第6話 ソーマ
「痛ッてええェェェ!」
ソーマが苦痛に顔を歪めながら叫んだ。
あたしは驚いた。
痛いとか、そんなことを叫ぶ余裕があるのだ。
化け物鳥の攻撃は、筋肉を切り裂き、骨を割り、臓器に達した深さに見えた。
その場で昏倒して、意識を失ったまま出血死するほどの一撃である。
「そこそこ痛かったぞ!」
激高したソーマが化け物鳥を睨む。
あのケガが「そこそこ」なのだろうか?
化け物鳥の赤毛美人も、元気に文句を言うソーマに驚いているようであった。
キョトンとした顔になっている。
「こうか!? 蹴爪!」
ソーマは、化け物鳥の胸元を狙った右の前蹴りを放った。
当たる。と思った瞬間、なぜかソーマは自ら腰を捻り、蹴りの軌道を変えた。
蹴りは、正面からではなく、踵でこするように化け物鳥の胸元を抜けた
そんな蹴り方に威力があるはずもなく、化け物鳥は、二歩退いただけで「ケキキッ!」と短く鳴いた。
「え? あれ? ウソ?」
あたしは自分の目を疑った。
今、ソーマのアキレス腱のあたりから、鋭い鎌のような蹴爪が生えているのが見えたのだ。
あの蹴爪で攻撃をするため、ソーマは蹴りの軌道を変えたのであろう。
しかし、蹴爪をアキレス腱から生えた鎌の刃に例えた場合、切っ先は地面を向いているのではない。上を向いている。
そのため、ソーマのような蹴り方をしても、言わば刃の峰の部分が相手の体の上を滑るだけで、効果的な攻撃にならないのだ。
「あ! 刃の向きが逆か!」
ソーマもすぐに理解したようであった。
右脚を戻して、左脚で化け物鳥に踏み込む。
「蹴爪ッ!」
踏み込みながらクルリと反転して怪鳥に背を向けた。
そのまま上体を前に倒すと、今度は下から上へ伸びあがるような後蹴りを放った。
体幹がしっかりしているのか、身体の軸がブレない。
地面から鋭く斬りあげるような後ろ蹴りである。
右脚が下から上へ閃光のように伸び、ソーマの蹴爪は、見事に化け物鳥の胸を切り裂いた。
大量の羽と血飛沫が舞う。
化け物鳥は「ケカッ!」と断末魔をあげると、ぶっ倒れた。
脚をばたばたと動かしているが、中途半端に広がった翼は硬直し、細かく震えて始めている。
「ソーマ!」
立ち上がったあたしは、ソーマに駆け寄った。
「大丈夫なの!? ケガをみせてよ!」
「ん? 平気だよ。
ちょこっと切れただけだから」
ソーマは、すっぱりと裂け、血で塗れたシャツとパーカーを指で軽くつまんで言った。
ちょこっとどころのキズじゃないはずだったが、すでに出血は止まっているようだった。
「……ねえ、さっき、足首から、蹴爪が出ていなかった?」
とりあえず、もう一つの疑問を口にしてみた。
するとソーマは、「へーー」と感心したような声を出した。
「蹴爪って知ってるんだ。意外と物知りなんだね」
「いや、そうじゃなくて、どうして、そんなものが生えるのよ」
あたしは軽く伸びあがると、ソーマの肩越しに、アキレス腱のあたりを見た。
無い。蹴爪など生えていなかった。
そのとき、森の外でギャアギャアと騒ぐ声が響いた。
ドキッと鼓動が跳ね上がった。
まだ二匹の化け物鳥がいたのだ。
しかし、その声が近づいてくることは無かった。
樹々の隙間から、草原の方を見ると、仲間を殺されたことが分かったのか、残る二匹の化け物鳥が逃げ出していく。
せわしなく羽ばたいて走り、二匹は飛び去っていった。
安堵の息を漏らしたあたしは、ソーマの方に視線を戻した。
背を向けたソーマは身を屈め、化け物鳥の死骸を調べているようであった。化け物鳥は、もうピクリとも動いていない。
「臭ッせ! なんて臭ェ血だ!」
立ち上がったソーマは、顔をしかめて振り返った。
「あ!」
あたしは大事なことを思い出した。
「ソーマ、あたしの前にいた、あの黄色いシャツの人を覚えているでしょ」
「チャームの?」
「そう。チャームマシマシの人。
あの人が、丘の向こうで倒れているのよ!
すぐに助けに行かなくっちゃ!」
「今のハーピィにやられたの」
ソーマは慌てることなく言う。
「ハーピィって?」
「この鳥の名称だよ」
ソーマは化け物鳥の死骸を示し、パーカーのポケットから文庫本を取り出した。
行列に並んでいたときに読んでいた文庫本のようである。
ペラペラとページをめくると、その中のあるページをあたしに見せた。
「ここ」
文庫本だと思っていたが、それは文庫本ではなかった。
庫本サイズのぶ厚いノートだった。
ソーマが開いたページには、鉛筆らしきもので、あの化け物鳥の緻密な絵が描かれ、さらに細かい字で文章が書かれていた。
『ハーピィ。またはハルピュィア。
人面の妖鳥。肉食。寒冷地を除き、ほぼ全土に生息しているらしい。老若の違いはあるが、どの個体も女性の顔をしている。男性の顔は皆無。知能は高くない。
特技。麻痺、脱力、パニックの効果を持つ『咆哮』。皮鎧ていどなら切り裂く『蹴爪』』
「あの咆哮って、やっぱり、そんな効果が……いや、違うって!」
あたしは慌てた。そんな話をしている場合じゃないのだ。
「あの黄色いシャツの人を助けに行こうよ。
今なら、まだ間に合うかも知れないし」
そこまで言って、思考が戻った。
「あれ? どうして、このハーピィとかの咆哮や蹴爪をソーマが使えたの?」
「少し落ち着きなよ、ミホちゃん」
ソーマは倒木を見つけると、腰を下ろした。
「そもそも、チャームのおっさんは、どうして倒れてるの? ケガ?」
ソーマの受け答えには、緊迫感が無かった。
ケガの原因を知りたいのではなく、ただ助けに行くのを先延ばしにしているだけの質問に聞こえる。
「大ケガなんだって! ドラゴンに噛まれてたんだよ。
あとハーピィにもついばまれてた。
死んじゃうかも知れないって!」
「ん~~。でもチャームか。
あれは魔法だよな」
ソーマは煮え切らない。
「どうしたのよ! 行きたくないの?」
「うん。行きたくないね」
ソーマは、屈託のない笑みを浮かべて、あっさりと答えた。
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