生できればと、常々夢想しておりました。
願いが叶って、このように転生した訳でございますが、元の世界で……」
イゼさんは、しばらく言葉を詰まらせた。
「……元の世界で、何一つ、両親に恩返しが出来なかったことが、悔やまれてなりません。
もし、万が一、元の世界に帰れるようなことがあれば、今度こそ、両親を安心させたいと……」
イゼさんは正座したまま両太ももに手を置き、顔を伏せて言葉を途切れさせた。
「イゼさん。大丈夫よ。
絶対、元の世界に戻れるって」
あたしは、うつむくイゼさんを励まし、その丸っこい手を取ろうとした。
「で、チャームか?」
ソーマの言葉で、あたしはビクッと手を引っ込めた。
そうだ。そうなのだ。
ついつい気を許しかけたけど、今の話の割には、願い事は、魅了の魔法を使えるようになりたいなのだ。
しかも、臨終間近の状態で、あたしのスカートの中まで覗いていた男である。
ゆっくりと顔をあげたイゼさんは、底抜けに善良そうな表情を浮かべていた。
顔の面積の割に、小さな目をパチクリさせながら言う。
「はい。この顔と体型、さらに内向的な性格もあり、友人と言える人ができませんでした。
この世界では、チャームをきっかけとし、なんとか一人でも、友人を作りたいと願ったのでございます」
「ドラゴンとも友達にか?」
「わたくしに襲い掛かったドラゴンでございますね。
あれは、いきなり現れて襲い掛かってきたため、ダメ元でチャームを……」
「正直に言え」
あたしはギョッとした。ほんの一瞬だったが、ソーマの目が赤く光ったのだ。
「チャームはもちろん、この世界で、彼女を作るためでございます」
イゼさんが正直者になった。
「一人ではなく、何人も作りとうございます。
可愛いことはもちろんでありますが、色んなタイプが良いですね。
その夢を叶えるためには、何といってもチャームが手っ取り早いかと」
物凄く正直になっている。
「ドラゴンは、草原で眠っているところを見つけました。
もしや、チャームで操ることができるのではと試したところ、失敗し、あのような目に遭ってしまいました。
うまくいけば、逆らう者が現れても、ドラゴンの力を使い屈服させることが出来ると、考えておったのですが……」
「……最低」
あたしは、あきれた顔でつぶやいた。
「……ん? あれ!」
と、イゼさんは、不意に驚いたような顔になった。
ソーマの言葉による強制力のようなものから覚めたのだろう。
「いや、あの、ふぇへへ……へへ」
イゼさんは、困ったような顔になり、誤魔化すように笑うと、肩を落としてしゅんとした。
「ね、これからどうするの?」
あたしはソーマに尋ねた。
「まずは、町を探すことが最善かと思います」
応えたのは、イゼさんである。
「町って言っても、どこにあるの?
周りは草原だらけよ」
「わたくし、ドラゴンに襲われる前に、丘の上から、荷車を馬に引かせて移動する老人を見付けました。
装備から見て旅人ではありません。
その老人が去った方向へ移動すれば、そう遠くない場所に町があるでしょう」
「なるほど」
イゼさんは、もしかして、意外と頼りになるのかも知れない。
あたしはソーマを見た。
「三人旅になったな」
「御同行をお許しいただき、ありがとうございます」
ソーマの言葉に、イゼさんが平伏した。
三人旅か……。なら、守ってもらわなくてはならないことがひとつだけある。
「イゼさん。あたしには、絶対にチャームをかけないでね」
「わたくしに優しく話しかけてくれた女性は、母以外では、ミホちゃんが初めてです。
そのような女神とも言える女性に、チャームなどかけることはいたしません」
イゼさんは、目をキラキラとさせて約束する。
「ソーマ、正直に話すように言ってよ!」
「正直に話せ」
ソーマが目を赤く光らせて命令した。
「わたくしに優しく話しかけてくれた女性は、母以外では、ミホちゃんが初めてです。
そのような女神とも言える女性に、チャームなどかけることはいたしません」
イゼさんが、まったく同じ言葉を繰り返し、疑ったあたしは罪悪感に押し潰された。
「ごめんなさい。申し訳ないです。あたしの偏見でした」
イゼさんに深く頭をさげる。
あたしたちは、日が暮れる前に出発した。
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