第3話 求愛行動
テレビの動物系番組で、コモドオオトカゲの映像を見たことがある。
インドネシアのコモド島に棲むオオトカゲである。
成長すると、全長が2メートルを超える、恐竜のようなオオトカゲだ。
二股の長い舌を出したり引っ込めたりしながら、結構な速度で走り、ヤギに襲い掛かっていた。
でも、黄色のシャツを咥えているのは、ああいうトカゲではなかった。
茶色やグレーのような地味な体色ではない。
鮮やかな緑地に黒とオレンジの波打つラインが入った、毒々しいほど派手な色合いをしている。
さらに背中には、平たい剣のような突起物を幾つも生やしていた。
コモドオオトカゲとは、姿勢も違った。
前肢で胸を張るように大きく上半身を立て、そこから首が伸びている。
手足の生えている位置が違うのだ。
トカゲやワニのように、胴体の側面から足が生えているのではなく、馬や犬猫のように、胴体の下から足が生えている。
トカゲではなく、これはドラゴンの一種かも知れない。
サイズも大きく、太く長いしっぽを含めなくても、車一台ほどはありそうだった。
首の先には、背と同じく突起物で装飾されたような頭部があり、黄色いシャツを咥えていた。
シャツの色が半分赤く変わっているのを見て、あたしは産毛まで逆立った。
もちろん黄色のシャツの中には、あの不摂生で運動不足な男性が入っているのである。
「チャーム!」と黄色が悲鳴を上げると、人食いドラゴンの突起物がボウッと変色した。
黄色が「ハイ・チャーム! ファースネイション!」と叫んだ。
これがたぶん、魅了の魔法、チャームの上位バージョンなのだろう。
ピアノの鍵盤を端から端までを一気に鳴らすように、人食いドラゴンの突起物が、頭部から背中まで、目まぐるしく変色し始めた。
さらに、黄色の腰を咥えたまま、人食いドラゴンはきょろきょろと首を左右に振った。
何かを探しているようにも見える。
これって、もしかして……。
求愛行動ってやつじゃないのかしら?
あたしは、羽を広げたクジャクを思い浮かべた。
オスが美しい羽を大きく広げるのは、メスへの求愛行動である。
グンカンドリが、嘴の下にある真っ赤な袋を大きく膨らますのも、メスへの求愛行動である。
黄色いシャツは、チャームの呪文で、人食いドラゴンを手懐けようとしたのかも知れない。
ところが思惑は外れ、人食いドラゴンは、チャームで魅了され、興奮し、発情し、訳も分からないまま、背中の突起物を変色させる求愛行動をとりながら、メスを探しているのだ。
咥えている黄色いシャツは、求めるメスへの貢物のつもりかも知れない。
チャームの呪文を止めさせなきゃ。
でも、声を出せば、人食いドラゴンがこっちに向かって来るかも知れない。
あたしがそう躊躇したとき、喉を詰まらせたような唸りを最後に、黄色が静かになった。
途端に人食いドラゴンの動きが止まった。
口が半開きになると、黄色が草地に落ちる。背中の突起物の変色も収まった。
頭の位置を低くすると、草むらを掻き分け、人食いドラゴンは何事も無かったのかのように去っていった。
残ったのは、赤黄色になったシャツの男性である。
あたしは、おっかなびっくり斜面を下り、転がっている赤黄色に近づいていった。
もし、息をしていないなら近寄りたくない。
怖い。
でも、まだ息をしていたなら……。
それでも、あたしにできることは、何もない。
だけど「がんばれ」と励まし、遺言を聞くぐらいならできるかも知れない。
誰も知らないような場所で、一人で死んでいくのは辛いはずだ。
あたしなら、絶対に嫌である。
覚悟を決めて、さらに数歩近づく。
と、不意に、赤黄色が転がっている、その向こう側の草むらがガサガサと揺れた。
風に吹かれて揺れたのではない。
何かがそこにいる。
丘陵地の雑草は、均一に伸びているわけではない。
揺れたあたりの草むらは生い茂り、深くなっているようだった。
その草むらから、唐突に顔が出て来た。
女性の顔である。
若い。二十代前半ぐらいに見えた。目が大きな美人であった。
くすんだ赤毛をし、どこか驚いたような目をしている。
女性はあたしを見つけると、瞬きをし、声を掛けて来た。
甲高くて、聞いたこともない言語であった。笛の音を連想させる。
「助けてッ! こっちです! こっち!」
それでも助けてもらえると思い、あたしは大きく手を振った。
たぶん、この世界の住人なのだろう。
男性だったら、少しは警戒したかも知れないが、あたしと同じ女性である。
赤黄色のシャツの手当てをしてもらえるかも知れない。
安堵した瞬間、女性の首がヌッと伸び、あたしはギョッとして足を止めた。
草で滑って、尻もちをつきそうになる。
ろくろ首のように長く伸びたわけではないが、それでも尋常の伸び方では無かった。
思わず短い悲鳴を上げると、女性の左右に一つずつ、さらに別の女性の首が現れた。
首を伸ばしたまま草むらを掻き分け、最初の女性が姿を現した。
それは、女性の顔をした、でかい鳥の化け物だった。
あたしは目を見開いて、一歩、後退した。
三人、いや三羽、いや三匹は、草むらを出て来ると、首を軽く前後に振りながら、目を見開いた笑顔で近寄って来る。
その笑顔が妙に親しげで怖い。
ダチョウほどの身長は無い。
やや、前傾した姿勢のせいもあるのだろうが、あたしより頭の位置は低い。
しかし、ライオンやトラだって、あたしより頭の位置は低いのだ。
左端の一匹が、赤黄色のシャツの横で立ち止った。
頭を下げると、黄色シャツに顔を近づけ、匂いを嗅ぐような仕草をした。
ツンツンと鼻先で黄色いシャツをつついているようにも見える。
そして、再び顔をあげた。
美しい顔が血に染まっている。
しかも、恐ろしいことに、何かを咀嚼していた。
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